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怒りの孤島


■公開:1958年

■製作:日映

■製作:

■監督:久松静児

■脚本:水木洋子

■原作:水木洋子

■撮影:木塚誠一

■音楽:芥川也寸志

■編集:

■美術:平川透徹

■録音:安恵重遠

■照明:平田光治

■主演:鈴木和夫(デビュー作)

■寸評:

ネタバレあります。


「無視」「無関心」「無知」は人間の自己防衛本能であり、罪深いところでもあります。

本作品は孤島に限定された、古い因習による児童虐待の糾弾映画のようですが実はもっと普遍的な問題提起をしています。

学齢期の少年達が小船に乗ってある島にやってきます。島の周囲は潮流の変化が激しく定期船もまともにやって来ません。島民のほとんどは漁業で生計を立てていますが、小船による一本釣りという生産性の低い手段しか選択できません。そのためコストを極限まで低減する必要があり、小船のこぎ手、舵子と呼ばれる役割は、人件費がほとんどかからない子供が担っていました。

子供といっても自分の子供じゃありません。十年の年季奉公、しかも代金は先払いで本人には渡らず、仲介人に搾取されてしまいますし、採用されるのは浮浪児、孤児、親に口減らしのために売られた子供、つまり万が一死んでも誰も文句を言わない子供たちに限定されています。

今日やってきた少年たちは、身寄りが無くニコヨンしているオジサン・左卜全に売られた光男・手塚茂夫、窃盗を繰り返して保護施設にいた悌三・土屋靖雄、それに耳が不自由なため親に売られた少年。この島では楽園のような生活ができると聞かされていた彼らでしたが、先輩舵子の鉄・鈴木和夫が島民の子供たちから石を投げられるほど差別されているのを目撃し、それが完全に嘘だと思い知ります。

初日から食べ物を受け付けなくなるまで働かされた少年たち、寝るのは土間です。扱いは下人以下。悌三は親方の家を抜け出します。島をウロウロしていて途中で鉄が持っていた飯ごうを強奪した悌三でしたが、中身は水みたいなお粥でした。しかし、そのお粥は、ささいな盗み喰いをとがめられ、体調を崩した挙句に雨ざらしの箱にぶち込まれて放置されている鉄の弟分、直二・佐藤紘に持っていってやるお粥でした。悌三は、代わりに食料を盗んできて鉄に侘びを入れます。鉄も悌三と和解します。

性根の曲がった子供の素行は不良ですが、素行が不良な子供の性根が曲がっているとは限りません。悌三は、こっそり島の分教場へ忍び込んでオルガンを弾いたりします。たぶん、元々は普通の家庭の、普通の子供だったのでしょう。普通、つまりご飯が三食もらえて、布団で寝れて、タタミの上で生活できる、必要最小限の普通、この島の舵子には得られない普通。

その普通が奪われた少年たちが、この孤島に集められているのです。

祭りの日、島民な着飾って、ご馳走を食べていますが、直二はとうとう衰弱して死んでしまいます。悌三たちは島からの脱走を決意、船は鉄が用意しました。光男は耳が遠い少年を呼びに行きます。光男は間に合いましたが、直二の死体を担いで逃げていた鉄は、脱走に気がついた親方・稲葉義男らに捕まってしまい仕置きされます。

鉄は分教場の先生・織田政雄、その奥さん・岸旗江、娘の絹子・二木てるみの一家に助けられます。お風呂とご飯と清潔な洋服、直二はこの島に来てはじめて布団で寝ました。分教場の先生は島民たちから一目置かれてます。もしも彼に何か異常があったら、島に本土の連中がやって来てしまうためです。島民たちが子供を酷使するのは、搾取するためではなく、生きるためのギリギリの選択で、すでに数百年の伝統です。しかし、いくら社会から孤立していても二十世紀になって、児童虐待とかの情報も入ってきてますから、このままじゃヤバイことは百も承知です。

しかし少年たちが脱走しました。風穴が開いてしまいました。

少年たちの告発を受けて、労働基準監督署や民生局の役人・原保美ら、それと直二に虐待の疑いありということで警官・浜村純ら、そしてマスコミが続々と島に上陸してきます。島の世話人はなんとか穏便に済まそうと役人たちを連日もてなします。

本土の役人たちが、孤島の状況を知らないわけがありませんよね、今の今まで。誰かの既得権を侵害する可能性があるから、たぶんそれは仲介人のバックにいるヤクザとか、賄賂もらってる人とかが、見て見ぬフリをしていたからに違いないですよ。今回は、マスコミが騒いだから、役場も警察も何らかのアクションを起こさないと世間体が悪いってことですよ。

なぜかというと、島に残った少年たちは、このまま上手く成長すれば一人前の漁師になれるチャンスもゼロじゃないし、事実、親方たちの何人かは過酷な労働に耐えて親方になれてるわけで、彼らの言い分としては「自分達がやられてきたことと同じことをしているのに何が悪いんだ!」ということで、少年達に緘口令を敷くわけで、そんのちょっと自分の頭で考えれば分かることですよ。

にもかかわらず、マスコミの連中も彼らの証言を鵜呑みにしたりするわけですよ、ひょっとしたら誰かの圧力とか?

映像で伝わらない情報、それは匂いです。島の少年たちはきっと物凄い匂いですよ、悪臭。いくら自分らの生活は楽しいとか口で言ってても、ちゃんと目で見て、匂いを嗅いだら「嘘だろ!」って分かりそうなモンですよ。でもそのまま報告されちゃうから、本土にいる警察は、脱走してきた少年たちに「お前らは嘘を言ってるんじゃないか?」とか言っちゃう。

中でも、光男はやっと脱走したのにオジサンから厄介者扱いされて島に戻され、親方からは役人がうるさいから二度と雇わないと断られ、密漁騒ぎの最中に空腹に耐えかねて食料を盗んだために気が立っていた島民たちに殺されてしまうのです。

島の少年たちは新しい就職先、少なくとも労基署の目の届くところに再就職できたり、思い直した親元に引き取られていきました。しかし、舵子制度が崩壊したこの島の人々の行く末は?一人島に残っていた鉄は、分教場の先生と別れて、おそらく嫌な思い出しかない島を去っていきました。

本当の怒りとは何か?誰でも自分が可愛いものです。だから見てみぬフリをします。確かに大人は汚いですが、じゃあ島民、親方たちに他に選択の余地はあったかというとそれは無かったわけです。経済的な援助もインフラも何も整備されず、彼らもまたギリギリだったのです。孤島の怒りの本質は、誰からも見捨てられた島民と少年たちが共有している怒りではないでしょうか。

この映画で最も理不尽さを感じたのは、島民が少年を虐待しているところではなく、エンディングの児童憲章のテロップの空々しさでした。

2010年05月02日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2010-05-04