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究竟の地−岩崎鬼剣舞の一年


■公開:2008年

■配給:Corrosion films

■監督:三宅流

■脚本:三宅流

■撮影:三宅流

■整音:種子田郷

■主演:岩崎鬼剣舞(そのもの)

■寸評:東北を取材するには酒に強くないと無理っぽい。

ネタバレあります。


この映画はNHKアーカイブスによくある昭和の「新日本紀行」じゃなくて二十一世紀の話だというのが驚きです。

完成後、映画祭などで限定公開されていましたが、2012年、東京の東中野にあるポレポレ東中野で一般公開されました。ナレーションは豊川潤

東日本大震災が起こる前に撮影、完成していたのですが、それが今、注目されているのは偶然とは思えません。

岩手県の岩崎鬼剣舞を知っていた人はあまりいない、というか全然いなかったんじゃないでしょうか?

この作品のこともあまり知られていなかったのですが、2012年の今、改めて観客、それも東京の観客の心に届いてしまうある種の「響き」は監督も予想外だったかもしれません。

岩崎という土地には、何世代も前から伝承されている鬼剣舞という舞踏があって、地元の小学生は4年生から、早い子供は保育園から鬼剣舞に接するのです。

岸和田のだんじりのように成人した男子だけが大活躍するお祭りではなく、男も女も、大人も子供も、それぞれの鬼剣舞が存在しているそうです。

地元の小学校が少子化の影響もあって閉校になる、そこで現在、鬼剣舞の白面(白いお面を付けて踊れるリーダー的な存在)は鬼剣舞をみんなで踊ることを企画します。

長いこと地元を離れていた人も、地元は別だけどここに定住した人も、最初はぎこちないのに、身体がメキメキ思い出して踊る、それぞれに型は違うけど全員が鬼剣舞を踊るクライマックスは、欲得づくではない、祖先から伝わる文化を確実に継承していく、人と人の絆、それが何百年も前から繋がっている、そんなモノがまだ日本にあった。

映画の中の人たちは笑ってる、汗かいて踊ってる、なのに見てる観客は泣くんですよ、別にその小学校の卒業生でもないのにね、悲しくないのに泣くんですよ。

いや、実はみんな持ってるはずなのに忘れてるのか?忙しいのか?面倒くさいのか?とにかく無くなってしまっている、心のふるさとでみんなで舞う喜びが、羨ましいのかもしれません。

和太鼓の「鼓童」の藤本吉利が弟子入りしている庭元・和田勇市さんが岩崎鬼剣舞の現在ナンバーワンですが、藤本さんの舞を見て「話になんねえぞ!」と庭元(酔っ払ってるけど)藤本さんが太鼓たたくと庭元(酔っ払ってるけど)「合わせろ!」えー!鼓童なのに?あ、ブランド見てる、ブランドだけで凄いと思ってる都会人=私(汗)

冠婚葬祭、春夏秋冬、岩崎鬼剣舞の一年選手には一年選手の、十年選手には十年選手の鬼剣舞があるという言葉にはっとします。

「俺たちはダンサーじゃねえんだからよお!型なんか意味ない!パラパラでいいんだよ!」(酔っ払ってるけど)「自分で研究せねば、いくら教えたってダメなんだ」(酔っ払ってるけど)先輩諸氏の言葉に笑顔で頷く後輩。地元の高校生も精一杯踊る、お父さんもお母さんもお姉さんもお兄さんも、スカートからパンツがはみ出そうな子供も踊る。

岩崎鬼剣舞の「鬼」には角がありません。邪気を追い払う鬼だから、または、改心した鬼だから、なんて度量の広い鬼剣舞。

岩崎なんて小さな町なんだけど、これが今、日本中がこうでありたいと思う映画になっちゃったんだということ。映画は変わりませんが、観るほうはどんどん変わる、実感した映画です。

ちなみに2012年3月23日のポレポレ東中野の最終日では庭元さんの舞がノーカット上映とのこと。

2012年03月18日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2012-03-18