「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


鰯雲


■公開:1958年

■制作:東宝

■制作:藤本真澄

■監督:成瀬巳喜男

■原作:和田伝

■脚本:橋本忍

■撮影:玉井正夫

■音楽:斎藤一郎

■美術:中古智

■照明:石井長四郎

■録音:藤好昌生

■編集:

■主演:淡島千景

■寸評:


ものすごい田舎の話だと思っていたら、神奈川県の厚木市が舞台でした。このように、時間の障壁というのがどんどん厚くなっているため、少し前のことを理解するにはその世界観を理解しないと、ドン引きです。

昔、田舎のほうでは兄ちゃんが近所の婦女子と一発ヤって出来た子供をわりとフランクに認知してたりするというおおらかな時代があったため、本作品に登場する、近所の娘ッ子と一発ヤッて妊娠させたくらいで大騒動になったりはしないのです。

美人の後家さん・淡島千景は農家に嫁いで、男の子・山内賢という跡取りを授かった後、旦那が亡くなった後も姑・飯田蝶子によく仕えて、女で一つで農作業から家事と育児までこなしていました。

姑の実の娘は東京でサラリーマンに嫁いでいて共稼ぎで収入も安定しているらしく実家へ仕送りもあり、子供が生まれたので育児ヘルパーとしてお母さんにお願いするらしいです。

農家の嫁と耕運機一台と、等価交換くらいの概念が普通なので労働力としての価値が低い嫁は早々にチェンジさせられてしまうのですが、淡島千景は文句ブーブー言いながらも日々、こき使われているのでした。

淡島千景は元大地主だった家の出で、実家は本家と呼ばれており当主・中村鴈治郎は実兄です。本家と言えばセレブですが、嫁に対する価値観は一般家庭と同様なので、中村鴈治郎の嫁は3人目。特に最初の嫁は長男・小林桂樹をもうけながらも身体が弱かったので、先代当主の一存で離縁させられてました。現妻・清川虹子は馬力はありましたがデリカシーはありませんでした。3人もお母さんが代わっているため、本家は長男、次男・太刀川洋一(寛)、三男・大塚国夫、その下に長女、次女、四男までいますがそれぞれ微妙にお母さんが違っています。

長男の小林桂樹の嫁探しを依頼された淡島千景は、農家の嫁さんの実態を取材に来た新聞記者・木村功の紹介で、さらに山奥に住んでいる美人の娘に会いに行きます。娘・司葉子の母親はなんと中村鴈治郎の最初の妻・杉村春子でした。

え?それって近親相姦とかにはならないの?ご安心ください、杉村春子はその家では後妻さん、司葉子の義理のお母さんなので直接の血の繋がりはありません。

東宝映画では小林桂樹と司葉子はほぼ必ず結婚するので、本作品でも二人はすぐに結婚することになりますが、本家のプライドに固執する中村鴈治郎としてはド派手な結婚式を挙げたいところ。それには資金が足りませんので、三男の大塚国夫を分家・織田政雄賀原夏子の娘・水野久美の婿養子にして、分家の田んぼを本家の思いのままにしようと計画します。跡取りのいない分家も大賛成でした。

しかし、本家の野望はこともあろうに三男の太刀川洋一の下半身によって粉砕されます。

農家の嫁に学問は要らないという中村鴈治郎の哲学により、大学進学を断念させられた水野久美は、町で一人暮らしをしていた太刀川洋一に急接近します。さすがアタマの良い娘です。農家脱出作戦に太刀川洋一を無辜の協力者にすべく彼の子供を身ごもってデキちゃった結婚へ持ち込むのでした。

小林桂樹は早く司葉子と結婚したかったので、街で和風レストランを経営している新珠三千代に下宿を世話してもらい、実家を出て同棲を始めてしまいます。新珠三千代は淡島千景の女学校時代の同級生なのでした。

淡島千景は木村功と不倫関係、長男と次男には実家を出られてしまい、おまけに今度は三男の大塚国夫までが東京で専門学校に通って自動車修理工になりたいと言い出します。とりあえず長男は農業を継いでいるのでなんとか本家に戻りそうですが、まだ幼い弟妹もいるので新居の準備も必要です。

厚木から東京までは根性出せば通学可能だと思うのですが、大塚国夫は下宿したいと主張します。つまり彼は自動車修理工になるとういのは言い訳に過ぎず東京へ出てみたいというのが本音です。三男坊ではもらえる田んぼも無いでしょうから、農家に残ったらどこぞへ養子に出されるのがオチ、若者は東京を目指します。

農家が田んぼを手放す苦悩を農地解放で味わった中村鴈治郎は苦汁の決断を迫られます。他に資産価値のある物は何もないので現金を得たければ田んぼを売るしかありません。

男の新居のために家族でヨイトマケをする中に、東京へ行けることになった大塚国夫の屈託のない笑顔もありました。中村鴈治郎は田んぼを売ることを決意したのでした。

木村功は東京へ転勤することになります。厚木なんて近いんだから通勤すればいいのに!と淡島千景は思いますが、どうやら都落ちから本社へ栄転することのほうが木村功は嬉しそうですし、家庭は温存したいので、淡島千景と手を切るにはちょうどいいチャンスと内心思っているのが見え見え。東京へ単身赴任かと思ったらちゃっかり奥さん連れてとっとと引越しちゃいます。

これだから男ってのは・・・淡島千景は今日も一人、耕運機を押して農作業に励むのでありました。

役場の助役・加東大介の仲介で田んぼを一部、手放す決意をしたとき、中村鴈治郎は涙を流さず全身で泣きます。時代に取り残されていく価値観に対する寂寥感、鰯雲は秋の雲。

ドライな三男の屈託のなさは救いと言えば救いですが、旧世代にとっては引導を渡されたようなキモチになるのでありましょう。今は盛りの若い衆もやがては旧世代となるのですから、ある意味、すべての人間が共有する時間というのは希望や可能性も与えますが概ね、避けがたい老いを感じさせて残酷なものであります。

抗えないものに抗おうとして負けていく人たち、そういうのが大好きな橋本忍の脚本。

2011年05月29日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2011-05-30