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東京の女


■公開:1933年

■制作:松竹キネマ(蒲田撮影所)

■制作:

■監督:小津安二郎、監督補助:清輔影、原研吉、柏原勝、平塚広雄

■原作:「二十六時間」 エルンスト・シュワルツ→小津安二郎

■脚本:野田高梧、池田忠雄、翻訳:野田高梧、池田忠雄

■撮影:茂原英雄、厚田雄春

■音楽:

■美術:金須孝

■照明:中島利光

■録音:

■編集:石川和雄

■主演:岡田嘉子

■寸評:太平洋戦争が始まるころ、検閲でカットされたらしいです。

ネタバレあります。


岡田嘉子は母方がオランダ系、江川宇礼雄はドイツ人とのハーフ、二人が画面に並んでいるとハリウッド映画みたいでした。

売春してるくらいで警察が身辺調査なんかするのかなあ?それとも薬物の密売とかそういう壮大な事件に関わっていたのか?この姉は?実は、かなりな部分がカットされており、共産党がらみの描写だったそうですよ。

学生・江川宇礼雄は姉・岡田嘉子と二人暮らしです。きちんと払い込まねばならない学費ですが、貧乏なので滞りがち、しかし江川宇礼雄はあまり気にしていません、いや、気にしないと除籍になるのですが、岡田嘉子に申し訳ないなと思っているのです。

しかし岡田嘉子はお金を渡してくれました。

昼間は会社の事務職、夜は大学の先生の翻訳、寝る間も惜しんで働いている岡田嘉子。江川宇礼雄は美人で自分のために骨身を惜しまずに働くお姉さんが誇りであり、心から感謝しておりました。

江川宇礼雄にはカワイイ恋人・田中絹代がおりました。田中絹代のお兄さん・奈良真養は警察の巡査です。お兄さんからの情報によると、岡田嘉子は夜になると春をひさぐアルバイトをしているらしいです。それに、警察のブラックリストに掲載されているとか。事の真偽はともかく、江川宇礼雄がショックを受けたら大変、そうです江川宇礼雄はとてもナイーブなのです。

田中絹代はお兄さんが踏み込む前に、江川宇礼雄には告げておきたい。勇気を持って恋人にお姉さんの怪しい職業を打ち明けた田中絹代でありましたが、江川宇礼雄は信じません、信じたくないわけです。

岡田嘉子は昼間の地味なタイピストさんから、夜になるとカフェで女給をしています。髪の毛はソバージュ、ただでさえクッキリした美人顔がメイクでけばけばしいこと甚だしい。清楚なお姉さんとオゲレツな水商売の女の落差が激しい岡田嘉子でありました。

そりゃそうだよね、女手一つで生計を担って、弟を大学まで行かせるわけでしょう?尋常な手口で達成できるはずないよね、と、今なら思うのでありますが、純情ボーイな江川宇礼雄にはそんな不潔な想像力はありません。

涙ボクロをつけて客と売春するために自動車に乗る岡田嘉子。

江川宇礼雄は夜遅くに帰宅した岡田嘉子に、田中絹代から聞いた疑惑について問いただします。田中絹代のお兄さんの職業、冗談やいい加減なリソースで自分にトンでもない話をするわけがない田中絹代ですから、江川宇礼雄はすでに涙目です。

岡田嘉子はもう逃げ隠れできないと覚悟を決めているようです、事実を認定するというよりは否定しませんでした。大ショックな江川宇礼雄、岡田嘉子の顔面にビンタ、ビンタ、ビンタ!おいおい、それは・・・ちょっとどうかと思うが。岡田嘉子、凛としています。弟のために全てをなげうって働いていたお姉さんの苦労を察するどころか、不潔だのなんだのと人格否定しまくりの江川宇礼雄。

いやいや、岡田嘉子の気持ちもわかるのですが、それなら江川宇礼雄としてはそうまでして大学なんか行かせてもらわなくて良かったと、彼の怒りはお姉さんの価値観を押し付けられたっぽい、かつ、お姉さんの身体を汚した遠因がいつのまにか自分になっていたことへの怒りでありましょう。

部屋を飛び出す江川宇礼雄、ショックにうちひしがれているのはバレちゃった岡田嘉子も同様でした。

気持ちの弱い子だから、きっと田中絹代のところで泣いてるかもしれないと訪ねてみれば、弟は不在、でもきっと帰ってくるでしょう、いや、帰ってきてくれて、お姉さんの行為を許すというか努力を認めてくれて、無事に大学は卒業して欲しい。

しかし、そうは問屋が卸しません。そうです、田中絹代のお兄さんは警察の人です。警察官のお兄さんによると、江川宇礼雄は自殺してしまったそうです。

早っ!決断下すの早っ!死ぬ勇気はあっても、現実を受け止める勇気は無かったのね。

自宅に無言の帰宅をした江川宇礼雄、お姉さんの売春にショックを受けて?学生が自殺!こりゃ背後に何かもっと大きなネタがあるんじゃないか?デリカシーの欠片も無い新聞記者が取材に押しかけてきました。今も昔も身内が死んだ遺族に向かって「今のご気分は?」というマスコミは何の進歩もないのであります。

もう取り返しが付かない結果に落胆する岡田嘉子、ただし、彼女は泣きわめいたりはしないのです、怒るのです、生きる勇気の無い弟に憤慨し、姉の苦労を認めなかった弟に落胆し、その弟のことを救えなかった自分の不甲斐なさに、姉は静かに怒るのでありました。

サイレント映画は絵柄がすべてを雄弁に語ります。演奏や活弁は他人の解釈ですから、監督には制御できないのでしょうから、映った画で音声も台詞も語らせねばなりません。

姉の事実を知った江川宇礼雄の怒りの炎はヤカンのスチームが代弁、弟の死を知る岡田嘉子の頭をかけめぐっているであろう走馬灯のような思いは時計が代弁します。演奏や活弁の方々で楽しむのもステキですが、映画は見えている絵柄に集中したいので字幕を読まれてしまったり、アドリブを突っ込まれるは正直苦手です。

小津安二郎監督の戦前のサイレント映画は特にそのように感じました。

田中絹代と江川宇礼雄が観に行く映画はエルンスト・ルビッチほか複数の監督が演出している『百万円貰ったら』(1932年)だそうですよ。大金持ちの遺産を狙う人々の滑稽さを描いているそうです。

2012年05月13日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2012-05-13