真空地帯 |
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■公開:1952年 ■制作:新星映画、北星 ■制作:嵯峨善兵、岩崎昶 ■監督:山本薩夫 ■原作:野間宏 ■脚本:山形雄策 ■撮影:前田實 ■音楽:団伊玖磨 ■美術:川島泰三 ■照明:伊藤一男 ■録音:空閑昌敏 ■編集: ■主演:木村功 ■寸評: ネタバレあります。 |
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真空管、その中には何もありません、空気もありません、生物が生きられる場所ではありません。 つまり、軍隊というところは戦争するという目的以外のあらゆる感情を取り去る、人間の心を貶めて抜け殻にするところなんだということです。雑念を払うと言えないこともありませんが、死ぬかもしれない戦地に赴く兵器として訓練するのが目的ですから、恐怖や感傷などの人間性は無いほうが良いのです。 そうでなければ、人を殺すことも、確実に死ぬかもしれない突撃なんかできるわけがないのです。 主人公の陸軍一等兵(元は上等兵)・木村功は2年ほど刑務所に服役していて、戦局が厳しくなってきたこともあって、原隊へ復帰させられます。すでに同年兵は満州へ送られてしまい、隊には知らない兵隊ばかりでしたから、木村功の過去を知っている人もいませんでした。 つまりそれくらい入れ替わりが激しい、いつ最前線へ送り込まれるか、みんなビクビクしているところなわけですから、そういうストレスが溜まる閉鎖された空間ではイジメが発生しやすいものです。しかも、上の人間に絶対服従するという方向性は、たぶん軍隊の教育目的とあながち乖離していなかったので、上官も見て見ぬフリです。 上等兵・佐野浅夫や花沢徳衛は学歴のコンプレックスもあるので、高学歴の学徒で召集された初年兵・三島耕らを眼の敵にしてます。というよりも三島耕があまりにも不器用で怠惰だという理由もありますが。 木村功は四年兵、佐野浅夫は三年兵でしたから、位は上の彼らでも木村功には手を出せません。一応、2年間、病院に入院していたことになっている木村功ですが、作業もしないし態度も大きい、しかしそれでも入隊が午前か午後かという些細な違いでも上下関係が生まれる軍隊では、木村功に教育的指導をできる上位の兵隊はいませんでした。 事務室にいる下元勉は一等兵でしたが、インテリでしたので、人事関係の重要な仕事も上官から任されていました。上等兵たちは彼にも一目置いています。なぜなら、自分たちがいつ最前線へ送られるか、情報を知りたいからなので、上等兵たちは下元勉に対しては総じて丁寧に対応していました。 この隊の実質的な支配者は准尉・三島雅夫でした。現場を取り仕切っているのは軍曹・西村晃。ですから新任の中隊長・神田隆も彼らの言いなりです。 木村功の過去を知っている経理班長・金子信雄は、なにかと彼の面倒をみてくれます。木村功はかつて、金子信雄と同じ経理部にいましたが、彼とは違う上官の下で働いていました。経理部というところは、物資の横流しや公金横領で甘い汁を吸っていたので、金子信雄の親切は、そのカラクリを知っている木村功に余計なことを言わせないようにするためです。 経理部の権力争いで、木村功は当時の中尉・加藤嘉と対立している士官の派閥だと思われていたため、たまたま落ちていた財布を拾っただけなのに、加藤嘉から窃盗の濡れ衣を着せられて刑務所送りになったのでした。いくら真実を証言しても法務少尉・岡田英次(ちなみに本作品のナレーターも岡田英次)は取り合ってくれませんでした。 作業をサボっていた三島耕に一等兵・高原駿雄が馬糞を食わせたり、それが原因で三島耕が脱走したり、下元勉が学徒兵に貸した書籍が無許可だからと言う理由で学徒兵が制裁を受けたり、レベルの低い悲人道的な行為が日常的に繰り返されていきます。そして、下の兵隊は牛や馬なみの扱いなのに、下士官たちはあいかわらず汚職を続けているのでした。 そんな軍隊で、木村功が心情を吐露できる相手は理性的な下元勉だけでした。 いよいよ前線送りの兵隊が決まったようです。木村功は選から漏れていました。佐野浅夫は木村功の過去を大声でばらしますが、ついにブチギレた木村功が上も下も容赦なく全員をビンタします。上官の汚職の事実を知っている生き証人で、刑務所帰りの問題児にはもう怖いものは何も無いのです。おまけに惚れていた芸者は、自分が送ったラブレターを、憲兵にあっさり差し出した過去も事実もありましたから、もうとっくに、恋人にも見切りをつけていたのでした。 満州から戻ってきた加藤嘉を襲撃した木村功は、加藤嘉の自己保身アリアリの言い訳を聞かされてさらに絶望、ついには脱走を試みますが雨で足がすべって失敗します。 金子信雄は三島雅夫と謀って木村功を前線へ送ることにしました。 戦争をくぐった世代が作る戦争映画というのは生々しいので、実際に体験していない世代にとっては貴重な資料映像(ただし、あるバイアスのかかったフィクションであることも忘れちゃダメ)という価値もあります。かねてより、最近の映画やテレビドラマでは、大戦末期の兵隊や民間人の服装が妙にキレイすぎるなあと思っていたのですが、本作品では、銀幕から匂ってきそうなほどの兵隊服の汚れっぷりが見事でした。 主人公の木村功の焦燥感は戦後しかしらない世代には共感しづらい部分がありました。というのは、共感しやすいように、主人公を妙に「いい人」にしていない、手加減していないからだと思います。こうした永遠に埋まらないギャップこそが、この映画の訴求力を高くしていると思われます。 もうすぐ絶滅するであろう戦中派の貴重な体験を追体験するには好適ですが、おそらく、当時、金子信雄や三島雅夫だった人たち、生き残っている一部の方々にとっては、触れて欲しくない過去かもしれませんが。 (2011年10月16日 ) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2011-10-17