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妖婆


■公開:1976年

■制作:大映

■制作:永田雅一、徳間康快

■監督:今井正

■原作:芥川龍之介

■脚本:水木洋子

■撮影:宮川一夫

■音楽:真鍋理一郎

■美術:内藤昭

■照明:中岡源権

■録音:大角正夫

■編集:谷口登司夫

■主演:京マチ子

■寸評:

ネタバレあります。


本作品のスタッフとキャストを見ていると、この結果が信じられないかもしれません。なにせね、ええ、これ、オカルト映画なんですよ。

京マチ子でオカルト映画?ほら!凄いでしょ?ワクワクしてきませんか?

大正時代、金山で一山あてた一家・大滝秀治東恵美子の夫婦。長女・京マチ子の婚礼の夜、新郎の新三・江原真二郎は初夜の営みがうまくいかなかった責任を京マチ子のせいだと愚痴るのでした。京マチ子とは従妹でありながらも姉妹同然に育てられた年下のさわ・稲野和子はひねくれた性格なので京マチ子の幸せ破壊工作を開始します。

夫婦仲がうまくいかないのは悪霊のせいだということになり、うさん臭くて全身の毛穴からドスケベが音を立てて噴き出しているような行者・三國連太郎に祈祷してもらうことにした京マチ子は、なんだかんだ言って行者に思いっきり犯されてしまいます。

ここまではなんとなく予想どおり、そんなこんなで夫婦は離婚してしまいます。

関東大震災を経て、家が没落した京マチ子は避難先で知り合った伊原・児玉清と肉体関係を持ちますが彼には北海道に残してきた妻子がいました。つまり京マチ子は東京の現地妻となったわけですが、児玉清の娘が事故死すると、死に目に父親が不在だった娘の死霊にとり憑かれてしまいます。京マチ子は、娘の恨みが乗り移った子供を懐妊しているらしいと、産婆・北林谷栄から告げられ、お守りの代わりに数珠をもらいました。

その頃、稲野和子は優秀な仕立物屋として独立していた京マチ子のもとへやって来ます。しぶといなあ、生き残ったのね。で、稲野和子は自分が江原真二郎を寝取ったと思われていることが不愉快らしく、優秀なシャーマン・初井言栄に京マチ子が自分を恨まないように加持祈祷してもらうのでした。

おい、おい、おい、何が何だかさっぱりわからないぞ!

さらに、だ!稲野和子はガマガエルをご神体にしているらしい宗教の熱心な信者だったので、初井言栄の呪いは功を奏したのだが、神様が京マチ子を見染めてしまったらしく、ていうか、その神様は若い娘の肉体から生気を吸い取って老婆の姿に変えてしまい傀儡として利用するらしいのです。

なんだそれ?てことは、初井言栄も実は若くてピッチピチの娘だったらしいのです。それが何より証拠には、京マチ子へ神様の力が移ったとたんに、初井言栄はミイラになってしまうのでした。

日増しに弱っていく京マチ子、やがて彼女の消息は途絶えます。稲野和子には一人娘・神保美喜(新人)がいたのだが彼女が京マチ子に拉致られてしまいます。狼狽した稲野和子は娘の許嫁・志垣太郎に救出を依頼したのですが・・・。

女の恨みに謎の超人パワーが合体して、積年の恨みを晴らすという、ものすごい映画です。「エクソシスト」とか「オーメン」とかのオカルト映画に便乗しようとした意欲は買いますが、もう見てる限りでは京マチ子の罰ゲームとしか思えません。

ていうか、京マチ子の胸をあらわにしただけで映画館にどよめきが起きるわけですが、すでに徳間書店の子会社になっていた大映と永田プロダクションのなりふり構わない作品です。なんで今井正なんだ?という野暮な疑問はこの際、忘れましょう。

とにかく大女優な京マチ子が、少女から老婆まで身体を張って大活躍する映画でありました、とだけ書いておきます。

2012年08月05日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2012-08-05