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2008年03月号


※新しいものほど上にあります。


今日の日誌を見てみる

■2008年03月31日月曜日

退院8日目、術後17日目

ほぼ術前の状態に戻った感じなのでちょっと遠出をしてみたが2時間くらいぶっ通しで歩いたら(おいおい)下っ腹が突っ張ったようになって、どえらく疲れた。縫合跡も徐々にキレイになっているのだが中身はまだまだ?

■2008年03月29日土曜日

キイハンター#169※欠番

拝啓 東映チャンネル様

だーかーらあああ!いまさら各エピソードのラインアップリスト修正すんなっつうの!確実に間違いなく絶対に一昨日までは「#169 さよなら美しい眼のない死体」て書いてあったでしょっ?!こちとら、ヒマだから毎日チェックしてんだからねっ!放送するのがヤバイってこと?なんなら自腹でニュープリントしてデジタルリマスター作ったろかあ!ああ腹立つわああ!

■2008年03月27日木曜日

退院4日目、術後13日目

ただいま自宅療養中。ポカポカ陽気(東京)に誘われて花粉まみれになりながらちょっと遠出。腰も下っ腹の傷跡も快調なのに、なぜか途中で冷や汗がどっと出る瞬間が何度かあった。別に暑くも寒くもないんだが。電車に乗ったりバスに乗ったり歩いたり、って感じで特に無理したつもりないんだけどなあ(悩)。

さて、そんなこんなで北京オリンピックである。たまたま馬術代表の三選手のうちお二人とは面識あり(向こうは覚えてない可能性大ですが)なんだけど、どうだろう?彼の国に大事な馬を連れて行こうという選手が何人くらいいるんだろうか?特にヨーロッパの選手たち。地続きだからいいじゃん?って気もするが遠出は遠出だし、水とか、食べ物とか、空気悪そうだし、母国から全部空輸したはいいけど管理がずさんそうだしなあ。選手が行きたくても馬のオーナーがダメっていう場合もあるし。ちょっと微妙かも。

■2008年03月26日水曜日

退院3日目、術後12日目

腰痛大爆発。昨日、調子に乗って外出(電車)したのが祟ったとしか考えられず。予想外の負担は手術跡よりも腰にクリーンヒット。ここで怠けたらますます動けなくなるぞ!と、頑張ってヨタヨタしながら昼頃まで仕事やら片付けやらしてたら午後にはにっちもさっちもな限界状態に。ところがお昼寝2時間でかなり復活した。健康な状態のヘルニア(腰椎)じゃないことをつくづく実感。動いて→休んで→動いて、を徐々にやらないとダメらしい。

未見だった「吼えろ脱獄囚」「顔役と爆弾娘」が4月のCS衛星劇場で放送されるらしい。「キイハンター#169さよなら美しい眼のない死体」欠番(ラインアップしといてそりゃねーだろーがよっ!)で怒髪天を突いていた溜飲がやっと下がりそう。

■2008年03月24日月曜日

退院1日目、術後10日目

会社にメール。関係各位に不在を詫びて、仕事の話を少し。セキュリティー上、自宅のPCから仕事のメールはご法度だが機密情報でもないので、ま、いいか。雨が降っているので花粉が飛ばず、絶好調!地方で血なまぐさい事件が起こったらしく、刺激された似たような通り魔事件が・・・手術のあとはせっせと歩いて運動しないといけないのだが、この状態で襲われたら戦えないなあ(誰と?)・・などと不安になった。ことほとさように、健常者はいつでも社会的弱者に転落してしまうものなのである。徐々に回復すると言っても外に出ると頭の悪そうなガキが走り回っているし、携帯しながらダラダラ歩いてついでにバッグをぶつけてきそうな馬鹿娘がうろちょろしてるし、世間って怖いわあ(爆)引きこもりの気持ちがよく分かったような気がした。

ベッドで10日以上もゴロゴロしてせいで背筋が一気に脆弱になってしまい、早速、腰痛が勃発中。腹筋(上のほうと横)はすでに筋肉痛でバリバリ。当分、ピラティスとかできそうもないので引き続き、柔軟体操とシャワーで血行の改善に努力中。

■2008年03月23日日曜日

入院12日目、術後9日目

仏滅(3月22日)を避けて大安吉日の今日、無事退院となった。昨日、最後のラジオ体操でジャンプしてみたけど全然痛くなかった。いつもラジオ体操を一緒にやっていて、同じ子宮筋腫でハラキリ手術した女の人と晴れやかに談笑。彼女も本日退院するとのこと。同じ病気だったので、もはや戦友って感じ。下っ腹の縫合跡を毎日、見せあいっこしたりしてたし(女子トイレとか、病室とかで)。下着下ろして傷口見せるのが平気になっているので、シャバに出て平気で同じ事をしやしないかと、ちょっと自分が心配。

昼前にタクシーで帰宅。病院から15分ほどで自宅に到着。すでに世の中は春だ。ってことは花粉だ!咳は根性出せば我慢できるが、クシャミは下っ腹が思い切り動くので大敵だ!ハラキリ患者は花粉シーズンを避けるってどこかのブログにも書いてあったような気がする。家に着いたとたんに思いっきりクシャミ連発、痛ってえええええええ!ちくしょー!病院ではわりと平気だったのだが外はまるでダメ、早速、クシャミ止めのクスリ(市販品)を飲む。身体は元気だったのでとっとと荷物を整理して、昼食の準備、といってもレトルトだけど。夕方シャワーを浴びたらどっと疲れた。久々の自宅ベッドはフワフワで気持ちいい〜朝までぐっすり。

■2008年03月21日金曜日

入院10日目、術後7日目

抜糸の日、なんかドキドキする。糸なのか?ホチキスなのか?ワクワク・・・執刀医の先生も「抜糸って緊張しますけど、淡々と終わりますから」と言ってくださる。女医さんがやってきて手袋装着、いよいよ傷口の保護テープが剥がされた!と、直後に「終了〜!」の声。「これ、埋没式ですから抜糸はありません。テープが自然に剥がれてきたらそのままにしておいてくださいね!」とのこと。あ、そうなんですか・・・と傷口を見ると確かに表面はすでにくっついて細い1本筋が盛り上がっているだけ。触るとちょっとだけゴロゴロするのは中にまだ糸が残っているから、らしい、これもいずれ溶けて無くなるんだとか。

なんで執刀医、抜糸が不要と教えてくれなかったんだろう?ってことは自分で縫ってないのか?それとも「ドキドキさせちゃおうっかな?」という遊びゴコロ?

ところで根岸明美さんが亡くなったそうですね(旧聞ですが)。「100挺のライフル」というアメリカ映画がありまして、これはメキシコ革命に絡んだB級アクション西部劇でして、出演はジム・ブラウン、バート・レイノルズ、それとセクシーボムのラクエル・ウェルチ。根岸さんはラクエル・ウェルチの声を担当してました。ちなみに、ジム・ブラウン(中丸忠雄)、バート・レイノルズ(小林勝彦)だったので、これなら顔出して本人が演ったほうがいいんじゃないか?と思われる声優配置だったのわけですが、今にして思えばラクエル・ウェルチ=声:根岸明美というのが過剰な感じで(そのほかの方々も含めて)声とイメージピッタシでした。ご冥福をお祈りします。

■2008年03月20日木曜日

入院9日目、術後6日目

今日も朝シャワー。熱が36度台になってから、別の病棟へ行ったり、コイン式のインターネットしたり、図書室で本読んだり、売店で買い物したり、外来の人をウォッチしたり、病院内をぐるぐる探検。気がついたのは入院に際して、私服とか電化製品(iPODとか、DVDプレイヤーとか)以外は全部、病院の売店で最適なモノがいつでも買えるということ。入院には必要最小限の荷物にすべし、の意味がやっとわかった。タオルとかは安っちいのでかまわないのだが、手術のときに使うやつだけは身体の下に敷くので、やわらかいのにしたほうがいい、ただしゲロ吐く(私は吐きまくり)可能性はある。で、ベージュとか薄い色味にしておくことが求められるのはゲロとか血とかがすぐに発見できるようにするためである。

1Fから5Fまで階段昇降。地下フロアは、リネン室とかいろんな部屋があって面白かったが、そこにいる人たちに発見されるともれなく「迷子ですか?」「病棟どこですか?」と心配されてしまった。こんなところに患者、普通は来ないよなあ、と思った。

階段の上り下りは不思議と痛くない。そっと歩いているから?足を踵からつけてドシドシ歩くのはまだちょっと痛い感じだ。ラジオ体操でもまだジャンプはできない、かなり痛いので。

■2008年03月19日水曜日

入院8日目、術後5日目

朝シャワーしてみた。夜中に身体がポカポカしてきて寝汗が出てきたので、そのまま毛布を身体にまきつけて大汗かいてみた。明け方ちょっと寒くなったので、フリースのパーカーを着込んでさらに寝てみたところ、熱が36度台に下がった。これ、若いときに風邪を早く抜く方法なのだが、まさか効果がこんなにあるとは思わなかった。たぶん、きっと良い子と病気の子はあまりマネしないほうがいいかもしんない。

汗かきスリーパーやタオルを洗濯する。病棟にあるコインランドリーに行ったら、大柄な兄ちゃんが椅子で寝ていたので、とりあえず起こしてみた。乾燥機を待っている間に寝てしまったらしい、そそくさと出て行ったが、ちょっと怖かった。病院って結構、無防備なところがあるから。

術後検診、下からの出血は生理4日目くらいだったが検診後、止んでしまった。普通の下着に変更。

【後日談】

この大柄で目つきの怖い兄ちゃんは、実は病室に泊まりこみしていたのでした。奥さんが意識不明で、ずーっと「面会謝絶」のお部屋の人でした。そういえば女物を洗濯していたので、奥さんのモノだったのでしょう、毎日、せっせと洗濯してました。コンビニ弁当とかカップ麺とかをいつも食べていて、ほとんど寝ていないらしく眼が怖くなっていたのは、疲れちゃっていたからなのでした。訪ねてくる人がみんな半泣きで、兄ちゃん一人で一生懸命相手してましたが、途中から弟さんらしい人が手伝いに来てました。私が退院したときもまだ面会謝絶のままでしたが、時々兄ちゃんらしき人のちょっと怒ったような声が聞こえてきて、弟さんらしき人が病室から連れ出して必死になだめていました。この時、兄ちゃんも泣きそうになっていてそれを我慢しているのが凄く辛そうでした。病院は自分よりもっと大変な人がいることをつくづく実感する場でもあります。

■2008年03月18日火曜日

入院7日目、術後4日目

待望のシャワー!1週間ぶんを小分けしておいたシャンプー、全然泡が立たないのでまるごと使い切ってしまった。入院前に髪を切っておけばよかったと、後悔したが、いやこのシャンプーがホント気持ちいい〜。傷口は防水テープで止めてあるが、ちょっと心配だったのでお湯をかけるだけにした。傷口周囲を手に石鹸つけてあわ立てて撫で洗いにした。その分、背中(管があった周辺はやんわりと)とか手足はゴシゴシ洗い。これがまた気持ちい〜!歩くスピードは上がっている、でもまだすりあし、立ち上がるときにちょっと痛い、歩いているときはシクシクっていう感じ。

シャワー後、下からの出血がやや活性化するも、ナプキン1枚で全然平気。鮮血ではなくて生理っぽい感じ。

この日は朝、昼、夕、三食完食で、差し入れのバナナとかお菓子も食べまくりで、出すほうもやっと普通の状態になってきて嬉しかったが熱だけが37度台をキープ。それでも気分は快調だったので、今日は非常階段を2階分歩いてみた。上るのは全然平気だったが、下るとき膝が笑って怖かったと看護士さんに言ったら、病室が高層階だったため「あまり人通りがなく、倒れても発見されにくいので外来の人が頻繁に通る1〜2階あたりで練習したほうがいいですよ〜」とのこと。なるほどねえ・・・。

■2008年03月17日月曜日

入院6日目、術後3日目

点滴がなくなったのでスリーパーに着替えた。着替えるときに身体がベタベタしていたので蒸しタオルをもらって身体を拭いた。気持ちいい〜!身体をグイグイ動かすと傷が痛いんだけど、一瞬だし、この気持ちよさには替えられないので我慢して全身ゴシゴシしてみた。昼食時に自分でお茶を取りに行き、病室の人たちとダベっていたら主治医が背後を通過してベッドを覗いてキョロキョロしている。「あの、ここですが」と言うと驚いて「あ、元気ですね〜この調子で」と一言だけ。術後3日目で、まさかお茶を片手におしゃべりしているとは思われなかったようだ。

下の出血は少し減ってきた。普通のナプキンに変更。

歩く速度はアップしているけれどもまだ、すり足歩行である。上下動は結構、痛い。トイレはどんどん出るけど下痢気味で熱は37度台。お腹の中で傷口が腫れている(らしい)ので腹圧があって全然イキまないで出るのは嬉しいけれど、熱が下がらないのでちょっと歩くと疲れ気味。背中に残っていた麻酔の管(麻酔そのものはとめてあったけど、万が一再開のために管だけが残っていた、やわらかいので違和感なかったが、寝返りのときはちょっと引っ張られて痛かったときも)も抜けたので、明日はいよいよシャワー解禁!

■2008年03月16日日曜日

入院5日目、術後2日目

朝、尿管を抜いてすぐにトイレへ歩く。大小ともにやや下痢気味ながらもちゃんと出ることを確認。生理2日目くらいの濃い血が下から出ているのだが、これは手術の時の血が染み出しているらしい。歩行のほうは回数を重ねるごとに歩くスピードが早く、足取りがしっかりしてくることを実感。楽しくなってくる、傷は相変わらずズキズキするが、腰椎椎間板ヘルニアの時の痛さに比べればなんてことなし。痛み止めを貰っていたが、痛くて動けないかまたは動くとどんどん痛くなる場合を除いては飲まないことに決めていた(とうとう飲まずに済んじゃいました、痛み止め)。こういうものを飲んでしまうとヘタレな感じがしていたので。看護士さんが蒸しタオルを持ってきてくれた。背中を拭いてもらう、気持ちいい〜!手足は自分でできそうだったで自分で拭いてみた。傷口を見てみる、5センチ以上、下っ腹を横に開いてある。止めているのがホチキスなのか?糸なのか?不明。

生理2日目くらいの出血が下から続いていたので大判ナプキンで対応、激しくないけど出てる。

朝食、昼食はすでに普通のご飯。病棟を散歩がてらウロウロする。いつもお茶を持ってきてくれる看護助士さんに「あら!もう歩いてるんですか?」と驚かれる。開腹手術の患者では脅威の回復(なんちって・・)スピードらしい。なんか調子にのってズンズン歩いてみた。主治医がベッドを覗きに来たときは、ほぼ毎回、ラウンジでテレビ見ていたので、看護士さんに待機を命じられる。元気がよすぎてもいけないらしい。明日は点滴の管も全部なくなる。わずらわしいけど歩くときなんとなく頼りになる点滴棒とももうすぐお別れ。熱が37度後半でやや高めだったので氷枕で冷え冷えしてもらったら気持ちいい〜。

夕食は完食。夜はまたイビキ攻撃。さすがに疲れてきたかも。

■2008年03月15日土曜日

入院4日目、術後1日目

朝、眼がばっちり覚めた。ガスも出た、ガスが出たらメシが食える。枕をしてもらう。なんかあまりにも痛くないのでビックリ。午後はベッドに寝たまま身体を起こしてもらったがとたんに気持ちが悪くなって吐きまくる。ピンクのゲロ受けにどんどん出てくる変な色の液体が見た目もアレでさらに吐く。この気持ち悪さは背中から入れている痛み止めの麻酔が原因で女性に多い症状らしい。痛いのとゲロとどっちが嫌かと考えたら、痛いのは「痛え〜!」で済むけど、ゲロは情けないので麻酔を止めてもらうことにする。痛み止めと嘔吐止めは手首からの点滴へ変更、ただし量が少なめ(?)らしい。

T字帯を取りはすず、かなり出血していた。夜、整理用下着に取替え、大判ナプキンを使用。

身体を起こしたままだとなんかえらくダルいしお粥も食べたくないし、このままで死ぬかもしれない(大げさな)と思っていたら主治医の判断で「血を戻しましょう」とのこと。事前に採っておいた自己血は400CC×2パック、1パックは手術で使ったそうなので残りを返してもらうことになった。自分の血なので安心、するすると点滴の管が真っ赤になっていく。200CCくらい戻ってきたあたりで、とたんに意識がバキーっとなった。手の甲を見ていたら見る見るうちに血管が浮き出てきた(これ、本当ですよ)。ゲロ完全克服。これも見ていた人の話では「唇が赤くなっていくのがわかった」らしい。血が全部戻った直後、お腹がグーグー鳴り出したのはちょっとハズカシかった。

19:00夕食を半分くらい食べたら、看護士さんが「歩けますかあ?」とのこと。なんかイケそうだったので点滴の棒に捕まって立ってみた、立てた、フラつきなし。身体を直立させるときに傷口がズキズキっとしたけど大した事なし。トイレまですり足気味だったがちゃんと歩けた、私がわりと大股に歩くので小柄な看護士さんが「すごい!」と驚いて=褒めてくれた。「じゃ、明日は尿管抜きましょう」とのこと。夜はイビキがまたまた凄かったので2時間くらいしか寝れず、こっちのほうが傷口よりもある意味痛い感じ。

■2008年03月14日金曜日

入院3日目、手術当日

イビキにもめげずに結局、小刻みに30分くらいづつ寝たが、睡眠時間は合計2時間くらい。未明に浣腸。これも初体験、量が多いので3分持たず(看護士さんは「5分頑張れ!」とのこと)一気に出る。腸の手術ではないのでこれくらいで勘弁してもらえた。

手術着に着替えて点滴開始。これは水を補う点滴らしい。本日2番名の手術。前の人が長引いたので13:30に手術室に呼ばれる。車椅子〜ストレッチャーで移動する。手術室、イキナリ麻酔担当医の術着が裏返しだったので脱力した。背中から麻酔(これは痛み止め)のための管を入れる。体育座りのままゴロんと横になる。管を入れるための注射は2回に分けてもらった。背骨のすぐ脇を管が通るので違和感があって、これが気持ち悪かったので、途中でもう1回注射してもらった。すぐにマスクされて、手首から麻酔が入ってくるとすぐ意識がなくなった。

17:00手術が終わったらしい。名前を呼ばれてパッチリ目が覚めた。意識が戻ったとたんにゲロ2連発。喉が痛い、ここにも管が入っていたらしい。手術室から病室へ移動、ここはあまり覚えていないが、見ていた人によると顔面が蒼白で唇も真っ白で怖かった、らしい。夜は点滴の連続、30分おきくらいに看護士さんがなんかゴソゴソしていた。意識ははっきりしていて首も動かせるし、ヒマなので脚を伸ばしたり曲げたりしてみる。枕は明日にならないとくれないらしい、ベッドがゴツゴツしていて嫌だったので寝返りをしてみる、全然痛くない。夜は例のごとく、イビキが豪快に聞こえてきたが口から酸素が鼻から酸素になったあたりで寝てしまった。

■2008年03月13日 木曜日

入院2日目、手術前日

寝てる間に3回くらい看護士さんの見回りがあったような気がする。朝、腰が痛くて3:00頃起きる。起床の3時間前。午前中は血圧測定、検温などしてゴロゴロ過ごす。昼食時に下剤を渡される。生まれて始めての下剤服用。便秘の経験ゼロ、バリウム一気でも1時間後には全部出ちゃう健康な腸の持ち主なのでちょっとドキドキ。かなり大量で服用後10時間くらいで効き目が出てくるらしい。夜のトイレ通いが必須。食後、水に混ぜて一気飲み、味も素っ気も無し。

13:00頃、病室の引越し。ベッドごと移動、荷物はキャリーバッグに山積みして自分で運ぶ。移動先の6人部屋は高齢の婦人3名、同世代ちょい上くらいの人が2名。病室では私が一番年下らしい。軽く挨拶をして荷物を開梱、2つのベッドに挟まれているのでとにかく狭い。S管(100円ショップで売ってる荷物などを吊り下げる小道具)やフックを駆使してなんとか必要なものを配置。

15:00に処置室に呼ばれて剃毛。15:30に入浴(朝、速攻で予約しといた)、手術後3日間くらいはシャワーNGだし、数週間は湯船に入れないから短時間でもきっちりお風呂する。19:00ごろから腸の動きが活発になってトイレ2回、ほぼ下痢っぽいのがどんどん出る。看護士さんに「早いですねえ〜」と驚かれる。結局、0時が最後で合計5回くらい。

21:00から絶食、0:00以降は水もNG。睡眠薬を飲もうかどうしようか迷っているうちに夜中を過ぎた。隣のベッドから耳をつんざくばかりのイビキが聞こえてきて、まったく眠れず、決断の遅れを後悔。

■2008年03月12日 水曜日

入院初日

キャリーバッグ(飛行機の機内持ち込みギリギリサイズ)とスポーツバッグ1個に荷物をまとめて病院へ。入院手続きを済ませる。保証人1名と緊急連絡先1名が必須、同一人でもよいとのこと。書類に署名と捺印。

主治医の術前検査。執刀するのは若い男子の先生(きゃあっ)と女子の先生。検査だからと気軽に考えていたらこれがまた痛いのなんのって。腫れた卵巣が子宮を押し出しているので器具をグイグイ押し込まれるのが体感できてしまう。痛いっていうか「何かわけわからんブツがお腹に入ってるう〜」気持ち悪くて。結果、子宮筋腫は7個くらいはありそう、小さいけど数多そう、卵巣は結構腫れてそう、とのこと。

売店で手術セット(パッドとT字帯とかがセットになってる)を購入。手術の前後に長時間寝たきりになるため、血栓の予防に弾性ストッキングというのを渡される。

手首にバーコードが印刷されたバンドを巻いてもらい、病室へ。「ここは1日だけ、明日の午後は6人部屋へ引越しです」とのこと。荷物を広げることも無く、病棟を案内してもらう。婦人外科のフロアに消化器系の人も入院しているので女子率が高いが男子もいる。同室は高齢の方で寝たり起きたりという感じ。手術は明後日なので特にすることもなく、病棟を探検する。売店の場所、洗濯機の使い方、浴室(予約制)の利用方法、などなど。夜は21:00消灯。病院のベッドが固くて腰が痛くなりそうな予感。

■2008年03月11日 火曜日

あ、いそがし

長期休暇前にバタバタと案件が舞い込んでくるのが常道である。会社と言うのは恐ろしいところで、日ごろどんなに忙しい人であっても、その人がいなくなったらといって業務が停滞することはほとんどない。つまり概ね会社の忙しさというのは原因ではなく結果なのである。本当にその仕事、必要ですか?と問われて堂々とYESが言える人は少ないものだ。ちょっとしたプロセスの見直しで全然ヒマになってしまうことだってあるわけで、自分の仕事を客観視(事実、他の管理職がフォローするから)できる好機でもある。

明日から入院だっつーのに入院先の病院から電話。「申し訳ないのですが6人部屋のベッドが埋まっちゃったんで差額のある2人部屋に移ってもらえませんか?」がーーーーーん!1ヶ月前に予約したときは「早めに予約しておくと病室が選べてお得ですよ、差額無のベッドはすぐ埋まっちゃいますから」っていうから予約してラッキーって思ってたのにぃ〜!これがホテルだったら「差額料はいただきません」のはずだが病院だとそうはいかないらしい。高額医療の対象にならないので、この分を取り返すのは「確定申告の医療費控除」まで待たねばならない。ことほどさように原油高とかサブプライムとかあれやこれやでサラリーマンの財布はいろんなところで狙われているようである。

■2008年03月09日 日曜日

ねっけーーーーーつ!

広川太一郎さんが3日亡くなったとのこと(新聞)。私が最後に「聞いた」のは去年「獣拳戦隊ゲキレンジャー」にカブリモノキャラクターの声でゲスト出演したとき。「あいかわらず昭和の子供の頭に電波を送るのが好きだなあ東映は」と大はしゃぎであった。声の役どころでは、やっぱトニー・カーチスである、古代守のほうはすでに当時大人の階段を上っていたのでイマイチである。実物はちょっとダミ声なのだが、あのシュッとした二枚目には広川さんの声のほうが適切である。そしてトドメはラジオ関東(当時)がやっていた深夜放送「男達の夜かな」である。リスナーからの伝言を受け付けていて広川さんに読んでもらえて、コメントまでもらえるというファンにとっては夢のような番組であった。これに、酔っ払った佐々木功(ささきいさお)さんがしばしば乱入し、ラジオドラマ(ぶっつけ本番、バリバリの生放送)で共演し、台詞を間違えては広川さんに「いさおクン!ダメじゃないかあ!」と怒られていた。ご冥福をお祈りしたい。追悼番組はぜひ東京12チャンネルでお願いしたい。

■2008年03月05日 水曜日

採血(2)

手術前の自己採血2回目。これで合計800CCである。多少、余裕を持って採血室へ到着したのだが当日同時に4人採血するはずなのに2人目以降が続々と遅刻。一人は妊婦さん、もう一人は齢70を越していると思われる高齢の男性、残り一人が来ない、呼び出し放送をしても来ない。病院にはいるはずだと看護士さんたちもソワソワしはじめた。一番乗りの筆者はかれこれ30分以上もベッドに寝ているので徐々に眠たくなってきた。採血の時にはリラックスするのが肝心ということで癒し系の音楽もかかっており、アロマオイルもかすかに漂って・・・・とそこへやっと最後の一人が来たのだが、これがまあさらに高齢な女性。ベッドに寝るのも「よっこいしょ」「あ、つかまって下さい」「はいはい」てな感じで、おいおいこんな枯れ木のような腕から血を採るのってヤバくね?と余計な心配をしてしまった。

さて来週はいよいよ入院である。なんかドキドキしてきたぞ・・・

■2008年03月02日 日曜日

粉の季節

とうとう今年も花粉の季節がやってきたらしい。黄砂とかも飛んできたらしい。核実験をじゃんじゃんやっている中国の砂漠から飛んできた砂なんて御免だが、花粉も人的被害としては結果としてツライ。理不尽なクシャミが15連発、悲しくないのに涙が出てくるし、で今年もトレーネ鼻炎薬のお世話になっている。例年は眠くもならず多少喉が渇く程度だったのに、今年はどういうわけか眠気が強くて、熟睡モードに突入してしまう。これもひとえに年齢(とし)のせいなのかも。

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※本文中敬称略


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「日のあたらない邦画劇場」

file updated : 2008-05-06