樺太1945年夏 氷雪の門 |
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■公開: 1974年 ■製作総指揮:三池信 、小倉寿夫 ■製作:望月利雄、守田康司、高木豊 ■監督:村山三男 ■脚本:国弘威雄 ■原作:金子俊男 ■撮影:西山東男 ■音楽:大森盛太郎 ■美術:木村威夫 ■録音:安田哲男 ■照明:野村隆三 ■編集:エディー編集室 ■主演:二木てるみ ■寸評: ネタバレあります。 |
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2010年、短縮版が公開された。 太平洋戦争が終結を目前としていたころ、南樺太はひかくてきノンビリとしていた。連合軍の空襲を避けるために、ここへ疎開してくる者もいるくらい。真岡郵便電信局事件の交換手・二木てるみ、岡田可愛、岡田由紀子、八木孝子、木内みどり、藤田弓子らがこの後、悲劇的な運命を辿るとは誰一人、想像していない。 8月15日の終戦、しかし南樺太に突然、ソ連軍が進撃してきたとの報告が入る。非情連絡網の役目も果たしていた交換手達は一斉に緊張する。戦争は終わったはずなのに、ソ連との条約はどうなったのか? 仁木師団長・島田正吾、鈴本参謀長・丹波哲郎らは攻撃の中止をソ連軍に申し入れるが相手は「樺太全土の占領が命令であるから、とっとと帰れ!」と、とりつく島もない。国境付近では日本人が難民となってがソ連軍に追われて、逃げ惑っていた。守備隊の久光・若林豪らがたてこもる日の丸監視哨の目前に戦車が迫ってきていた。 15歳以上の男子は島に残って戦うよう指示がなされ、婦女子は全員、樺太からの脱出となった。しかし、ソ連軍は女も子供も容赦なく、戦闘機で機銃掃射していく。夫・田村高広と別れた妻・南田洋子は幼い子供二人と赤ん坊を連れて必死に逃げていく。 途中、動けなくなった老人・見明凡太郎も、力尽きて置き去りにされた赤ん坊も、家族とはぐれた少年も、南田洋子は見捨てるほかない。田村高広は逃げ遅れた子供を庇って、子供と一緒にソ連兵に射殺。南田洋子の息子二人も機銃の犠牲となって、川原で息絶えた。 列車に乗り込み、やっと真岡まで逃げてきた南田洋子だったが、すでにソ連軍が侵攻しており、赤ん坊もろとも射殺されてしまう。病院にソ連兵たちが入ってきた。木内みどりの母親・鳳八千代は入院中だったが、木内に「ソ連兵が入ってきた!」と電話連絡の途中で射殺されてしまう。二木てるみの父親・今福正雄も弟も殺された。 局長・千秋実は決死隊を編成し、日本人の避難を成功させるべく交換業務を継続しようとする。決死隊には15歳の少年たちを充てるという。交換手たちは「短期間に仕事を覚えることはできないし、自分たちより年下の子供を危険な目に遭わせるのは可哀想だ」と主張し、彼女達が最後まで残ることになった。 交換手たちは楽しいこともたくさんあった。カッコいいコーチ・佐原健二の指導でバレーボールに興じたり、配給をコツコツためてお汁粉を作ったりもした。みんな、甘いものに飢えていた時代。ソ連兵たちに凌辱されることを恐れた交換手達は青酸カリをポケットにしのばせて、交換業務を続ける。次々に回線が途切れていくのは、その町が占領された証拠。ついに、真岡にもソ連兵が姿を現わし、海上からの艦砲射撃も激しくなっていく。 たった一つ残った回線の郵便局の局長・久米明は彼女達の奮闘に感謝して避難するように指示するのだが。 見えざる手だかなんだか知らないが、確かにソ連兵が鬼みたいに描かれているので今日の視点ではおおっぴらな公開がNGになったのもわからないではないが、だからといって9人もの若い女性が自決した悲劇の重さは変わらない。「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」という碑文の云われはあまりにも悲しい。 飛行機の機銃掃射で子供でも容赦なく殺されるというのは、本土の空襲でも聞いたことがあるし、なめくさって超低空で撃って来た兵隊が笑っていたという話も聞いた。 ひどい時代に生まれて、ひどい目に遭った人と、ひどい事をした人がいた。 戦争は誰も幸せにはしない。たとえ生き残っても、それが罪だと感じさせてしまう。どんな描き方をしようとも、9人の女性の死は事実。戦争では、弾に当らなくても大勢が死ぬ、そういうものだと。 (2010年08月29日 ) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2010-09-06