母を讃へる歌 |
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■公開:1939年 ■制作:松竹 ■制作: ■監督:原研吉 ■原作: ■脚本:野田高梧、森山李子 ■撮影:厚田雄春 ■音楽:篠田謹治 ■美術: ■照明: ■録音: ■編集: ■主演:吉川満子 ■寸評:当時は渋谷区の富ヶ谷なんて、東京の田舎だったんですよ。 ネタバレあります。 |
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建築会社に勤めていたサラリーマン・斎藤達雄が、ある日、現場の事故で急死してしまいます。残されたのは未亡人・吉川満子、長男、長女、次女、三人の子供です。経済的にはあまり芳しくありません。自宅の不動産は残りましたが、会社からはわずかな弔慰金と退職金しか支払われませんでした。このままでは、子供三人を育てていくためには、吉川満子が働くしかありません。親戚たちは一人くらい養子にもらってもいいよ、と言ってくれますが家族がバラバラになることだけは絶対に避けたい吉川満子でありました。 母の意地、というより夫の忘れ形見を軽々に手放すことは責任放棄のように感じたのでありましょう。 早速、広い自宅は売りに出して、手狭ですが、身体の虚弱な長男の健康にもよいだろうと東京郊外の家に引っ越すことになりました。そして10年後。 長男・三井秀夫(三井弘次)は高等学校の二年生で寄宿舎生活です。長女・三宅邦子は学校を卒業後は家事手伝い、次女・三浦光子はまだ女子高生です。 吉川満子は保険の外交員として働いていました。元々、センスがあったのでしょうか、小口のお客さんをバリバリとゲットしてくる彼女はその事業所でもトップクラスの営業成績でした。先輩の男性社員の中にはそんな彼女を生意気だとか、女だから同情を買ってるんだとか、ヤッカミを言い出す輩もいましたが、部長は彼女の手腕を高く評価していたのでした。 女性のほうが気楽に家の玄関の戸も開こうというモノです。会社に食い込んでも集団就職してきた若い工員などはまだまだお母さんのオッパイが恋しいですから、同じ年頃のおばちゃんに優しくアプローチされるとついつい人生相談などをしてしまい、そこに食いつかれて様々な保険の契約を結んでしまうものです。 若くて色っぽい方なら枕営業ということもありえます。が、ほとんどの女性外交員の方々は真面目で、かゆいところに手が届く、細かな気遣いができるのです。そこが、男性とは大きく違うところなのですね。 それは、現在でも同じでしょうから。つまりは、吉川満子はニッセイのおばちゃん→生保レディーの元祖ということになりますね。 さて、ある日、吉川満子への不満が鬱積していた男性社員が酔っ払って彼女の自宅へ上がりこみます。ちょうど、父親の命日で帰宅していた三井秀夫は、男性社員の、酒の勢いとは言え横柄な態度と母親を侮辱する言葉の数々にキレてしまい、男性社員をぶん殴ってしまったのでした。 先に手を出したのは男性社員ですが、結果的に負傷させてしまったので、責任を感じた吉川満子は辞表を書きました。たちまち家計は火の車になります。三井秀夫は学校を辞めると言い出しますが、子供に苦労をかけさせないために、これまでむかっ腹の立つことも我慢してきた母の苦労が台無しになりますから、それは許さない母親でした。 しかし捨てる神あれば、拾う神あり。すでに、他の保険会社にも彼女の手腕は知れ渡っていたので、すぐに再就職ができそうです。一戸建てからとうとう貸間へ引っ越した一家でしたが、母親はまた働き始め、三宅邦子もお勤めに出ました。 そして「母を讃える歌」のコンクールに入賞した三浦光子はお友達と一緒に、ラジオで歌を歌うことになったのでした。 職業婦人の社会進出を応援する、お涙頂戴なドラマですが、何事にもパイオニアというのは苦労するもののようです。実際、吉川満子が働いていた保険会社にも女性事務員はいますが、外交員つまり営業職は彼女だけのようでした。 しかしながら、子供の頃はそこそこかわいい少年・爆弾小僧だったのに、成長したら、とても高校生とは思えないオッサン顔の三井秀夫(三井弘次)になってしまったので驚きました。お父さんがダンディーで長身の斎藤達雄、お母さんがすらっとした日本美人の吉川満子、お姉さんが三宅邦子、妹が三浦光子なのに。なぜ長男だけが猿顔でおまけに老けすぎているのでしょう。きっと彼だけ、謎の集団に途中ですり替えられたに違いありません。 誰に?実は本作品、SF映画なんですよ(大ウソですよ)。 (2011年10月10日 ) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2011-10-10