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酔っぱらい天国


■公開: 1962年

■製作:松竹

■製作:白井昌夫

■監督:渋谷実

■脚本:松山善三

■原案:渋谷実

■撮影:長岡博之

■音楽:黛敏郎

■編集:杉原よ志

■美術:浜田辰雄

■録音:大村三郎

■照明:

■主演:笠智衆

■寸評:

ネタバレあります。


下戸から見て「酔っぱらい」というのは台所のゴキブリ以下の存在なので、いっそ、泥酔状態で何やっても許されるなら、泥酔状態のヤツに何やっても許されるようになるべきだと思うがどうだろうか?どうせ、本人覚えてないんだろう?え?したことは覚えてないけど、やられたことは覚えてる?って?ずいぶんと都合のいい話だな。

さて、本作品は「酩酊状態」というものに対して日本人がいかに寛容であるか?悪気が無かったというだけで結果責任を問われない事態がいかに多いか?ということ。

父子家庭の長である、渥美耕三・笠智衆は一人息子の史郎・石浜朗ともども酒乱の傾向がある。おまけに、姪のきみ・岩崎加根子、その夫で時計職人の清・伴淳三郎まで、そろいも揃って酒飲んで暴れるタイプ、もはや遺伝子レベルで酒臭い。耕三は会社の会計課長で、そろばん至上主義なのだが、会社の方針は電子計算機の導入。つまり、彼の課はリストラ対象なのである。男やもめの耕三にとって、老後の支えはもはや史郎のみである。

耕三のポン友でトップ屋くずれの小池・三井弘次も、めちゃくちゃな酒好き。耕三を呼び出しては飲み歩き、なじみの飲み屋「ぶらり」の女将・桜むつ子に頼まれた出前のおかもちを配達すると証してゴミ箱に捨てちゃうくらいの、酒に呑まれっぷりである。遺伝子ってか、酒飲みは酒飲みを呼ぶ、ってことだな。

森山も今やおちぶれ放題だが、元は花形のジャーナリストだったらしい。

今日も今日とてバーで酔って暴れた史郎の付け馬に弁償金を支払った耕三。当事者間の示談であっても警察呼んでおかないと、もらったほうの被害者は恐喝になるかもしんないし、加害者ばバックれる恐れがあるから、遠慮会釈ナシに110番は必要なときはするべきだ、と平成の御世では思うのだが。ことほどさように、昭和30年代の日本では、酒飲んで暴れたくらいで警察に通報する人はあまりいかなったらしく、示談が主流であった。「お互いさま」の精神は善行においてのみ通用するのだが、当時はそうでもなかったということだ。

しかしそれにも限度があるということだね。

史郎の友達で同じく、酒飲みの森山・佐藤慶が、プロ野球の東京ファイターズ所属のエース、片岡・津川雅彦とバーのマダム・有馬稲子を取り合ってケンカになった。史郎はそれを止めようとして片岡が振り回したバットが頭に当ってしまい、入院。片岡は酒の席のことだから「何も覚えていない」と証言する。監督・山村聡はこんなチンケなアクシデントでチームのエースをパーにしたくないので、耕三の会社の上司・滝澤修と地縁があったことを利用して、強引に示談に持ち込んでしまう。

山村聡と滝澤修が相手じゃ、笠智衆も分が悪いよな。絵柄的に。

史郎には結婚を誓い合った看護婦の恋人の規子・倍賞千恵子がいた。彼女はすでに妊娠しているのでどうしても結婚したいと言う史郎。耕三は独りぼっちになるのが怖かったので結婚に反対していたが、渋々承諾した。その矢先の、今回の事故である。

監督と片岡はマスコミのスキャンダルを恐れて耕三に酒を飲ませて酔っ払わせ、口止めをする。ひでえ連中だな、青少年のあこがれが聞いて呆れるぜ!手口はまんまヤクザじゃねえか!

耕三がグデングデンに酔っ払って朝帰りした日、史郎は危篤状態に陥って死んでしまう。悲しくてしようがない耕三は、史郎の幽霊と酒を酌み交わすが、強烈な孤独感からまたもや酒を飲む。耕三は規子と、やがて産まれて来る史郎の忘れ形見と一緒に暮らそうと、断酒を決意。規子もすっかりその気だったのだが。

規子に「人殺し」と言われた片岡は、強引に規子に接近して贖罪しようとする。規子の実家は、赤貧で、父親・上田吉二郎はDV。規子は片岡と関係を持ってしまう。情事の現場をわざわざ耕三に見せ付けた規子は、結婚を焦っていた史郎が耕三についた嘘を撤回するために耕三の家に向かう。

規子は妊娠していなかったのである。

トップ屋の森山は、金欲しさに耕三を唆した。酔っ払って片岡の右腕を傷つけて復讐しようと言うのである。耕三は、まだ身分証明が要らなかった時代なので、折りたたみ式のナイフを刃物店で購入し、森山に呼び出された片岡がいるバーの近傍で待機。充分に酒を呑んでからバーに殴りこんだ耕三だったが、間違えて別人を刺してしまい、おまけに森山にも斬りかかった。

耕三は警察に逮捕された。殺人未遂の容疑者として。「酒の上でのことじゃないか」と叫んでみてもすべては後の祭りでありました。

耕三は勘違いをしてたわけだ。酒呑んでたから無罪なんじゃなくて、殺意が無かったというほうが重要だったんだよね、ようするに。そこが片岡の「事故」と耕三「犯罪」の分かれ道。

なんていうかここまで酒飲みを嫌悪した映画ってほかにあまり見たこと無いんだけど、当時、そういう世相があったんだろか。あと、プロ野球業界のヤクザまがいにアレとか。

規子は貧乏人の性で片岡に身を任せたわけだし、耕三もできちゃった婚を利用して老後の安寧を図ったし、片岡は下半身の趣くままだし、そういう役らせると津川雅彦って掛け値なしに適役だなと思ったし(それはともかく)、森山は他人の不幸で一山あてようとしたし、出てくるヤツラが全員「自分が一番」なんだな。

この映画、前半は「酔っぱらい天国」だが、後半はそのツケを全員で支払いまくるので天国どころか最後は監獄行きである。実に後味の悪い映画だった、あ、いい意味で。

てか、さあ、規子が一言「わたし妊娠してません」と言えばすんだんじゃないの?特に後半。耕三や森山があんなことしたのは、規子のせいだと思うがなあ。男は他人のために泣けるけど、女は自分のためだけに泣く生き物だから。だってほら、時計屋の女房、見てみ、金のためなら機械みたいに泣くし、規子も耕三を諦めさせようとしたんだかどうだか知らんけど、片岡に乗り換えたのはズバリ金でしょ?まあ、そこまでヒネクレてはないと思うけどね、この映画は。

2010年06月06日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2010-06-06