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女が階段を上る時


■公開:1960年

■制作:東宝

■企画:森岩雄

■監督:成瀬巳喜男

■原作:

■脚本:菊島隆三

■撮影:玉井正夫

■音楽:黛敏郎

■美術:中古智

■照明:石井長四郎、猪原一郎

■録音:藤好昌生

■編集:大井英史

■主演:高峰秀子

■寸評:

ネタバレあります。


断言しますが、高峰秀子が好きだという人たちには、本作品は人気がないような気がします。

少女と少年が分離していない危うさ、女々しくないそれでいてカワイイ、さらにはいくつになっても思春期と反抗期から抜け切れていない、女にはなれていても母にはなれない、生活感が乏しい、それがデコちゃんです。

バーのマダム・高峰秀子は売り上げの減少をネチネチと三国人の経営者・山茶花究に追求されていました。おまけにその原因は高峰秀子の身持ちの固さらしいのです。

いや、そうじゃなくて、店長・仲代達矢の顔が怖いからではないか?と思うのですが彼は裏方なので違うようです。

高峰秀子の店の元従業員、つまりホステスだった淡路恵子は常連だったブローカーの小沢栄太郎のバックアップで独立し、今ではれっきとしてマダムに収まっています。やっぱり枕営業ができないとダメなのかしら、この業界は。落ち込みつつも、水商売が心底嫌いになる高峰秀子でありました。

そりゃそうだよ、デコちゃん。いくら美人だからって床の間の置物じゃないんだからさあ、せめて勧誘の電話かけるとか、同伴出勤くらいしないとダメでしょう。

小沢栄太郎とのお泊り旅行は生理的にNGだったのか、高峰秀子は別の店に移ることになりました。

彼女にアプローチをかけてきたのは森雅之でした。

あーモリマ、まーた妻子があるくせにデコちゃんの身体を弄ぼうってワケなの!きぃぃっ!

団令子も高峰秀子と一緒に店を移ったのですが、彼女はマダムのことをそれほど慕っていたのでしょうか?いいえ違います、マダムのおこぼれゲットで出世した淡路恵子を目指していたのでした。さすが団令子、ただ者ではありませんね。

大阪の社長・中村鴈治郎(二代目)は高峰秀子との遠距離恋愛を妄想していましたが、ただいまモリマが視界に入ってるデコちゃんがなびくはずもなく、そこをすかさず団令子が横からかっさらったのでありました。

体調不良でお店を長期休職してしまった高峰秀子の実家は赤貧でしたので、その身の上に同情してくれた板金屋の社長・加東大介はモリマみたいにスマートじゃないし、小沢栄太郎のようにやり手でもないのですが、素朴で純情そうなところにグッときてしまった高峰秀子は彼との結婚を夢見るのでした。

安心や安定を求めるのは女性らしいところですが、そうはカンタンに問屋が卸すはずも無く、実は妻帯者だった加東大介の妻によると、亭主は結婚詐欺の常習犯ということでした。

ああ、よりによってあんなアンコ型のオッサンに惚れて振られるなんて、私ってサイテー。いくら病気だったとは言え、なんて馬鹿なの!

心身ともに落ち込んだ高峰秀子はやっぱりというか、思った通りというか、いつも通りというか、森雅之に身体を許したのですが、彼も転勤になってしまい、本妻・東郷晴子と仲睦まじいところを見せ付けられてしまうのでした。

実はシブチンな小沢栄太郎からさらにお金を引き出そうと狂言自殺をミスってうっかり死んじゃった淡路恵子、冴えない中村鴈治郎の金でそこそこ成功した団令子、仲代達矢も含めて男関係をいったんリセットした高峰秀子は、お店で堂々とビジネススマイルができる水商売のプロフェッショナルになったのでした。

これは天才子役の高峰秀子にはツライ役どころですね、大人の女、これ、アンマッチだよなあ。別に高峰秀子じゃなくてもいいもんな、この役は。

つまりデコちゃんの魅力が全然出てこない、デコちゃんじゃなくても成立しちゃう映画はイマイチだという感想です。

ところで映画の中で、高峰秀子が寄って来る男をちぎっては投げ捨てするほど惚れていた亡夫は東宝の脇役だった岡豊です。遺影だけの出演とはいえ、デコちゃんを森雅之と張り合う役どころなんて凄い出世だったと言えますね。

だからズングリむっくりの加東大介との結婚を夢見たのだとしたら、岡豊も罪つくりなことをしたものです。

2012年04月01日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2012-04-02