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みれん


■公開:1963年

■制作:東宝

■制作:佐藤一郎

■監督:千葉泰樹

■原作:瀬戸内晴美

■脚本:松山善三

■撮影:西垣六郎

■音楽:黛敏郎

■美術:小島基司

■照明:比留川大助

■録音:原島俊男

■編集:

■主演:池内淳子

■寸評:


未練がましい映画です、登場人物がもれなく未練がましいのでイライラします。ですが、そういう映画なのでしかたありませんね。

地方議員・浜田寅彦の元妻で、現在は東京で織物の図案作家として活躍している知子・池内淳子は某所の借家で小説家・仲谷昇と同棲生活をしています。同棲とはいえ、仲谷昇には本妻・岸田今日子も子供もいて、鎌倉に本宅がありますので通い夫です。

本妻は愛人のことを当然知っており、連絡先も知っていて緊急時には、借家の大家さん・乙羽信子に転送してもらいますが、電話もかかってくるのです。本妻の、嫌味たっぷりな電話にムカつく池内淳子ですが、後ろめたいところもあるので時々、夢に本妻が出てきて恨み言を言うらしいです。

夢枕に岸田今日子が立つ、そりゅあ怖いや。

家庭を温存しながら愛人を持ち、本妻も愛人の経済的な自立を果たしているとしたら、男ととしてはこんなに美味しい生活は無いくらいの幸せな感じなので、仲谷昇はもう何年もこんな感じでした。

出版社の編集者・名古屋章は作家の私生活(みんながみんなこうじゃない、とは思いますけど)を見慣れているせいか二人のことをとやかく言いませんが、作家仲間・西村晃山岡久乃は池内淳子のせいで仲谷昇の筆が鈍っているとか、不道徳でだらしの無い女だとか非難します。

ケンカに社会規範を持ち出すヤツは、自分にウソをついています。西村晃も山岡久乃も、非難の根拠はジェラシーです。少なくとも池内淳子はそう思っています。

岸田今日子も相当なものです。おそらく、借家の裏木戸に「バケモノ屋敷」と落書きしたのは彼女だと思われるので、本妻としては愛人を公認するくらい私は心の広い女なのよ、と思い込みたいのです。

愛人を公認している本妻なんてそんなもんです。

池内淳子は、仲谷昇の妻になりたいとも思わないし子供も欲しがりません。そんなガツガツしてないんだと本人は主張しますが、本音は違います。離婚と隠し子を望まないのは仲谷昇のほうであります。家庭を壊したくないので。それを認めたくないので、自発的な愛人生活だと自分を納得させているのです。

本妻に公認されている愛人なんてそんなもんです。

そんなある日、池内淳子は元夫の選挙運動で知り合った田舎の青年・仲代達矢と再会してしまいます。思えば、このボーイとの浮気が離婚の原因だし、駆け落ちしたけど結局、別れちゃったので、仲代達矢には引け目を感じている池内淳子です。

広告代理店の営業という過酷な外回りをしていて靴も擦り切れちゃってる仲代達矢に対して、最初は同情半分で優しくしていた池内淳子ですが、仲代達矢のほうは自分から嫌いで別れたわけじゃないし、今の生活から抜け出したいという思いも上乗せされて、彼のやけぼっくいは大火災を起こしてしまうのでした。

池内淳子も、仲谷昇では得られない若い肉体が良かったのかどうか知りませんが見る見るうちにのめりこんでいきます。しかし、仲谷昇は自分の浮気には寛容ですが、愛人または本妻の不貞には厳しい人でした。そんなことしたら「殺す」そうです。

さすがは中途半端な生活を長持ちさせるだけのことはあるな!と、妙に納得です。

仲代達矢は、仲谷昇に愛人生活を清算させて池内淳子と一緒にどこか遠くへ行きたいのですが、池内淳子はそこまでふんぎることができません。そうです、仲谷昇に未練があるのです。

ついに池内淳子は仲谷昇の本宅を訪ねて行きます。池内淳子に「・・・来ちゃった」と言われて、ちょっとだけ焦った仲谷昇ですが本妻が留守だったのですぐに平静になりました。池内淳子はついに別れ話を持ち出します。すると、仲代達矢の存在を知っても動揺しなかった仲谷昇が急に焦り出します。仲谷昇にも未練があったのです。

仲代達矢は池内淳子に未練を感じつつも、まだ若いので新しい人生を歩み始めるために去って行きます。

女ざかりの末期になって、ふと自分の老後を考えた池内淳子には、仲谷昇も仲代達矢も不要だったのかもしれません。一人旅に出た彼女でしたが、宿泊先のホテルの近くで交通事故があったと知ると、我を忘れて自分のことを追ってきた仲谷昇が、夢に出てきた岸田今日子の予言どおり「あなたのせいで夫は交通事故で死んだ」になるのでは?と焦って事故現場に走るとそこには、ただのオッサンが倒れていました。

世の中、そうは自分に都合よくできてないのです。それに、自分が思っているからといって相手も同じくらい自分のことを思っているというのは、思い上がりというモノです。仲谷昇の名前を呟きながら、空き缶を蹴飛ばして歩く池内淳子、まるで黒魔術の儀式にも見えましたが、彼女が本当に精神的な自立を果たしたかどうかは最後まで微妙です。

この映画には重大な問題があります。仲代達矢が純情青年には、絶対に見えないということです。彼が苦悩したり、笑っていたり、何もしないでボーっとしているだけでも、邪なヤツに見えてしまうので困ります。池内淳子より年下である、というのも全然無理。

同じくらいに仲谷昇の老けメイクが中途半端なことが、問題をさらに複雑にしています。ただ、登場人物全員が「宙ぶらりんで、女の腐ったようなヤツ」だったということだけはキチンと伝わったのでした。

2011年05月14日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2011-05-15