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生声(1)


筆者が1996年〜1998年ごろまでに聞いた話をダイジェストでまとめてみました。酒が入っている場合がほとんどなので多少、記憶がずっこけている場合があるかもしれませんし、なんとなく場のイキオイとしか思えない発言も入り混じっております。ご了承願います。


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ニューフェースの頃はとても大変だったらしい

◇◇ 『ゴジラの逆襲』におまわりさんの役で出てましたね?

中丸 「そう、よく見つけたね。撮影所に行ったら松江(「デルスウザーラ」の松江陽一プロデューサー)が囚人役で僕には『これを着ろ』と警官の制服を渡された。」

◇◇ 自分だけ?

中丸 「周り(囚人役)はね『おまえニューフェースだろ?でかい面するな!』っておっかない先輩でね。」

◇◇ 気まずいですねえ。

中丸 「そのあと永代橋の上を走ったよ、囚人服着て。」

◇◇ 自分でおっかけて、自分で逃げてる?

中丸 「うん、そう。」

【追記】

ニューフェースをビビらせた先輩方は大村千吉さん、広瀬正一さん等です。メンタルなプレッシャーだけでなく、映画の中でも中丸さんはボッコボコにされてました。

「二人でセットに入ったら彼(中丸さん)だけ警官なんだよ、俺は囚人でさあ。なんでだよ?」(by 松江さん:松江陽一氏)ちなみに松江さんと中丸さんは同期入社。「東大と芸大だから珍しかったんじゃないの?」(by中丸さん)とのこと。

ニューフェースの皆さんは日劇で踊るお仕事もあったそうです。「こっちは腹が空いてるでしょう?客席で女の子がお弁当とか食べてると羨ましくてね。踊るのはすごく大変で二人とも額に白いものが浮いてるから、何かと思ったら塩だった、汗じゃなくて(笑)」(by松江さん)

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時代劇は若い頃から似合わなかったらしい

◇◇ 『宮本武蔵』にも出てますね、大名行列の奴で。

中丸 「よくわかったね。」

◇◇ 「だって時代劇のカツラが全然似合いませんから。(笑)」

中丸 「大名行列の先頭で髭つけてね、奴凧の絵みたいな奴さんだったろ?。僕は昔から顔がバタくさかったから時代劇はね、(助監督が)カツラもってきても僕の顔を見るなり『あ、お前は似合わないからダメだ』って言われた。(笑)」

◇◇ あ、やっぱり?(一同納得して爆笑)

中丸 「『宮本武蔵』にはたくさん出てるよ。」

◇◇ たくさん?

中丸 「通行人でね。」

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デビュー作は本当に幻のデビュー作だったらしい

◇◇ どれくらいの間仕出し(通行人とかそういう必要に応じて使ってもらえる、仕出し弁当みたいなポジションのこと)やってたんですか?

中丸 「2年くらいかな?ずーっと撮影所を歩いてたからね。(俳優を)辞めようと真剣に思ってた。」

◇◇ 辞めなくてよかったですねえ。

中丸 「僕は中学の美術の先生の免許を持ってるから辞めてどっか田舎の中学の先生になろうと思った。」

◇◇ そこへ『動物園日誌 象』の仕事が来たんですね。

中丸 「そう、僕は傷夷軍人の役でね、主人公のエピソードの部分だった。良かったんだけどね。」

◇◇ エノケンさんの。

中丸 「でも編集で全部カットされた。」

◇◇ は?なんでまた?

中丸 「知らないよ、とにかく全部カット。藤本さん(藤本真澄プロデューサー)がね、手ついて謝ったもんな。」

◇◇ 本格的なデビュー作をフイにしたからですね。

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林隆三さんが子供の頃、中丸さんの映画を見たらしい

◇◇ 黒澤監督の『蜘蛛巣城』に出てるんですよね?小姓役で。」

中丸 「三船さんの側でね、前髪のね。」

◇◇ ちょっと意外な役なんですが。美少年でしょ?ああいうの。

中丸 「そこへね、この僕を使ったんだね、黒澤さんは。」

◇◇ 名前はまだ出てない。

中丸 「林隆三がね『子供のころ見ました』なんて言うんだよ。そんなわけないだろう、って。」

◇◇ 10歳違いますから。22歳(当時)と12歳なら『子供のころ』で正解です。

中丸 「そうか、、。」

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黒澤明監督に車をぶつけたらしい

◇◇ 『隠し砦の三悪人』では?

中丸 「うん。志村(喬)さんと岩の上からぴょこっと顔出すんだけど、それだけ。」

◇◇ 黒澤作品は2本だけですか?

中丸 「うん、壊されちゃうからね。馬が走っていると『追いついて!』ってね。『カメラから出ちゃう!出ちゃう!もっと早く!』って。相手、四つ足だぜ。人より馬のほうが大事なのかよ、って。」

◇◇ 馬もビビった!馬は急に大声出す人が苦手ですからね。でも黒澤さんらしい話だけど。

中丸 「『蜘蛛巣城』で、あれから三船さん、少しおかしくなったからな。」

◇◇ 本当に撃ってたんですか?矢を。

中丸 「うん、恐ろしかった。(自宅で三船さんが)猟銃撃ったりしたろ?あの後。」

◇◇ 本当に壊れた?

中丸 「以前とは変わった。(その前は)宿で大酒飲んで『みんな裸になれ』って言ってね。」

◇◇ 三船さんが?先頭きってはしゃいでたんですか?それで?

中丸 「なったよ(笑)」

◇◇ 中丸さんが黒澤監督を車で轢いた、って本当ですか?

中丸 「そんなに凄くないよ。駐車場から出ようとしてあの大きな体にぶつけたんだ。『君、名前は?』って聞かれたから『中丸忠雄です、俳優です』って答えた。そうしたら『、、知ってる』って。」

◇◇ それっきり使って貰えなかったとか?

中丸 「そういや、そうだな。」

◇◇ 笑えませんね(笑)相当、痛かったんじゃないですかね監督は。

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島倉千代子さんは野球が好きらしい

◇◇ 島倉千代子さんと出た『別れの茶摘み歌』が、正式なデビュー作ですか?

中丸 「そう?覚えてない。」

◇◇ 島倉さんとは新宿コマで舞台がありますね、ずーっと後だけど。

中丸 「あの人、野球好きなんだよ。『中丸さん、キャッチボールしましょう』って。僕は中学で野球やってたから。」

◇◇ えー?そりゃ意外ですね。島倉千代子さんって運動神経無さそう。

中丸 「(商業演劇に出始めたころは)僕は舞台の化粧なんか分からなかったから、ほとんど何もしないで出た。そうしたら(自分の厚化粧が目立つから)『中丸さん、もう少し化粧して出てください』って言われたよ。今は覚えたけどね。」

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「地球防衛軍」のことはあまり覚えていないらしい

◇◇ 『地球防衛軍』は?

中丸 「自衛隊だった?僕は。」

◇◇ はい、ヘルメットかぶってましたね。

中丸 「志村喬さんが出てたな。」

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原節子さんに誉められたのが嬉しかったらしい

◇◇ 『私は貝になりたい』は?

中丸 「あれは良かったね。賛美歌歌うんだよ。」

◇◇ でもそのあといきなり『独立愚連隊』ですね。

中丸 「うん。でも(「私は貝になりたい」が)すごく褒められた。原さん(原節子)さんに『あなたいいわ、とてもよかった』って言われたのは嬉しかったけどね。だけど佐藤忠男だけは『佐藤允と中丸忠雄の演技だけはどうしようもない』って言ってたな。」

◇◇ 佐藤さん、簡単に褒めないですからね。

中丸 「名前が面白いなあと思った。佐藤と忠男(忠雄)だからね。」

◇◇ 別にシャレてるわけじゃないと思うけどなあ。(笑)


笑ってはいけなかったらしい

◇◇ 中丸さんってあまり笑ったり泣いたりっていう役が少ないですよね?

中丸 「僕は岡本(喜八・監督)さんから『おまえは絶対に笑っちゃダメだ』って言われていたんだ。」

◇◇ 笑顔がダメだということなんですか?

中丸 「うん。迫力がなくなるからじゃないかな。」

◇◇ 声のイイ人が笑うと素敵なんですけどね。

中丸 「若い頃からいつも実際の歳より上の役が多かったし、戦争映画に出れば兵隊役はやったことなかった、いつも偉い方だった。それで若く見えちゃいけないから低い声を出すようにしてたらこうなった。」

◇◇ 結果的オーライってことなんですね。

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あやうく爆死するところだったらしい

◇◇『太平洋奇跡の作戦 キスカ』から役柄がちょっとイイ方になりますよね?

中丸 「静岡の海岸で撮影したんだ。御殿場でも撮った。最後に通信小屋を爆破するだろう?テストで爆発しなかったんだよ。それでいつ爆発するかわからないところへ『入って!』って言われて生きた心地がしなかった。」

◇◇ で、必死に逃げてますが、あれは本気だと(笑)。

中丸 「うん。とにかく早く逃げたかった。後ろの方で爆発したんだけど、カメラの直前にまで破片がバラバラ落ちてきた。すごかったよ。」

◇◇ 命がけですね、俳優って。

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2002年12月10日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-19