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私家版プロフィール


くどいようですが、あくまでも作者のオリジナルで、おまけに事実と妄想が入り混じってます。


©1962 東宝

□氏名:中丸忠雄(本名も同じです)

□生年:1933年

□出身:東京市(現・東京都)足立区

□学校:東京藝術大学美術学部油絵科中退

□主な出演作品

【劇場公開映画】

「私は貝になりたい」(1959・東宝)、「独立愚連隊」(1959・東宝)、「暗黒街の対決」(1959・東宝)、「電送人間」(1960・東宝)、「太平洋奇跡の作戦 キスカ」(1965・東宝)、「日本のいちばん長い日」(1967・東宝)、「広域暴力 流血の縄張」(1969・日活)、「博徒外人部隊」(1969・東映)、「日本沈没」(1973・東宝)、「社葬」(1989・東映)、「眠らない街 新宿鮫」(1993・フジテレビジョン)、「催眠」(1999・TBS、東宝)

【テレビドラマ】

「遊撃戦」(1965・宝塚映画、日本テレビ)、「37階の男」(1969・宝塚映画、東宝、日本テレビ)、「キイハンター」(1970〜・東映、TBS)、「ふりむくな鶴吉」(1974・NHK)、「ザ☆ゴリラ7」(1975・東映、NET)、「G’メン75」(1975・東映、TBS)、「明治の群像 海に火輪を 星亨」(1976・NHK)、「大鉄人ワンセブン」(1977・東映、毎日放送)、「花神」(1977・NHK)、「水中花」(1979・TBS)、「女たちの海峡」(1981・フジテレビ)、「課長さんの厄年」(1993・TBS)、「ラビリンス」(1999・日本テレビ)、「怒る男わらう女」(1999・NHK)

【舞台】

「屋根の上のヴァイオリン弾き」(1967・帝国劇場)、「アニー」(1978・日生劇場)、「スウィニートッド」(1981・帝国劇場)、「ウイングス」(1982・西武劇場)、「ボーイフレンド」(1984・シアターアプル)、「ファンタスティックス」(1984・下北沢劇場)、「リトルウィミン」(1985・日生劇場)、「にんじん」(1987・中座)、「マクベス」(1987・サンシャイン劇場)、「オセロー」(1988・新橋演舞場)、「カルメンを愛した伯爵夫人」(1992・新神戸オリエンタル劇場)、「スウィートチャリティ」(1992・東京芸術劇場)、「おかる恋歌」(1993)、「乾杯!モンテカルロ」(1995・シアタードラマシティ)、「アンネの日記」(1996・シアタードラマシティ)、「小林幸子特別公演 出雲阿国」(2000・劇場飛天)

【TVCF】

「改源」(1976)、「無印良品 名前はいらない」(1997)、「味の素 カルピスギフト」(1997)、「So−net ポストペット2001 ペットショップ篇」(1997、1998)

【そのほか】

「コーザノストラ」(吹替え)、「プレイタイム23」(メインホスト)

 

□やや詳しい(怪しい?)履歴

1955年、東宝ニューフェース試験に2000人分の4人の競争倍率をクリアして合格、東宝へ入社。

同年「ゴジラの逆襲」でスクリーンデビュー後、約2年半、ひたすら撮影所を歩いて過ごし、1957年「動物園物語 象」でやっとこさ役がついたものの編集で丸々カットされた幻のデビュー作。

同年「別れの茶摘歌姉妹篇 お姉さんと呼んだ人」でヒロインにフラれる金持ちのボンボンというきわめてライトな役どころで正式デビュー。

1959年、「私は貝になりたい」で死刑になる善良な青年将校、「独立愚連隊」で三船敏郎をクルクルパーにした鬼畜副官、1960年、「暗黒街の対決」でキザなギャングの幹部、「電送人間」でサイバーな復讐鬼、など多彩(すぎる)役どころで売り出す。

1962年、「月給泥棒」ではお気楽な営業部長、1963年、「大盗賊」でアラビアンナイトの扮装で悪宰相、「陽のあたる椅子」では女に手の早いデザイナー、「林檎の花咲く町」で(わりと)純情(でもないか)な田舎の高校教師、「戦国野郎」で若大将と対決する敵側の忍者の親方、等、メロドラマの二枚目、残忍な悪役、たんなるお調子者までなんでもアリのキャラクターをこなす。

1965年、「太平洋奇跡の作戦 キスカ」、1966年、「奇厳城の冒険」(三船プロダクション製作)で準主役クラスに格上げされる。

1967年、「ファンタスティックス」のオーディションを受けて落選するも、「屋根の上のヴァイオリン弾き」に学生パーチック役で出演、ただし舞台作品はこの後、しばらくお休み。舞台への出演は養成所時代に中田康子と共演した「海抜三千二百米」(芸術座)がある。

1968年、「バークにまかせろ」と「007シリーズ」を足して2で割ったようなアクションテレビドラマ「平四郎危機一髪」で宝田明が負傷&途中降板した後、脚本家の松浦健郎のご指名で「37階の男」に主演。その後、東宝とすったもんだして同年末、東宝を退社。

1969年、丹波哲郎と池部良がいたさむらいプロに所属、「現代やくざ 与太者仁義」(東映)で他社の映画作品にはじめて出演、テレビは同社の「プレイガール」が初。どちらも「37階の男」でやった女ったらしのイメージがスライドされていてそれなりに見てるほうは笑えましたが、本人はかなり恥ずかしかったらしく、1970年、「キイハンター」に出たときはすっかりカタブツの警察官になっており、以降はもっぱら体制側の役どころに落ち付く。

1998年、突如、So-netのTVCFで同社のキャラクターであるモモちゃんと共演、ファンの寿命を100日縮める。また、同CFが日本広告大賞で銅賞を受賞、放送期間の延長と地域拡大にあたり「すいません、ギャランティ半額でお願いできませんか?」というSo-netのセコい要求に対して「もういいから好きなように使ってください」と投げやりな回答を出す。

2001年、商業ベースの俳優業は引退したらしい。

ちなみに、映画、テレビを通じて映像メディア出演作品の大多数を占めるのはドンパチ系であるが、本人は「嫌いなものは擬斗と火薬」と言い切る正直な人。

※さらに深く知りたい人はこちらへ・・・

●生声

2003年01月03日

【追記】

2002年10月12日〜13日、日韓交流イベントに出演しました。場所はソウル。

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2004-07-05