ぶっつけ本番 |
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■公開:1958年 ■制作:東宝 ■制作:佐藤一郎、山崎喜暉 ■監督:佐伯幸三 ■原作:水野肇、小笠原基生「ぶっつけ本番-ニュース映画の男たち」 ■脚本:笠原良三 ■撮影:遠藤精一 ■音楽:神津善行 ■美術:北辰雄 ■照明:伊藤盛四郎 ■録音:酒井栄三 ■編集: ■主演:フランキー堺 ■寸評: ネタバレあります。 |
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フランキー堺はジャズドラマーから俳優へ進出した人であります。才能があり若い頃から注目されていたまさにスターであります。本作品は日活を離れて東京映画と契約した早々の作品です。主人公は実在したニュースカメラマンの方だそうです。体当たり取材が有名で、最後は映画と同じく殉職されています。役名は「松木」ですが、モデルとなったのは松本久弥カメラマンだそうです。 敗戦後、復員してきたフランキー堺は妻・淡路恵子と無事に再会し、出征前に勤務していたニュース映画会社に復職しました。制作部長・小沢栄太郎、チーフ・佐野周二たちは、学歴は無いけど熱血漢のフランキー堺を暖かく迎えました。 戦後のどさくさ、ニュースは後を絶ちません、しかも血なまぐさい事件や事故が多発していた頃です。 原作にあるモデルの松本久弥さんが実際に撮影されたニュース映像がバンバン挿入されるので、その筋に懐かしい方々には感動ひとしおかと思いますが、そんなこと知らなくても、今みたいに重ね撮りができない銀塩フィルムでまさにぶっつけ本番、一発勝負の映像は迫力満点、その後のニュース映像の教科書のような臨場感です。 つまり、フランキー堺は「普通そういうの危ないんじゃね?」という場所や位置まで突進して撮影していたということです。 当時のニュース映像には遺体や負傷者の生々しい姿が出てくるので驚きます。実際のところ記者のカメラには公開できない写真というのがたくさんあるので、現在ではテレビにも新聞にも遺体が出てくることは無いのであります。ちなみに、新宿駅西口バス放火事件のとき、たぶん、ミスだと思うのですが炭化した遺体らしきものがバッチリ写った写真が朝刊に載っていて正直ぶったまげました。夕刊には同じアングルで遺体が無い写真になってました。 さて、フランキー堺は戦争で休職していたブランクを取り戻そうと、スマートな同僚や後輩・内田良平、増田順二、天津敏、仲代達矢を指導しつつもライバルとして闘志を燃やすのでありました。時には行き過ぎてしまい衝突することもありましたが、仲代達矢は、不器用なまでに情熱的なフランキー堺を尊敬していました。 海上火災を起こした外国船の輸送船を撮影しようとしたフランキー堺は、海上警察の制止をかいくぐり、地元の漁師の子供たちに船を漕がせて現場に接近、あろうことか燃えてる船に乗船して撮影を敢行。いよいよ火勢が強くなったので子供たちはギリギリまでフランキー堺が戻ってくるのを待ってくれましたが、あきらめて岸へもどり、警察に救助を要請してくれました。取り残されたフランキー堺は無事に助け出されましたが、あやうく子供たちを事故に巻き込むところだったと上司から説教されました。 それでもめげないフランキー堺はあの「血のメーデー」の現場にも突進、仲代達矢に脚立を持ってこさせて警官隊とデモ隊が衝突している最前線にカメラを抱えて飛び込みます。当時のデモ隊の主要な兵器は投石、フランキー堺にも命中して出血しながらの撮影となりました。 撮影の行き過ぎを指摘されたフランキー堺は報道から外されてしまいました。妻の淡路恵子はホッとしましたが、失意のどん底のフランキー堺。しかし、戦災孤児の取材を通じて、子供たちの喜怒哀楽をイキイキと捕らえた映像がブルーリボン賞を受賞します。 人間を映す喜びを見出し、一戸建ても手に入れた矢先、フランキー堺は取材中の鉄道事故で死んでしまいました。 ニュース映画のカメラマンの半生記ですが、戦後の日本史をトレースすることができるようになっています。ドキュメンタリータッチが得意な佐伯幸三の隠れた名作と言えるのではないでしょうか。 テレビの台頭によりニュース映画社からテレビ局へ転職するカメラマンたちも多く、臨場感や速報性ではテレビには敵わないけれども、感動を与えられるような映像を目指す、報道であっても「コト」や「モノ」を追うだけでなく、そこに「ニンゲン=ハート」が写っていなければというカメラマンの身上には感動しきりであります。 被害者に「今のご気分は?」という愚問を投げかけてニンゲンを報道したつもりになっている昨今の報道関係者の方は反省していただきたいところであります。 職業人として愚直なまでに真面目に仕事を成し遂げたプロの伝記映画でした。 (2012年04月30日 ) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2012-05-01