「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


元禄忠臣蔵 前篇


■公開:1941年
■制作:興亜映画、松竹
■総監督:白井信太郎
■演出者:溝口健二
■演出助手:渡辺尚治、酒井辰雄、花岡多一郎、小川家平
■原作:真山青果
■脚色:原健一郎、依田義賢
■撮影:杉山公平
■音楽:深井史郎
■美術:水谷浩

■建築監督:新藤兼人

■照明:中島末治郎、三輪正雄、中島宗佐

■録音:佐々木秀孝

■編集:久慈孝子
■主演:河原崎長十郎
■寸評:


セットが凄い、とにかく凄い、何がなんでもセットが凄い。

さて、本題です。

「忠臣蔵」映画というのは数多ありますが、なにせ俳優の頭数から小道具から何から何までとにかく金のかかる映画であります。いやあ、本作品どんだけ金かけてるんだろう。なにせ、セット作った人が堂々と主役クラスのごとく(いや実際、制作工数にしめる割合からするとそれくらいしても可)クレジットされておりますのでどれほどのものかと見ていたら「え?どこのお城でロケしたの?」と素直な人なら信じるレベルでした。

クレーンでぶんぶん回しても、左右上下にパンしまくっても見切れない、すんごいセット。くやしかったら、拳1個ぶんくらいのパンくらいしてみやがれ!テレビ時代劇!あ、そんなこと言ったら可哀想ですか?

本作品は浅野内匠頭・嵐芳三郎が、目の前で自分をコケにした吉良上野介・三桝万豊に江戸城内の松の大廊下で斬りかかり、止めなきゃいいのに相手に手傷負わせただけで大勢に取り押さえられてしまい、多門伝八郎・小杉勇の取調べを受けるところから始まります。

史実のとおり内匠頭は速攻で切腹決定、吉良はお咎め無し。この知らせを受けた赤穂の大石内蔵助・河原崎長十郎は御家の再興を願い出る一方、城を枕に全面戦争かまたは、即座に撤収して解散するかという判断を迫られます。

内匠頭の切腹のシーン、ここはキャメラに感動してしまいました。画面下に今生の別れに泣く家臣、冷たく閉ざされる門を入れて、画面の上端では静かに切腹の場に向う内匠頭、これマルチスクリーンなんですな。1つの台詞がなくても画で泣けました。いやあ、画で泣ける映画っていいなあ、素直に。

赤穂では江戸づめの若手の堀部安兵衛・海江田譲二や武林唯七・市川莚司(加東大介)らは討ち死に覚悟で一戦交えようと断固として主張しますが、大石はなかなか態度を決めません。煮え切らない大石から、あとは一切を大石にまかせるという血判を求められても態度保留です。気持ちはわかります、お殿様の傍にて止められなかった責任もあるのですから。

内蔵助が幕府の下知を一字一句かみしめるところがグッときます。「理不尽なふるまい」という言葉に吉田忠左衛門・助高屋助蔵と一緒にしみじみと泣きます。悔しくて、悔しくて。このように、本作品はディテールが丁寧なので、その他のたくさんの忠臣蔵映画のようにイケイケな感じがしません。ひとえに河原崎長十郎のおかげです。妙に力まず作りこまずな自然体、怒りがふつふつと観客と一緒に盛り上がります。

いちいち部下の報告の言葉を内蔵助がくりかえすのが滲みるんですね。そうだよね、ショックだよね、いきなり社長がキレちゃって会社倒産しちゃってこの先どうしていいのか分からない。裁定も一方的で言い訳聞いてもらってないし。ちゃんと死に際に部下を面会させてあげた多門伝八郎くらいしか武士のマインド理解してもらえてないみたいだし、って悔しすぎるよね。

そんなとき、会社が消滅しかえている非常時に、一時の感情だけで物事を動かしちゃあいけない。内蔵助はなにごとも付和雷同せず、ピンチのときほど落ち着いている。さすが理想の管理職であると言えましょう。

刃傷沙汰のおかげで勅旨に迷惑かけなかったかと確認したところ、善意の第三者である朝廷の人から「その場で相手をぶっ殺せなかったのは武士としては不憫だよね」と言ってもらえて慰められ、現徳川幕府にある意味「絶望した!」するところ。特に、次期将軍候補の徳川綱豊・市川右太衛門にも同情してもらえたし、そんなこんなで内蔵助は、とりあえず浅野家の再興について判断待ってたらやっぱりお殿様の弟が押し込められちゃってさらに吉良家への乱入の決意が固まります。

ここんところ、討ち入りの目的のひとつが、理不尽な幕府の裁定への抗議というのは最近の解釈かと思ってましたので、原作読むとなるほど、この頃からちゃんと映画でも描いていたんだということを確認できました。制作された年代からすると、戦意高揚とかの目的もあったのでしょうね。

こと実業の世界においても、正確な現状把握とくに財政状況、客観的な事実確認はとても大切。そしていざ事業を興すときには社員のモチベーションをいかにあげるかがポイント。その点、大石内蔵助は実にぬかりがない。市場性=民衆の期待ってのもバッチリ確認済。普遍の定理をきっちりと踏んでいるんですな、この「討ち入り」という大事業は。

本作品は前後篇の前編なので、山科の別れの場面で終了。

本物なセットと、前進座の人たちのいい芝居、さらにリアルなディテールの積み重ね。派手なチャンバラとか隠密合戦とか無いから、エンタテインメントとしては面白くないかもしれないけれど、ドキュメンタリードラマとして感動できる忠臣蔵映画。公開当時は興行的に失敗したそうですが、時代劇がとことんダメになってしまった平成の御世では、前進座の時代劇らしい時代劇のお芝居や、所作、言葉の「らしさ」が大変に希少価値があると思います。

後篇も楽しみ、楽しみ。

2011年01月02日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2011-01-04