かあちゃんと11人の子ども |
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■公開:1966年 ■制作:松竹 ■制作:島田昭彦 ■監督:五所平之助 ■原作:吉田とら ■脚本:堀江英雄 ■撮影:長岡博之 ■音楽:斎藤一郎 ■美術:浜田辰雄 ■照明:津吹正 ■録音:服部満洲雄 ■編集:大沢しづ ■主演:左幸子 ■寸評: |
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11人の子どもと両親の大家族、息子・内藤武敏、近藤洋介、佐藤英夫、工藤堅太郎、田村正和、藤岡弘、娘・久我美子、稲野和子、十朱幸代、倍賞千恵子、左時枝、以上。母ちゃん・左幸子、父ちゃん・渥美清の戦前から戦後にかけての家族の日記。 映画のほとんどは回想シーンなので、父ちゃんと母ちゃんがあまり老けた俳優では困ります。なんで左幸子と左時枝が母子なんだ?(実際は姉妹、ただし実年齢差が17歳なので、むしろ映画の設定よりもアリな感じ)内藤武敏のほうが渥美清よりお兄さんなのでは?といったツッコミは無視しましょう。 伊豆の田舎、左幸子は高等小学校の頃に、渥美清に嫁ぎます。左幸子はお下げ髪で、実年齢が役柄に近い少年俳優達と一緒にいるとややSFですが、そこはひとつご容赦ください。 当時は、嫁=子孫繁栄=貴重な労働力、というポリシーですから、舅・三津田健はともかく、姑には厳しく鍛えられます。左幸子は待望の子供を授かります、15歳の母です。当時としては残念ながら女の子でした。次も女子。なんとなく申し訳ないと母ちゃんは言いますが、父ちゃんはリベラルな考え方の人なので責めません。 日中戦争が始まり、渥美清の弟・竹脇無我が応召されます。子供は男子も生まれて、一安心でしたが、父ちゃんにも召集令状が届きます。戦地へ赴いた父ちゃんからはしょっちゅう手紙が来ました。男手がなくなり、家では農業のほかに牛を飼って牛乳も売ってましたが、どうにも家計が苦しくなって、母ちゃんは父ちゃんに申し訳ないと思いながらも、生活のために牛を一頭売りました。 戦地からきた父ちゃんの手紙を読んで聞かせる母ちゃんですが、漢字が難しいのでところどころ読めません。どうやら元気で頑張っているようです、家族一同は安心しました。しかし、それは母ちゃんの悲しい嘘でした。父ちゃんの手紙には戦死するかもしれないと書いてありました。子供が悲しまないように、気丈に振舞う母ちゃんなのでした。やがて父ちゃんが帰任しました、家族は大いに喜びます。 戦争が末期になって、四十を越えた男子も応召されることになり父ちゃんはまたもや戦争へ。弟の竹脇無我は戦死。しかし、またもや父ちゃんは無事に帰ってきました。 子作りも再開です。役場の係の人がビックリするくらい、毎年子宝に恵まれた母ちゃんですが、腹ボテでも野良仕事をバリバリこなします。父ちゃんは子供たちによい教育を受けさせてやりたいと、新しいビジネスも始めて経済的にも安定。おかげで子供たちは、大学へ進学、サラリーマン、学校の先生、地方公務員、それぞれ就職できました。 こんな仲の良い一家です、オクテの長男は母ちゃんが気に入った人と結婚することにしました。次男と次女は自分で結婚相手を見つけました。夏草刈りのシーズンには、自立していた子供たちが全員、母ちゃんと父ちゃんが暮らす伊豆へ戻ってきます。久しぶりに一家がそろうと、倍賞千恵子が北海道の学校へ赴任するのは如何なものか?という議題で家族会議が始まります。反対というか心配している父ちゃんと長男、ほかはみんな賛成でした。しかし、北海道へ行った倍賞千恵子は病気で倒れます。 大家族のフォーメーションで危機を脱した倍賞千恵子。母ちゃんは乗り物が苦手なので北海道へ行けず(すっ飛んでいったのは父ちゃん)心配し通しでしたが一安心です。末っ子の左時枝が母ちゃんのことを詩に書いてコンクールで優勝しました。表彰式は東京です、果たして母ちゃんは今度こそ頑張って東京へ着きますがすでにヘロヘロです。 すわ、母ちゃん死ぬのか?と思ったら大丈夫でした。 父ちゃんの責任感。母ちゃんの愛情。子供たちはみんな両親を尊敬しています。可愛がるのと甘やかすのとは違うんです甘やかさなくたって可愛がることはできるのです。経済的に豊でなくても幸せはあるのです。平成日本に足りないものが全部詰まった映画です。だからといって11人も子供産まないといけないのか?違います、一人でも同じことです。 「子供を育てる苦労は苦労ではない」母ちゃんのこの言葉を胸に刻みましょう。誰の子供でも自分の子供のように愛せる大人になりたいものです。物凄いミラクルが起きるわけでもなく、実在の人の半生記ですから、観たあと、とてつもなくハッピーになります。 マラソン大会に出場した田村正和を応援するうちに一緒に走り出してしまう母ちゃん。コケそうでコケない、この映画で一番好きなシーンでありました。 (2011年03月13日 ) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2011-03-27