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大学は出たけれど(短縮版)


■公開:1929年

■制作:松竹キネマ(蒲田撮影所)

■制作:

■監督:小津安二郎

■原作:清水宏

■脚本:荒牧芳郎

■撮影:茂原英雄

■音楽:

■美術:

■照明:

■録音:

■編集:

■主演:高田稔

■寸評:平成22年現在、15分程度の短縮版のみ現存しています。

ネタバレあります。


サイレント映画です。現在15分程度のプリントしか現存しておりません。

就職難というのは、就職活動をしている人のスキルがどうこういうよりも大概はその時点での経済状況によるものであり、個人では如何ともしがたいというのが実情であります。景気のよいときには就職も売り手市場となり、職業選択の自由もあれば、ヘッポコでも職にありつけますが、逆もまた真なりということになります。

大学を卒業したばかりの高田稔は、毎日せっせと就職活動をしていますが、自分の希望に見合ったところはなかなかありません。これとめぼしをつけた会社に履歴書を持ち込みますが、重役とおぼしき人から「仕事はあるけど受付だよ」と半笑いで言われてしまいました。

「受付」なんて脳みそいらないじゃん!大学出た人間の仕事じゃないじゃん!ナメんじゃねえぞ!

頭でっかちの高田稔は全身プルプルいわせるくらい激昂して会社を出ました。雇う会社としては全然そんな気は無いのですが、就職を断られた側の人間は全人格を否定されたと思ってしまうのがツライところであります。

高田稔の下宿先に故郷から母親が許婚・田中絹代と一緒に訪ねて来ていました。実は、高田稔はすでに就職が決まったとウソの手紙を送っていたので、安心した母親がそれなら同居すればいいんじゃね?ということで田中絹代を連れてきてしまったのでした。

片道切符で東京へ出てきてしまった田中絹代を送り返すことも出来ず、母にもこのままウソついておいて安心させておきたい高田稔は、下宿のおばさん・飯田蝶子に無職であることを口止めしてもらい、毎朝せっせと近所の公園に「出勤」し子供の遊び相手になって夕方になると帰宅していました。

お母さんが帰って残った田中絹代は、朝寝坊の高田稔に出勤を促します。給料を持って帰るわけがないので、とうとうウソをついていられなくなった高田稔は真実を告白したのでした。

田中絹代は夫を支えるためにカフェの女給になりました。高田稔は就職活動を続行しましたが、現状を第三者から見れば立派なヒモ生活です。

大学は出たけれど今じゃ惨めなヒモ生活、絶望した高田稔がふと見上げると、下宿の天井から電球のコードがまるで絞首刑のロープのようにぶら下がっていたのでした。

いや、ダメです、あんなカワイイ田中絹代を残して死んだりしちゃいけません。腹をくくった高田稔は就職を断られた件の会社を再訪して「受付でいいから働きます!」と頭を下げたのでした。それをみた会社の重役は苦労をして精神的な成長を遂げた高田稔を事務職で採用してあげたのでした。

いやあ、良かったですなあ、何事にしても結果が出るということは。自分を高めに自己評価したいのは仕方の無いことですが、世の中は理不尽なのでそんなもんに縛られていては就職活動はおぼつきません。どんな仕事でも、その仕事を好きになる努力をして、どこかに楽しいところを見つけ出したほうが前向きな人生を送れます。

たった15分かそこらしか残っていないプリントで評価をするのはいかがなものかと思われますが、観たまんまの感想としては、人間誰かと一緒にいたほうが頑張れるなあというところです。

戦後はバリバリの二枚目だった高田稔の憂いのあるマスクと、ホッペタがぱっつんぱっつんの田中絹代がとても綺麗な映画です。身につまされる映画でありますが、下宿のおばさんで登場する飯田蝶子の笑顔に救われます。

2012年05月13日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2012-05-13