D坂殺人事件 |
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■公開:1998年 ■製作:東映、東北新社 ■製作:黒澤満、植村徹 ■プロデューサー:一瀬隆重、石原真、宍倉徳子 ■監督:実相寺昭雄 ■脚本:薩川昭夫 ■原作:江戸川乱歩 ■撮影:中堀正夫 ■音楽:池辺晋一郎 ■編集:西東清明 ■美術:池谷仙克 ■録音:福岡修 ■照明:牛場賢二、丸山文雄 ■主演:真田広之 ■寸評: ネタバレあります。 |
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この映画、真田さんが出てなかったら、観る気に全然なりませんでした。 江戸川乱歩のビジュアルに欠かせないのは、2次元的な空間構成、けばけばしいカラースキーム、そして、大向こう受けを狙うハッタリの効いた芝居。 つまりは昭和初期の紙芝居のごとくチープで、おどろおどろしいムードであります。 実相時昭雄監督の映画では、女性はおおむね縛って埋められてしまうため、女優を雑巾のように扱うと言われた石井輝雄監督と同じ地平線を感じてしまいます。ようするに「変態」ってことですが。で、この世界観に真田広之、これはぜひとも観ずにはおれません。真田さんったらどんな格好させられんのかしら(ワクワク)。 そんな不純な動機で観てしまいました。 D坂というのは団子坂のことであって、交通情報でおなじみの談合坂のことではありません。 そこにある古本屋の女将、時子・吉行由実、カフェの女給、マユミ・大家由祐子、蕎麦屋の女将、キセ子・小川はるみはいずれ劣らぬ変態です。 イキナリ、変態の大安売り、緊縛変態セックスのフルコース、いくら縄中毒だからって平素から身体を亀甲縛りにしておくってのは、スゴすぎです。そうまでして、日々、変態修行に励んでいるのでしょうか? まるで、星飛雄馬の「大リーグ養成ギブス」のようですね、って違いますか?でも、身体をイジメて鍛えるって、その道に通じるところがあるのかも。 古本屋の番頭、齋藤・齋藤聡介は日々、彼女達を調教しています。 そんな隠微なセックスにふけっている時子ですが、ある日、その筋の猛者の間ではカルト的人気を誇る、責め絵(SM系のエロ画)の絵師、大江春泥の「明烏」と「不知火」のニセモノを、贋作絵師の蕗屋・真田広之に依頼します。 蕗屋は「不知火」の贋作を2枚仕上げます。 彼の流儀は、ニセモノを2点描いたらオリジナルを抹殺してしまうこと。 ホンモノを焼いてしまってから、時子にニセモノを納品すると、時子は見事な出来栄えに感心します。そりゃそうですね、比較対照するホンモノも同じ絵師によるニセモノなのですから。 それって一種の詐欺じゃないのか?という気もしますが、ま、そこいらへんはさておき。 ところが二作目の「明烏」のほうは難しかったらしく、時子はマユミをモデルとして派遣しますが、上手くいきません。 マユミは蕗屋の唇を奪おうとしますが、彼にはその目的が無かったので拒絶されます。 あ、別に普通のセックスじゃ全然満足しなくなっちゃった、とかそういう意味じゃない、と思いますが。 しかし、女の紅が着いた自分の唇を鏡に映した蕗屋は「俺って意外とイケてるかも?」と思ったのかどうか分かりませんが、自ら肌襦袢をまとい女装し、身体を責める姿を夢想しながら製作にとりかかると、これがまた筆に魂がこもってスラスラ描けてしまいます。 ああ、やっぱり真田先輩(注:日本大学芸術学部の2コ上)も変態(の、役どころ)だったのね! 大きくなってからは、すっかり彫りが深くなった真田さんは(おいおい・・・)、若い頃のほかの作品で女装したこともあるし、あっちのほうもアレかもしれないとウワサになったこともある、マスクは美形ですが、少々ゴツイ印象もあるため、本作品のように、綺麗に撮影するのはひとえに照明力の賜物と申せましょう。 蕗屋は、1作目と同じようにオリジナルを始末してから時子のところへ持って行きます。 これまた見事な出来栄えに感心した時子は、自分がこの絵のモデルであると告白します。蕗屋、かなりビックリ。 彼のルールに則れば、贋作のモデルである自分以外のオリジナルは存在していてはいけないことになります。 絵の代金を受け取りに、時子のところへ来た蕗屋は、彼女を口説くフリをして、コマンドサンボのサブミッションホールドにより絞殺してしまいます。 植木鉢に隠してあった大金をわざと現場に残した蕗屋は、番頭がその金をちょろまかすことを見越しており、彼を犯人仕立て上げようとします。 ちょうどそのころ、下宿の女将・原知佐子は、床が抜けるほどの古書を収集して、家賃を滞納している、イイトシこいた引きこもりのオッサン、実は名探偵の明智小五郎・嶋田久作に、番頭の齋藤を紹介していました。 古書を叩き売って家賃を回収しようというわけです。目利きでもあった明智の古書は高く売れたので、残ったお金で彼は探偵事務所を開設します。 齋藤は逮捕されますが、当然ですが、彼は遺体の発見者に過ぎません。 コソドロはやってますが殺人はしてません。予審判事の笠森・岸部一徳の心証は「シロ」そこで、彼は明智に捜査を依頼します。 容疑者は、齋藤ともう一人、古本屋に出入りしていた蕗屋に限定されます。 嘘発見器の反応の結果は、齋藤に不利でしたが、あまりにも上手く回答していた蕗屋に、明智は疑いを向けます。 機械なんて所詮は、無実の証明はできても、犯人の断定にまでは使えないものです。 犯人じゃない人はたくさんいますが、犯人は独りしかいませんから、科学技術を妄信することが思わぬ冤罪を産むというのは歴史が証明しています。 まして、ぽっと出の新技術なんて、というわけですね。 二十一世紀の今日、この、作者が予想しなかったかもしれない先見の明は再評価されてもいいのではないでしょうか?とはいえ、直感が優先するってのも、さらに危険ですが。 明智と蕗屋は直接対決します。 断末魔の時子が引掻いた紅葉の屏風が動かぬ証拠となって、蕗屋の証言の矛盾が指摘され、真犯人は蕗屋であると判明します。 本作品のテーマは倒錯美でありますが、男が女に変身する真逆の存在として登場する小林少年・三輪ひとみ、当時は二十歳くらいですが、どう見てもローティーン。男装の詰め襟姿はその筋の趣味の皆様にはかなりのツボではないかと。美少女達が美少年に変身する「1999年の夏休み」をフト思い出しちゃいました。 カフェの主人・堀内正美、蕎麦屋の主人・寺田農、美術商・東野英心、実相時映画のお友達も、ちょっとづつ出演。 「お金をかけてもいい映画ができるとは限らない」は真実ですが、「お金をかけなくてもいい映画はできる」というのは間違っています、と、思っていましたがオープンも組めない低予算による苦肉の策のペーパークラフトが高く評価されてしまったというのは皮肉な結果です。 物量をかけた「歌麿・夢と知りせば」のように、人のいうことを聞かないオジサンばっか集めちゃうと、実相時監督の思春期の少年のようなマニアックさが、踏み潰されますので、それはそれでまた別の不幸であると言えます。 (2010年04月13日 ) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2010-04-13