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スパルタの海


■公開:1983年

■制作:東宝東和、アルバトロス

■制作:天尾完次

■監督:西河克己

■原作:上之郷利昭

■脚本:野波静雄

■撮影:山崎善弘

■音楽:甲斐正人

■美術:野尻均

■照明:小中健二郎

■録音:板寺昇

■編集:

■主演:伊東四朗

■寸評:お蔵入り。

ネタバレあります。


災害映画を製作している監督が公開までに大災害が起こりませんようにと祈るがごとく、本作品は公開前に主人公の本人が逮捕されてしまったために永らく公開されずにいましたが、2011年になってやっと世間の目に触れることとなりました。

人間は極限状態を乗り越えることで心身ともに鍛えられるというのはあながち間違っていないかもしれませんが、それは結果的に逞しくなるのであって、これを意図的に達成しようというのであれば「安全な極限の状態」でなければ意味がございません、死んじゃっちゃあオシマイです。

実在する(当時)戸塚ヨットスクールは、ヨットマンとして優秀だった戸塚宏・伊東四朗が後継者を育成するために設立した訓練施設なのですが、ヨットの操船技術よりもいわゆる問題児と言われる少年や少女が立ち直ったことが話題先行してしまい、いつのまにか矯正施設として有名になってしまいました。

家庭内暴力にあけくれるエリート家庭の辻野幸一は、教育熱心で世間体至上主義なご両親・小山明子平田昭彦(様)の過保護的なプレッシャーに反発して今日も今日とて大暴れしていました。そこへ、ジャージ姿のいかついおっさんたちが突然、乱入しました。しかし、ご両親はあまり驚いていません。そうです、彼らに息子の拉致を依頼したのはご両親なのでした。

真夜中に辻野幸一くんが収監されたのは海辺の施設、そのタコ部屋の、檻がついてる二段ベッドでした。捕獲されたオオカミのように暴れる辻野幸一くんについたあだ名は「ウルフ」。

イキナリのバリカンによる丸刈り、大勢の先輩生徒たちとの共同生活、ウルフくんの目はギラギラと燃えています。

思えば当時、金属バットで両親を撲殺した事件の記憶が生々しい頃ではありましたが、少年少女にはそれなりに暴れるパワーはあったということなので、褒められたことではありませんが現状からなんとか脱出したいという本人の意志だけは前向きだったと言えないこともありません。

ヨットスクールの校長先生である伊東四朗は肝の太い熱血漢、優秀なコーチたち・清水宏粟津號塩田智章も兄貴のような存在です。もうすぐ卒業を控えている先輩の生徒・神谷まさひろ(当時・神谷政浩 )が精神的なリーダーでもあります。現場スタッフでは紅一点、看護士の山本みどりはやさしく、まるでお母さんのように生徒たちに接しています。

戸塚ヨットスクールでは、安全面も配慮され、厳しくても安全重視、健康管理もきちんと行なわれているようです。

ウルフくんは反抗的な態度がなかなか改まりません。先に入校していた、絵に描いたようなスケバン・横田ひとみはなんとなくウルフくんのことが気になる様子。ウルフくんは脱走、ハンストを繰り返しますがコーチや看護士たちは辛抱強く彼の態度を見守っています。しかし、さすがのウルフも簀巻きにされて海へ放り込まれたときは凹んだようです。

いや、それは無事に済んだからいいようなもんの、如何なものか?と。

後先考えない、ある意味、素直なウルフくんとは違って、金属バットで大暴れしておきながら駆けつけた警察に夫婦喧嘩だったと笑顔で答える知能犯のメガネ君がスクールに連れてこられました。メガネ君の主張によると自分の暴力の原因は両親が悪い、教育が悪い、社会が悪い、のだそうです。

メガネ君は体力もなく、お仕置きとして海に叩き込まれたりします。そのメガネ君を他山の石として見るようになったウルフ君は、大人たちの熱血指導に心を軟化させ、横田ひとみともほのかな愛情を交わすようになります。

ついにメガネ君はブチキレてしまい、ヨットスクールの前の道を通学路としていた普通学校の生徒を人質にとって脱走を図ります。そこへ踊りこんだ横田ひろみを救出しようとしたウルフ君は過度の緊張で心臓麻痺を起こしてしまい救急車で運ばれました。

回復したウルフ君を見た校長先生は「あの子は両親を越えている」と太鼓判を押して両親のもとへ返しますが、ウルフ君はご両親のあいかわらずの押し付けがましい愛情に嫌気が差したのか、ヨットスクールへ戻ってくるのでありました。

こんな素晴らしいヨットスクールですが、素っ裸で脱走してきたウルフ君をきっかけとして前々から目をつけていたこともあり、すでに訓練中に事故死も出しているので、警官・相馬剛三、刑事・河合絃司は校長先生を取り調べます。しかし、証拠不十分でした。

スクール側の目線ですから、納得できない話も多いわけですが、生徒に里心がついてはいけないので、目が不自由なご両親・牟田悌三山田スミ子が岸壁から双眼鏡でデブ息子の頑張りを眺めて感涙したり、明らかに病弱な生徒が死んだ事故が報道されてからかかってくるイヤガラセの電話にくじけそうになる校長先生の妻・香野百合子の姿など感動的なエピソード散りばめられております。

それらのいくつかは本当だと思うので、公開中止に追い込まれたようにマスコミ側の一方的な報道、戸塚ヨットスクールがアウシュビッツのような酷いところであったというのは、そう簡単に鵜呑みにできないところです。

とはいうものの、薬物中毒や病気の生徒は預からないと言っておきながら、親御さんからの、姥捨て山ならぬ「子捨てスクール」のごとき懇願を断りきれないという理由で預かって、そして亡くなった生徒のことを「生きる気力が無いほうが悪い」と言い放つ、ヨットスクールの支援者である旅館の女将さん・東恵美子の主張にはクビを傾げざるをえません。

動機は悪くなくても、事故の結果責任は別物であります。

極端な事件については、片方の見方だけで判断してしまうのは危険なので、ウチから見た価値観を確認しておくのは大切なことです。その上で自分が判断すればよいわけですから、そういう機会をお蔵入りで逃してしまったのは惜しいことでした。ていうか、事件直後に公開されていたらどうなっていたか?というのを想像すると、私がプロデューサーだったらやっぱ中止にするよな、とは思います。

しかし、お蔵入りにしたのを制作後、20年以上たってから公開したほうが不思議といえば不思議。極限状態的なものが人間を鍛えるというようなことがもてはやされている平成の傾向のほうが、不気味なのではあります。

2011年11月20日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2011-11-20