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わが町(1956)


■公開:1956年

■製作:日活

■製作:高木雅行

■監督:川島雄三

■脚本:八住利雄

■原作:織田作之助

■撮影:高村倉太郎

■音楽:真鍋理一郎

■美術:中村公彦

■録音:橋本文雄

■照明:大西美津男

■編集:

■主演:辰巳柳太郎

■寸評:

ネタバレあります。


太平洋戦争よりもぐっと前、明治の末から太平洋戦争終了後まで。やっかいで、はためいわくな男の一代記。

フィリピンで道路建設に従事し、過酷な状況で働く多くの日本人労働者の犠牲を払った難工事を現場で監督していた佐渡島他吉(ターやん)・辰巳柳太郎は、現地から追放されたが本人としては凱旋帰国のつもりで、大坂の貧乏長屋へ帰ってきた。

残されていた妻・南田洋子は一人娘をもうけており、ターやんが戻ってきてすぐ病死する。

ターやんは車夫となって懸命に働く。男手1つの子育て、美人に成長した娘・高友子はマラソン大会でターやんに勝利した桶屋の新太郎・大坂志郎と結婚するが、新居が火事で焼失。肉体労働こそ人間を心身ともに鍛え上げる最良の手段と信じて止まない、徹底的な自己肯定のターやんは大坂志郎をフィリピンへ送り出したが、現地の劣悪な状況で彼は死んでしまう。

夫の死を知った高友子は身重の身体でショックのあまり急死、ただし孫娘だけは無事に出産。またもや女の子を育てることになったターやん、年端もいかない少女にスパルタ教育したもんだから、客に怒られ説教される始末。逆ギレのターやん、その客を振り落としてしまうのであった。

親のいないことを理由に学校で苛められた孫をサポートしてくれたのは同じ長屋の新聞少年の次郎。ターやんも町の写真館に飾られている父親(大坂志郎)と母親(高友子)が写った写真を孫娘に見せて慰めてあげたりする。次郎はターやんのポリシーも風呂屋でシッカリと受け継いで成長する。

太平洋戦争が終わってターやんも随分、爺さんになってしまったが進駐軍相手に車引きを未だに続けている。長屋の住人で孫娘の世話を何かと焼いてくれた落語家・殿山泰司はロレツが回らなくなり失職中。四十過ぎても嫁の来てがない床屋の息子・小沢昭一の将来を真剣に心配する母親・北林谷栄は歯抜けの婆様になっても意気軒昂。

長屋は変わらないが大阪はすっかり近代化。美人の血筋をしっかり受け継いだターやんの孫娘・南田洋子は車夫の孫娘だけに?タクシー会社に就職しCS(顧客満足度)向上に努めている。彼女はひょんなことから、カッコいい青年に育った元新聞少年の次郎・三橋達也に再会。ターやんの教えをある意味守った三橋達也は潜水夫となって日本全国を駆け巡っている。

南田洋子は三橋達也と急接近、その頃、ターやんはどうかんがえても車夫の現役続行は難しいと思われる周囲の反対を押し切ってヨタヨタしていたが、人力車を勝手に売り飛ばされヤケクソになったところへ、今じゃあポン引き(しかもフリーランス)に落ちぶれた殿山泰司と一緒に、地回りと喧嘩をしてコテンパンにされてしまう。

三橋達也はマニラでサルベージの仕事に就く夢を持っていた。南田洋子はすでに三橋達也の子を身ごもっていて、ターやんが心配だから日本に残ると言い出す。ターやんは南田洋子の将来を三橋達也に託して、フィリピンへ戻るためにコツコツ貯めたお金も二人にプレゼント。大阪の繁華街のビルの屋上に出来たプラネタリウムが閉館するというその日、最後の客になったターやんは、ニセモノだけど南十字星に見守られて静かに息を引き取る。

ターやんの無謀なまでのフィリピン時代へのコダワリは、帰国が叶わなかった、というかターやんが帰国させなかった同胞たちへの面目。古い世代と新しい世代との衝突と和解。人情落語の世界観、愛情表現があまりにも一方的であるために周囲には迷惑な存在だと思われてしまう可笑しみ、悲しみ。

同時にターやんを取り巻く人たちの、そこだけタイムスリップしたようなドブ板長屋でそくそくと生きる人たちへの愛しみ。こんな頑迷なオヤジが実際のところ身内だったら確かに困ると思うのだが、ほっこりとした気持ちに包まれ、見終わってほーっと泣ける。

「辰巳柳太郎・大阪・不器用」これは鉄板です。森繁久彌の舞台化も見たけど、辰巳柳太郎のほうが大阪弁のネイティブだち、本当に人生が不器用そうなので、映画のほうがダントツにハマリ。

ターやんが乗せるGIが曽根晴美によく似ているのだが、曽根晴美に似ている米国人がいても不思議じゃないから未確認。それと、ターやんが死んでいるのを発見するプラネタリウムの職員が岩本多代に似ている、これも未確認。

2010年10月31日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2010-10-31