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女は夜化粧する


■公開:1961年

■制作:大映

■企画:原田光夫

■監督:井上梅次

■原作:川口松太郎

■脚本:斎藤良輔

■撮影:中川芳久

■音楽:鏑木創

■美術:下河原友雄

■照明:渡辺長治

■録音:西井憲一

■編集:

■主演:山本富士子

■寸評:山本富士子の弟を遭難から救ったのは元競泳選手かつ「ブルーバ」の浜口喜博である。

ネタバレあります。


まず、心に留めておきたいことは、山本富士子が演じる主人公の亡父は、資産運用で失敗こいているということです。親が金銭関係で失敗すると、子供はヴァイタリティーが育まれるか、グレるかのいずれかでありまして、当然ですが本作品の主人公は前者でありました。

家計を助けるため、にわか芸者となった山本富士子は、なんとかプロパーの芸者の皆さんと差別化を演出すべく、ギターかかえて座敷で歌う、通称「ギター芸者」として人気を博します。そんなキワモノに漁場を荒らされてたまるものかとばかりに、本職の村田千栄子岸正子は山本富士子をライバル視しますが、もう、見たまんまで圧勝ですから、負け犬の遠吠えにしか聞こえません。

実業家の森雅之は、新築したナイトクラブの雇われママに山本富士子を指名します。初期投資をケチっていては水商売の業界では勝利者とならないことを、身を持って体験している山本富士子は、ホステスと自らの着物に惜しげもなく金を注ぎ込みました。

結果、店は大繁盛。あくまでも商魂たくましい山本富士子は、森雅之に対して精神的にも肉体的にも「パートナー」としての自覚を植えつけんがために、一夜をともにしました。

「ボクが女性によほど興味を持っていると思われているようだね」と森雅之が山本富士子に言い放ち、つまりボクはスケベオヤジじゃありませんよ、と言いたかったのだろう事はわかるのですが、それを聞いた山本富士子(と映画館の観衆のほとんど全員)は「うん、そうだよ」と心の中で即答しました。

実業の世界では、情実は通用しないというのが正論ですが、所詮、やってるのは人間ですので、情もビジネスツールとしては大変に有効なのです。

山本富士子が貢ぎ型であること、弟みたいなかわいいボクちゃんには弱いということは、彼女の弟・川畑愛光 に対する溺愛でわかります。

てなわけで、かつては新劇の女優を目指していた山本富士子は、当時、知り合った若い音楽家・川口浩のことが忘れられないのでした。あんなボンヤリしたボンボンのどこがいいんだ?目の前にいるのはモリマだぞ?オマエの目は節穴か?などと山本富士子を責めてはいけないのです。モリマはオッサン、川口のボンボンは正真正銘のボクちゃんですから。

川口浩も山本富士子に熱愛してしまい、大切な海外での公演を恩師・上原謙にセッティングしてもらったにもかかわらず、すっぽかしてしまいました。これで当分、クラシックの業界では生きていけない川口浩でしたが、音楽は天才的なので、山本富士子のお店でジャズピアニストとして活躍、いわばお座敷芸を披露して、お茶を濁す毎日でした。

それでも山本富士子と一緒にいるのが幸せな川口浩でしたが、川口浩のご実家ではお父さん・清水将夫、妹・叶順子が、川口浩の才能を惜しんでなんとかカムバックさせようとしていました。特にお兄さんのライバルである田宮二郎には負けたくないと、メジャーな音楽家に水商売の女の噂は如何なものか?叶順子はあのステキな目力で山本富士子にクンロク入れたりするのでした。

山本富士子は決心しました。まだ貧乏で芽の出なかったころの思い出の場所で川口浩と決別した山本富士子でありました。

現代の倫理観では、別に別れなくてもいいんじゃないの?とは思うのですが、確かに、山本富士子が川口浩を溺愛してしまうため、苦労や障害を取り除くために、必要以上に川口浩の可能性をダメにしてしまうかもしれないという、上原謙と清水将夫の見解には一理あります。

本命が川口浩、キープが森雅之、さらに上原謙と田宮二郎が完全にサブキャラというのは女冥利につきるというものです。従いまして、この役どころは山本富士子しかありえないと言っておきましょう。

山本富士子がとっかえひっかえするゴージャスな和服が、まるで高級な着せ替え人形のようでした。

井上梅次監督(客の中に怪しいのが一人いたな・・・)好みの音楽映画の一本。ついでに言えば、指揮者をやる川口浩には見るべきものがありませんが、上原謙だといかにも「らしい」のです。そりゃそうです、上原謙は立教大学の吹奏楽部の出身なのですな。

2012年01月29日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2012-01-29