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嵐を呼ぶ楽団


■公開:1960年

■制作:宝塚映画

■制作:杉原貞雄

■監督:井上梅次

■脚本:若尾徳平、井上梅次

■撮影:岡崎宏三

■音楽:多忠修

■美術:鳥居塚誠一

■照明:下村一夫

■録音:鴛海晄次

■編集:

■主演:宝田明

■寸評:

ネタバレあります。


日本にミュージカル映画が定着しなかったのは日本人に人前で歌うという習慣がなかった、または、はしたないという感覚があるからというのも一因だと思います。

赤毛モノなら、宇宙人と外国人の区別のない日本人は平気でしたから「アニーを銃を取れ」は許せても「アスファルトガール」や本作品を観ているとケツがムズムズしてくるという日本人の皆様は多いと思います。

お父さんが伝説のジャズメンだった宝田明(以下、おタカ)は、今ではしがないクラブのバックバンドで臨時雇いのピアニストですが、興が乗ってくるとついついアドリブをかましてしまうため、歌手・雪村いづみに説教されてしまいます。

お母さん・水戸光子のはからいでドサ周りのジャズバンドに雇われた宝田明はそこで、熱血馬鹿のラッパ・高島忠夫(以下、ボン)と意気投合します。

博多のクラブに出演中、あまりの不入りにバンマス・弘世東作とマネージャー・山茶花究が夜逃げをしてしまったため、宿屋の主人・柳家金語楼の温情ある処置で、布団部屋に人質として軟禁されたおタカとボンは、その家の長男・神戸一郎がジャズに傾倒して勉強がおろそかになっていることを知り、彼の説得役を買って出ますがものの見事にミイラ捕りがミイラになってしまい、布団部屋住まいが継続します。

神戸一郎と、博多で知り合った歌の上手な流しの兄ちゃん・水原弘(以下、お水)、そしてジャズ好きな旅館の番頭さん・森川信柳沢真一の手引きで無事に旅館を脱出したおタカとボン。大阪に実家へ戻ったおタカのところへボン、お水、さらには家出してきた神戸一郎、さらにさらにサックス大好きな国鉄の車掌・江原達怡まで転がり込んできます。

神戸一郎を探しに来た柳沢真一を含めて、ピアノ、ラッパ、ギター、タイコ、サックスが揃ったので宝田明はお父さんを越えるようなビッグバンドを結成し、かつて自分を馬鹿にした雪村いづみを見返すことを誓って、お父さんが世話になっていたプロデューサー・安部徹に売り込みを依頼しますが、実績の無い彼らは相手にされませんでした。

キャバレーの専属バンドのオーディションに応募したおタカたちは、そこで腹ペコの歌手・朝丘雪路と出会います、ボーカルも確保したメンバーたちは、マネージャー・立原博にも見込まれて晴れて採用となりました。

めきめきと頭角を現わしたおタカの楽曲センスが評判を呼びます。創作ミュージカル「ジャズの歴史」はレビュー作品として大ヒットしました。

雪村いづみも大物歌手として姉でありマネージャーでもある環三千世とともに、おタカと再会しますが、意地っ張りなおタカは彼女とまたもや喧嘩別れをしてしまいます。

バンドのメンバーも増えておタカもますます忙しくなります。ついに雪村いづみをゲスト歌手に迎えるまでになったバンドですが、急速に接近する雪村いづみとおタカに対して、バンドの結成以来、彼のことを好きだった朝丘雪路は身を引く決心をします。

彼女に同情したのは、朝丘雪路にオカボレしていたボンでした。

朝丘雪路が糟糠の妻なら、雪村いづみは勝利者の勲章です。おタカはそのいずれもチョイスしませんでした。それどころか、バンドの名声を拡大することに血道をあげるようになったので、オリジナルメンバーたちは次々と脱退します。

新メンバーとのアンサンブルは壊滅的で、東京進出も大失敗、バンドは解散してしまいました。

努力・友情・勝利、まさに少年ジャンプの世界をミュージカルで再現した本作品。

正直なところ、臆面もなくいきなり歌いだしたり楽器を演奏する不自然さは否めないものがあります。ていうか、イイトシした大人が恥ずかしくないのか?という感じ。

平成の今ならカラオケやら、ウエラブルなミュージックプレイヤーなどあって、街中でリズムとったり、人前で歌うのもある程度、容認されましょうが、それにつけても台詞が音楽的であるというより、無理やり歌に持ち込む展開はどうにもこうにも、慣れませんでした。

それでも後に映画に見切りを付けて赤毛モノのミュージカルで一山当てるボンとおタカなら許容範囲と言えなくもありませんし、お水や神戸一郎や柳沢真一、雪村いづみと朝丘雪路は専門家ですが、なんとかして欲しかったのは「ワンフレーズくらいは楽器ちゃんと演奏しなさいよ!」という俳優たちの技術的な努力の無さです。

チャンバラするなら殺陣を覚えるでしょう?お茶の映画ならお点前を一通り習うとか、全然ないんですよ江原達怡をはじめ他のメンバーもチラホラ。

日本にミュージカル映画が定着しなかったのは技術力の低さというのも一因だったな、と再確認してしまう映画でもありました。

2011年07月18日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2011-07-24