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ある大阪の女


■公開:1962年

■制作:宝塚映画

■企画:藤本真澄、金子正且

■監督:須川栄三

■原作:溝口健二 「浪華悲歌」

■脚本:依田義賢、須田栄三

■撮影:遠藤精一

■音楽:平岡精二

■美術:加藤雅俊

■照明:下村一夫

■録音:中川浩一

■編集:

■主演:団令子

■寸評:

ネタバレあります。


「浪華悲歌」と同じところは、主人公の名前、お父さんが甲斐性なし、ヒロインは家族思い。得られる教訓は、愛人になるときは相手を選ぼう、です。

本作品は宝塚映画の制作なので、初風諄、黛ひかる(注:山崎努さんの奥様)、萬代峰子、東宝映画ではあまり見かけないタカラジェンヌが出演しています。

主人公・団令子のお父さん・藤原釜足は会社の金を使い込んだらしいです。このまま返済できなければお父さんは犯罪者になってしまいます、ピンチの団令子。ただでさえ、貧乏で、まともに稼いでいるのは自分だけ、ロクデナシの弟・勝呂誉はニートで反抗期です。

彼女の妹・初風諄だけはまだウブで素直な良い子なので、団令子は強いて言えば彼女の将来だけがとても心配です。

団令子が勤め先の社長・小沢栄太郎から預かったのは、社長である自分の奥さん・萬代峰子にはナイショで株屋の山茶花究と一緒にへそくっている大金でした。恐妻家のくせに団令子に気のある社長のお金ですから、彼女はお父さんの借金返済のために、銀行へあずけるように言われた大金をネコババします。

同じ会社に勤めて、職場も同じ(っても小さい会社だから部署はそんなに多くないですけど)で席も隣の川崎敬三は、団令子と一緒に野球を観に行ったりしてデートを重ねています、当然ですが肉体関係もビンビンです。いずれ結婚する気のある団令子でした。

大金をネコババした団令子ですが、小沢栄太郎の愛人になることでチャラにしただけでなく、恐妻家のツボを刺激して、せっせとオネダリ、ついには独立してアパートを買い与えてもらうことに成功します。家電も買い揃えて、奥さんの目を盗んで浮気三昧の日々、当然ですが会社は実質上、休職状態のうえに川崎敬三には行方すら知らせていません。

しかし、愛人のアパートで体調を崩した小沢栄太郎が主治医の田部謙三を電話で呼びつけたところ、馬鹿な田部謙三が実家へ駆けつけてしまい、奥さんに浮気がバレてしまいました。一度は開き直った団令子ですが、金づるを押さえ込まれては抵抗できません、家財道具一式を巻き上げられてしまいました。

アパートを追い出された団令子はあの荒んだ実家へ戻ります。こうなったら川崎敬三とヨリを戻して、亭主にジャンジャン稼いでもらう筋書きでした。そのために、彼氏から頼まれた借金を小沢栄太郎に持ちかけましたが、これも失敗でした。

ところが川崎敬三はヘラヘラしてるくせに、実はかなりしたたかな野郎で、団令子が行方不明になったのをこれ幸いに、新しく隣の席に座った事務員のお姉さんを垂らしこんでいました。

団令子、哀れなことに二股かけられてしまいましたが、本人はまったく気づかず。

やさしい妹の初風諄は、お姉さんが実家に戻ってきて欲しいのですが、団令子は意地を張ってついに仲たがいをしてしまいました。

一方、弟の勝呂誉ですが、ステキな恋人・黛ひかるがありながら、そのお父さんが管理しているタイヤをちょろまかして換金したりしています、お姉さんにも反抗します、ま、愛人生活のお姉さんにキレるのは仕方ないかな、とは思いますがそんだけ言う口があるなら少しは働けよ、と。

団令子は新たな愛人として、株屋の山茶花究と愛人契約を結びますが、コイツは小沢栄太郎よりもはるかに上手でした。

アパートで川崎敬三と密会予定の夜、山茶花究の待ち伏せにあってしまった団令子はとうとう自分も二股であったことを認めましたが、山茶花究に馬鹿にされたことに逆ギレして、山茶花究のド頭にビール瓶をクリーンヒットしてしまい、傷害の現行犯で逮捕されました。

ハゲの刑事部長(注:後頭部のみの出演)・内田朝雄の取調べを受けましたが、小沢栄太郎と奥さん、山茶花究、川崎敬三にいたるまで、誰一人として彼女を弁護する者はいませんでした。団令子のように捨て鉢な生き方をしていない、守るべきものと将来性のある人間は、いざとなったら自分が一番だと言うことを団令子は思い知るのでした。

主人公は自分の若さや美貌に男たちが惚れているんだと勘違いしていたわけで、それはつまり男たちにしてみれば快楽を得るための、単なる便利な道具に過ぎず、決して団令子が目的ではなかったのです。

いくらなんでもこれだけイヤな目に遭えば普通は改心するものですが、もらい下げに来た父親の藤原釜足に「今度は上手くやったるわ」と言い残して、団令子は街の雑踏に消えて行きます。

団令子をはじめて良いなあと思った映画でした。

そうです、モテない団令子、勘違いする団令子、しかしそれを跳ね返すヴァイタリティ、最後に見せたしたたかさ、きっとまた同じ目に遭うんだろうなと思いながらも天晴れな感が残る。

「浪花悲歌」をまったく思い出さない本作品、山田五十鈴と団令子の美貌差がすべての原因であると同時に、またく新しい作品として素晴らしくリメイクされています。

こういう換骨奪胎は素晴らしいなと思いました。

冒頭の野球場のシーンにダフ屋役で藤田まことが顔を出します。

2011年08月07日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2011-08-15