その夜は忘れない |
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■公開:1962年 ■制作:大映 ■制作:永田雅一 ■監督:吉村公三郎 ■原作: ■脚本:白井更生 ■撮影:小原譲治 ■音楽:団伊玖磨 ■美術:間野重雄 ■照明:木村辰五郎 ■録音:西井憲一 ■編集: ■主演:若尾文子 ■寸評:ヒロインの親友を演じた角梨枝子は、被爆体験が本当にあるそうです。 |
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原爆症について、記念日以外にもうほとんど思い出すことは無いのですが、本作品を見ているとまったく現在進行形であることを思い知らされて、胸を射抜かれます。本作品公開の3年前に、広島で撮影された「24時間の情事(ヒロシマ・モナムール)」と絵柄が似てます。ホテルも同じだし。 戦後17年も経てば日本中、復興著しく、すでに復興という言葉すら過去になっていて、再来年は東京オリンピックですから、原爆のことは忘れ去られたというより、どちらかというと誰も思い出さないようにしているような気がします。 そんなとき、東京の週刊誌の記者・田宮二郎は、広島の原爆禍の取材をするために広島にやって来ます。しかし、原爆ドームやケロイドの傷跡などの「形」としては未だに残っているし、原爆を「伝える」語り部も存在していますが、皆、前を向いて歩いている状況ばかりで、彼が求めているような後ろ向きなところは皆無のようです。 奇形児とその母親を取材しようとしましたが、すでに元の住所からは転居しており、やっと突き止めた両親の実家ではすでに赤ん坊は死んでしまっていて、母親への取材は家族から断固、拒否されます。田宮二郎は悩みます。自分が取材しようとしている対象は、まだ歴然と存在していますが、取材されることを喜ぶ人ばかりではないし、どんどん気が滅入ってきます。 田宮二郎は、広島の地元テレビ局のディレクター・川崎敬三が売り出し中の放送劇団のタレント・江波杏子を連れて一緒に入ったクラブで、ママさん・若尾文子に出会います。どことなく影があって、圧倒的に美人のママさんには追っかけが多数います。その中に、田宮二郎が昼間取材した、原爆病院の医師・中村伸郎もいました。若尾文子は原爆で孤児になった不良・長谷川哲夫の面倒をみているようです。 暑い広島の夏、原爆資料館やビーチではしゃぐ戦後のお子様達の姿、歓楽街のにぎやかさ。その影でひっそりとしかし深刻に存在している原爆の禍。長身で都会的な田宮二郎の異質なキャラが垢抜けない広島の町と強烈に対象的でハマります。観客と同じく、この町に受け入れてもらえない疎外感に戸惑い、悩む田宮二郎。 そうです、本作品は、他のほとんどすべての作品において、厚かましくて、自信満々で、プライドが高くて、キザで、前しか見てない田宮二郎に、観客が感情移入できる大変希少な作品なのです。 原爆傷害調査委員会(ABCC)を取材に行った田宮二郎は、若尾文子と親友の角梨枝子と一緒にいるところに遭遇します。その日から若尾文子は田宮二郎に少しよそよそしくなります。 町外れの温泉地で偶然、田宮二郎に出あった若尾文子は田宮二郎にかいがいしく世話を焼きます。彼女は田宮二郎のことが好きだし、田宮二郎も彼女のことが好きです。若尾文子は広島の町を田宮二郎とデートして、待合に入ります。そこで彼女は自分が被爆者であり、身体にケロイドがあることを告白します。田宮二郎は彼女を広島の町から救い出そうとします。 東京へ一度は戻った田宮二郎でしたが、若尾文子に出した手紙がある日、あて先不明で戻ってきます。広島に向った田宮二郎はそこで、若尾文子がすでに亡くなった事を知るのでした。事情を話してくれた角梨枝子も原爆症のようです。二人は、原爆傷害の追跡調査のためにABCCに出向いており、中村伸郎の診察を受けていたのでした。 広島の太田川の川底に沈む石は、強い熱線を浴びたのでもろくなっています。若尾文子が最後に彼に出会った日に、この石のいわれを説明したのは、白血病であまり長くないと言いたかったのですが、田宮二郎は若尾文子のことで一生懸命になりすぎてそのことに気がつきませんでした。 広島の町から逃れても、原爆禍からは逃れられない。若尾文子の真実を知った田宮二郎は、太田川で号泣します。健康すぎるくらい健康な田宮二郎の大きな身体が若尾文子のことを何も救えなかったと後悔して、豪快に川の水に突っ伏すのは、多少オーバーな気もしますが、いや、泣けるんですよ、本当に。生命感の薄い若尾文子の、儚さも良かったし。 広島市民球場へ野球を観に行った田宮二郎が、他の観客から「兄ちゃん(デカくてジャマだから)早く座れ!」と怒られて恥ずかしそうにするところは、ちょっと可愛かったです。そうなんですよ、本作品の田宮二郎は本当に最初から最後まで、普通の悩める好青年なんですよ。そこが一番、ビックリだったかも。 (2011年04月17日 ) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2011-04-24