独立機関銃隊未だ射撃中 |
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■公開: 1963年 ■製作:宝塚映画 ■製作:田中友幸、角田健一郎 ■監督:谷口千吉 ■脚本:井手雅人 ■原作: ■撮影:山田一夫 ■音楽:団伊玖磨 ■編集:庵原周一 ■美術:加藤雅俊 ■録音:西川喜男 ■照明:小西康夫 ■主演:三橋達也 ■寸評: ネタバレあります。 |
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太平洋戦争の最末期、広島と長崎に特殊な爆弾が落ちたと言ってるから、昭和二十年の8月9日以降。 ソ満国境の守備隊、重機関銃のトーチカに偶然集まった4人の運命。 班長・三橋達也、上等兵・佐藤允、三年兵・堺左千夫、学徒動員の二年兵・太刀川寛、そして現地で志願してきた二等兵・寺田誠(現・麦人)。戦況は絶望的だが、ソヴェトとは戦争しない条約が一応あるし、和平交渉もしてるらしいから、極度の緊張状態のためか妙に明るい現場の雰囲気。二等兵は上等兵から重機関銃の手入れを教わる。もともと戦争に疑問を持っていた二年兵が、手抜きを怒られて班長からビンタ。 「戦争はオマエがやってるんだ」と説教する三橋達也。その言葉の本当に向かう先は「戦争は人間がやってるんだ」と、はるか後方で戦争をやらせている人たちに向かっていたのかもしれないが。とにかく一生懸命やらないと、命が危ない。班長はいつか撤退命令が来るとどこかで信じている。 爆撃や銃撃は激しくなってくる。隣のトーチカから酒を持ってきてくれた兵長・福山博寿は酒のアテを班長から頼まれて外へ出たとたんに爆撃に遭って戦死。二等兵、大ショック。のみならず、三年兵はパニック状態に。やってきた将校・夏木陽介は士気を鼓舞するが、彼の口を突いて出たのは「死守」の一言。ようするに全滅するまで戦え、玉砕しろということ。 でもね、こういう命令した将校の中には「俺は死ねとは言ってない、死守という命令を伝えただけだ」とか言っちゃう人もいたりなんかして、さ。 絨毯爆撃が開始されたということは、ソヴェト軍の主力部隊がすぐそこまで来ているということ。周辺のトーチカはすでに全滅、指令所とも連絡がつかない。完全に孤立した班長たちの目前に戦車が2台やってくる。 爆弾をキャタピラの下に突っ込んで走行不能にするしか方法なし。班長と上等兵が飛び出し、二年兵と二等兵が援護。戦車のハッチから爆弾を放り込んで、ソヴェト兵を焼き殺し、なんとか戦車を止めることは出来たが、班長が砲弾の直撃を受けて戦死する。三年兵は錯乱して外へ飛び出し、瞬時に射殺、わずかな絶叫だけが残る。 トーチカに対して、投降を呼びかけるソヴェト軍の放送で流れてきたのは「東京音頭」ここ、最強に泣いたね。この映画は閉鎖されたトーチカが舞台だから、外の様子を知るすべは「音」がメイン。家族や友人や恋人が待つところへ帰りたい、でもここから離れることができない、そんな彼らに向けられる「東京音頭」やら戦争続行が不可能であることを懇切丁寧に説明してくれるこの放送のシーンで泣かないヤツとは、絶対に友達になってやらんからな!別に影響ないけど、そうするからな、ふんっ! 二年兵が投降に応じようとする、なんで一緒に逃げないのかと叫んだときの上等兵の言葉「逃げたいんだけど、動けないんだ」で、ここで再び号泣、観てるほうが。 火炎放射器による全滅作戦が始まる。上等兵が大火傷、二年兵と二等兵が必死にが戦うがそこへ砲弾が直撃する。 この映画のタダモンじゃないところは、相手のソヴェト兵もまた人間なんだということが描かれているところ。そして、きっと彼らの家族の心的には「虜囚の辱めなんかよりも生きて帰って」ほしいんだけど、逃げなかった人たちのことを伝えたかったんだと。 あの当時、あそこにいて生き残った人たちの、いたたまれない責任感は、伝える某かの手段を得たときに自動的にスイッチが入るような気がする。その結果として、映画は映画を越えてしまい、祈りに近い感動を観るほうへと与えてしまうんじゃないだろうか。 特撮がちゃっちいとか、そんなのどうでもいいんだよ。もうこれ、映画じゃないから、きっと内地へ届かなかった郵便物の代わりの、遺言になってるもの。主演が三橋達也だという時点で心がざわざわするのは邪道かもしれないが、そういうのも越えちゃったような気がする。 ひょっとしたらもうとっくに戦争は終わってたのかもしれない。そして、きっと二十一世紀の現代でも彼らは未だ射撃中なのかもしれない、だから忘れちゃいけないんだと、そう言いたいんだろう、きっと。 (2010年07月04日 ) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2010-07-06