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太平洋奇跡の作戦 キスカ[中丸忠雄篇]


■公開: 1965年

■製作:東宝

■製作:田中友幸、田実泰良

■監督:丸山誠治

■脚本:須崎勝弥(須崎勝彌)

■原作:千早正隆

■撮影:西垣六郎

■音楽:団伊玖磨

■美術:北猛夫

■録音:西川善男

■照明:西川鶴三

■編集:藤井良平

■主演:三船敏郎

■寸評:

ネタバレあります。


なんといっても、中丸忠雄である。

ようするに、こういう感想文を書きたいがために、このサイトを運営しているのである。原点回帰、ご意見無用だ。本作品について、常識的な情報が欲しい人は、検索サイトで探せばいくらでもあるから、そっち行ってね!

国友参謀・中丸忠雄は、エリート中のエリートである連合艦隊参謀だから、そもそもキスカの撤収作戦を主張したのも、海軍のメンツとかそういうのが動機だし、頭でっかちで、勲章を欲しがる優等生タイプのヤなヤツだった。

本作品の前年「国際秘密警察 虎の牙」で、バタ臭い悪役のてっぺんを極めた中丸忠雄であるから、なんだやっぱりここでも悪役なのかと思った。

国友参謀は、五艦隊の川島中将・山村聡のところへ作戦参謀として赴任した後も、そのはなもちならないエリート根性は改善されず、新任の司令官の大村少将・三船敏郎の成績が優秀ではないことを内心馬鹿にして、面と向って批判までするのである。しかし、度胸と緻密さを併せ持つ、つまり圧倒的な大人である大村少将の器量でもって諭されると、あっさりと謝罪したりする。

本作品は太平洋戦争中に実際にあった撤収作戦の成功譚であるが、一方、国友参謀の成長物語でもある。大村少将がお父さんで、川島中将がお母さんといったところか。この二人の遺伝子だとすると、さぞや男っぽい大人に育つであろう、もう充分に育ってるけど。

彼は危険な任務である、キスカ島への先乗りを志願。バツグンの技術を持ち、男気あふれる潜水艦の艦長・佐藤允と一緒の決死行、キスカ湾で敵の戦闘機に爆撃されて、艦長以下、砲術長・久保明を含めた70名近い将兵の犠牲を払って、彼はキスカ島に上陸する。

キスカ島からの迎えの大発の上で、沈没する潜水艦に敬礼する国友参謀の表情は、それまでとはまったく違っている。おそらく実戦経験がほとんどなかった国友参謀は、ここではじめて戦争=人間が死ぬことだと認識したのだろう。ここから彼の性格は徐々に変わり始めるのである。

キスカ島に上陸してからは国友参謀は失敗続きだ。途中で霧が晴れてしまったので艦隊が引き返したのも知らず、撤収作戦に懐疑的になった将兵・二瓶正也阿知波信介をぶん殴ってまで浜に集結させ続けた彼は、ものすごく落ち込む。エリート参謀、初の挫折だったかもしれない。

ここが軍令部だったら、作戦部長・西村晃(ほぼ善人だらけの本作品では唯一といってもいい憎まれ役)に嫌味の百本ノックくらい受けていたかもしれない。

ところが、殴った将兵から逆に励まされた彼は、一丸となって戦うことの大切さ、生死をともにする間柄に身分の上下もない、みんな仲間じゃないかという事を教えられてしまうのである。組織のヒエラルキーに固執していた国友参謀としては、まさにコペルニクス的な発想の転換であったろう。

撤収作戦が開始され、多くの将兵が艦隊に収容されている間、国友参謀はあえて残留者がいないかどうか、島を駆け回るのである。もしも、艦隊が敵に見つかれば確実に逃げ遅れる可能性大、とても艦隊参謀の仕事とは思えないが、そうせざるを得ないくらい、国友参謀はこの作戦を成功させるために一生懸命な人になっていたのである。

最後の最後まで残っていた電探士も、同じ思いであったろう。電探士は機密保持のため危険な(本当に危険な)電探所を爆破して、無事に撤収する。

阿武隈に戻った国友参謀は、大村少将から労をねぎらわれて思わずウルウルである。

ニューフェースで入社後、2年半「も」仕出しを続け、やっとデビューした作品(動物園日誌 象)は編集で全部カットされ、新人という表記も無くなんとなくB級メロドラマ(別れの茶摘歌姉妹篇 お姉さんと呼んだ人)で正式デビューしたもんだから、無名時代の「ゴジラの逆襲」がデビュー作だと思われており、仏様のような善人(わたしは貝になりたい)と、鬼畜のような悪玉(独立愚連隊)を1年の間で演じ分けさせられ、悪役のほうが圧倒的に「怖かった」ので以来、5年以上、ほぼ悪役専門でどんどん悪くなる一方だったのが、いきなりの準主役かつ善玉である。

おそらく、多くの観客は「途中で裏切るに違いない」と思って見ていたことであろう。衆人環視の中で、人間的な成長をとげる国友参謀は、中丸忠雄がほかにどんな映画で活躍して、人気者になったとしても間違いなく、一番な役どころなのである。

本作品は、日本の戦争映画にはきわめて珍しい、敵と戦う映画ではなく、人命救助の映画である。

最初から最後まで「うん」とか「ああ」とかしか言わないスーパー三船が超カッコいいのであるが、英雄だけが活躍するのではなく、先輩兵・佐田豊が自分をかばって戦死したことに責任を感じて自決してしまう片足の負傷兵・黒部進、兵士の自決に悲しみのあまり怒りを爆発させる軍医長・平田昭彦(様)、自決防止のため手榴弾を取り上げられそうになり、敵が上陸してきたら撃ち殺してくれと軍医長に頼む重傷の分隊長・大塚国夫、なにもかもあきらめていたところへ聞こえてきた、入港用意のラッパに見せた無名の兵士・小川安三の笑顔。

群像劇でありながらも、名も無き人たち個々人の人間ドラマにフォーカスあててる爽やかさも、本作品の人気の理由の一つだろう。

濃霧をついて、岩礁すれすれに航行する艦隊のミニアチュアは、メカヲタや特ヲタでなくても燃える。そして、なんといってもこの映画の影の主役(表かも)は団伊玖磨の音楽で、特に転調してからのフレーズは心を揺さぶられるサムシングがある。

2010年08月22日

【追記】

※本文中敬称略


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file updated : 2010-08-23