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2006年02月号


※新しいものほど上にあります。


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■2006年02月25日 土曜日

 「お仏壇のご用意はお済でしょうか?」

 すばらしいタイミングの売り込み電話である。「お宅さまは今回はじめて仏壇をご用意されるのですか?」の「今回」というところに注目だ。ここ数日「自治会の××ですが」という電話が2件、日中地元にいない筆者にとっては面識はない人から電話があった。最近のトレンドとして自宅で不幸があっても近所には知らせないのが我が地元周辺である。ましてや葬儀告別式のお知らせを掲示板に貼りだすのは香典泥棒や空き巣を呼び寄せるようなものなのでNG。よほど経済的に困っているとか人手がない場合は別であるが。筆者の場合も町内には知らせていないので、どこから情報が漏れたかというとおそらくは告別式(2月17日)の後、供花数個を自宅へ運び入れたとき葬儀社の車が出入りしたのでそれを目撃した近所の衆から連絡があったものと思われる。もちろん、その自治会の某という人がホンモノならば、の話だが。そしてたちまち自宅の郵便受けに香典返しのカタログと仏具屋のダイレクトメールが毎日入るようになった。日本の個人情報の保護のレベルなんてこんなもんだ。

 四十九日と納骨は石屋に一任。宗派を伝えて、石に彫る情報(俗名、戒名、享年、命日)をFAXで知らせる。メールじゃだめ?第二水準とか使ってると文字化けするしねえ、なんとかしろよ!ビルゲイツ!あとは塗りの位牌を手配しに花粉まみれになって仏具屋へ。四十九日は前倒ししても良いそうなので42日目に行う。仏教では7日ごとに色々と行事があるらし。ちょうど彼岸シーズン真っ盛りなので寺(ていうか坊さん)も墓地も混んでるそうだ。

■2006年02月24日 金曜日

 本日は会社をお休みして役所と税務署関係のアレコレを集中的に処理。

 実父は昨年丸々存命だったので自分の分とあわせて確定申告へ。税務署の人に実父の死亡を伝えるといつもとは違った超親切な対応であった。そりゃまあ2週間くらいしかたってないし、筆者が女性だったことも奏功と見た。女に生まれてよかったね!当人が死亡しているので準確定申告というのをやることになった。たまたま法定相続人が筆者のみだったので相続に関する面倒くさいあれやこれやが全部クリアだったのは、不幸中の幸いだったと思われる。実父の口座は凍結されている(はず)だから現金で納税を済ませて次は社会保険事務所へ。

 社会保険事務所ってわかりにくいところにあるんだよなあ、筆者の地元は。未払いのアレとか葬祭費とか、葬儀屋の領収証が間に合わなかったので銀行の振込用紙で勘弁してもらい手続き開始。そうそう、久々に本籍地へ行って戸籍謄本もゲットしてきた。ちなみに住民票のある役所へ死亡届を出すと住民票は「除票」になるけど本籍地の手続きが後回しになるから最大で10日くらいかかっちゃうとのこと。次は保険証を返却しに区役所へ行った。

 国保と老齢保険と介護保険と担当窓口のフロアが違うのである、筆者の地元では。区役所に到着したのが16:45だったのでマジで焦った。そこで最初に着いた国保の担当者に「手続きが遅れると困るので全部の窓口へ連絡して帰らないようにしといてくださいね」と頼んでみた。こういうときこそ納税者の強みを発揮すべきだ!まさかと思ったら本当に電話してくれた。おかげさまで17:05分に手続き完了。最近の役人は親切なのか?というとそうではなくて途中で滞ると後の窓口から文句言われるから手続きを簡略化してくれただけのこと。カウンターの向こうの職員に「あとはこちらでやりますから、署名と捺印だけ急いでください」と3回言われたのだった。やればできるじゃん!

■2006年02月20日 月曜日

 久々の会社。先週の忌引最中にも仕事がたまってたんで1日出社したけど(おかげさまで偏頭痛、やっぱ無理は禁物ですな、喪主は)メールがてんこ盛りだったんでとにかくそっちを片付けて、面接とかして、アレコレ忙しい。こういう忙しさが気分転換になるのが分った。

 葬儀が終わったら次は事務的なアレコレが襲ってくる。今週は年金関係(厚生年金、企業年金、)、保険関係(国民健康保険、介護保険)、確定申告、銀行口座の解約やらなんやら事務手続きで大騒ぎになりそう。

■2006年02月18日 土曜日

 今日は葬儀、告別式、初七日。お坊さんには2回、お経を上げてもらう。昨日に引き続き葬祭場は満員状態。偶然なんだとは思うのだがわりと一つ一つのユニットが少人数である。3名から5名という感じで、25名ほどがぞろぞろと棺についてきた筆者のところが実は最大規模だった。そういえば昨晩の通夜も最大でも30名くらいの参列者だったようだ、他家は。社葬でもないかぎりこういうのは静かにやるものだという風潮なのだろうか?そうなったのはおそらく高齢者の葬儀が多かったからだと思う。若い人だとこうはいかないんだろうな、現役だし、失うものが大きすぎるから悲しみもそれだけ大きい、葬儀も大きくなるんだろうね。

 収骨のとき喉の骨を掌に乗せてくれた(葬儀社の人)のだがわりとシッカリしていたので驚いた。体力なくしてたけど若い頃に鍛錬してたからねえ、いや、骨になっても褒められちゃったよ、実父。てなわけで骨は現在、実家でしめやかに安置されている。四十九日と納骨はお彼岸にバッティングするので一人でさっさと済ませる予定。後に続く人たちに負担をかけないやり方を残しておくためだ。前例というのは時として強い後ろ盾になるものである、逆もあるけどね。とにかくなんとかここまで来ました、っていう感じだ。明日は両目が腐るまで寝てやる。

■2006年02月17日 金曜日

 身内のみ、顔見知りのみの20数名で静かな通夜。祭壇は白木のアリモノを一切使わずに、洋花で色を暖色系にそろえた花祭壇にした。供花もパーツとして使うのでどんどんゴージャスに。会社関係をオミットしたので(いや、職場のみなさまには心配かけちゃったけど、本当に大丈夫だったのでご安心ください)名札とかも無し。親類の長老様たちにも「きれい!」「××ちゃん(実父のニックネーム)は花が好きだったからねえ」とコメントをいただく。もちろん、こういう時に文句言う人はいないだろうけどね。

 しかし相変わらずの大混雑。都内では比較的大きな葬祭場を借りたので合計8つの家族が一同に会して(?)の合同葬の趣である。すごいぞ、だってお教がユニゾンだもん。なにせ葬儀屋も2件かけもちという大忙し状態。遺体のケアはさすがはプロ!マジかよ?と思うくらいのいい顔をした実父を送り出せるのはちょっと嬉しかった。闘病が激しかったのでちょっとなあ・・・という顔になっていたのだが。知らないうちに身内の叔母が葬儀社に心づけをしてくれたとの由。ありがとう!Sさん、これは後に続く年少の親戚のときにはぜひ踏襲したいと思った。ちなみに葬儀社に進行役を全部頼んだので喪主挨拶は無し、今日は。

■2006年02月16日 木曜日

 葬儀社との打合せやらなんやらでやっと落ち着いたかと思いきや、明け方になったら偏頭痛で病院直行(CT異常なし、ただし首と左肩(メモを取りながら電話してたから?)が「尋常じゃない緊張状態(医者様曰く)」とのこと)したため大切な会議をぶっちぎってしまった。関係者の方々申し訳ございません、一生に一度あるかないかの状況でした。と、それまでなんでも自分で仕切ろうとしたのが間違いだったと自覚、せーので丸一日グータラ休んで身内の方々にお任せしたところ思いのほかスムーズにアレコレ進行してしまった。いやはや、ここ数日の「なんとかしなきゃ!」は何だったの?と深く反省。

 てなわけで明日はお通夜、明後日はお葬式、とまだまだ難関は続きます。

■2006年02月13日 月曜日

 こういうときこそ人間の地金がものの見事に露出するんだなあ、これが(苦笑)。訃報を知らせたとき、遺族側からは何も言わないのに「●●さんと××さんには俺から連絡するからいいよ、他になにかしとくことないか?」と言ってくれた者もいれば「あれはどうした?こっちはやったのか?ここはこうすべき!」と口で言うだけで自分では何もしてくれない者もいる。最後には「なんで言うとおりにしないの?」という感じのヤンワリとした説教のオマケまでついてきた(爆)。何事も修行ですな。

 遺体は葬議場が超満員なので一時預かってもらう(5日間も!)。「安置場に・・入りますか?」と葬儀社の人に訊かれたので一応、見学しとこうと思って入ってみた。ところがその安置場にもすぐには入れず、入口で搬送車が3台待機という状態。これが本当の数珠繋ぎである。で、その安置場の冷蔵庫20個が埋まっていて、棺もラックにぎゅうぎゅう詰め。その横で葬儀社の人たちがものすごい勢いで(でも丁寧に)粛々とドライアイスを交換したり死に化粧をしたり。「××様の・・・時間は午後1時からです!」「××さん、至急、事務所へお越しください」と業務放送もガンガン入ってくるし、まるでパン屋の工房のごとしであった。

■2006年02月12日 日曜日

 朝7時、病院からの電話で実父の容態があまりよくないとの連絡を受けて行ってみると「さっき・・」と主治医の先生もちょっと意外という表情で言われた。実父はほんとうにあっけなく逝ってしまった。何かできたはずだと思ってもみんな後の祭りである。介護の日々もなにもかも全部持っていかれてしまったようで悲しいというより悔しい感じ。

 葬儀屋はあらかじめ町内の老舗にと決めていた。自治会長やらなんやら顔見知りのほうが何かと好都合だし、評判落とすようなことはしないだろうと言う計算もあった。筆者はこういうところが妙に冷静なのである。ところがその葬儀屋の主人も現在、リハビリ中とのことで親戚の葬儀屋さんを紹介してもらう。遺体はワゴン車で自宅へ運び、枕飾りをした。やっと帰ってこれたけど、もう何も見えないんだろうなあ。葬儀屋さんとの打合せは「簡素に、形式にしばられずに、一つだけ思い切り贅沢に」というコンセプトで進行。営業さんも自分の親戚の紹介だからかなりのディスカウントに応じてくれたらしい。ここがご近所の力というものである。

 てなわけで人生初の喪主体験のはじまり、はじまり。

■2006年02月01日 水曜日

 岡田真澄(あまり知られていないが元東宝ニューフェース、同期は佐原健二、藤木悠、宝田明というノッポさんたち)はその昔、痩せていてエキゾチックでとてもカッコよかった。最近、ブクブクブクブク太ってしまい見る影もなかったが大病後、復帰したらかなり元に戻っていたのでビックリするやら嬉しいやら。やっとファンファン(注:和製ジェラール・フィリップのことである。ファンファン大佐のことではない)が帰って来た!鑑賞に堪える男前は希少なのでみんなで保護しないとね。

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※本文中敬称略


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「日のあたらない邦画劇場」

file updated : 2006-04-01