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証人の椅子


■公開:1965年

■製作:大映

■製作:伊藤武郎、宮古とく子

■監督:山本薩夫

■脚本:依田義賢

■原作:開高健

■撮影:上村竜一

■音楽:池野成

■編集:河野秋和

■美術:菊池誠

■照明:高橋一三

■録音:空閑昌敏

■主演:福田豊土

■寸評:福田豊士といえば「デンターライオン」ですね!リンゴをかじって歯茎から血が出ませんか?(ナツカシ・・・)

ネタバレあります。


ひじょうに怖い映画であります。

仮説が正しいと証明することと、仮説が間違っていることを認めないというのはたいそうな違いです。

徳島でラジオ商、今で言うところの街の電器屋さんですが、そこの旦那さんが内縁の妻、洋子さん・奈良岡朋子の自宅で子供と一緒に就寝中、刺殺されます。現場にいた洋子さんも子供を逃がそうとして刺されたそうです。住み込みの店員さん、坂根クン・樋浦勉と柳原クン・寺田誠は物音に気がついて母屋へ走りますが電気がつきませんでした。真っ暗な部屋はすでに血の海でした。

刑事・佐野浅夫は外部から侵入したと判断して捜査を開始します。証拠物件はたくさんありましたが犯人がなかなか見つかりません。犯人を目撃した子供の証言による人着はアテにならないのではないか?と疑って、内部犯行説=洋子さんの狂言をとったのは検察のエリート検事、山口・新田昌玄でした。

検察の取調べに呼ばれたのは、まだ少年だった坂根クンと柳原クンですが、まるで犯人のような扱いを受けて、刑務所に入れられたり長時間、拘束されたりしました。そのうち二人は「洋子さんが電線を切れと命じた」とか「洋子さんが証拠の品を川に捨てろと言った」という証言をしてしまい、その証言が決め手となって有罪が確定します。

控訴も棄却、洋子さんと弟の浜田さん・福田豊土は無実を信じて応援しますが、裁判はお金がかかるので貧乏な親族の苦労を気にした洋子さんは、上告の途中で取り下げてしまいます。13年間服役してから無罪を証明しようという戦略ですが、そんなことまでしちゃったら後で無罪とわかっても、せつないだけです。

そんなとき、真犯人だという人が名乗り出ちゃいました。関係者一同、唖然茫然です。

浜田さんは弁護士・浜田寅彦の協力もあって、事件から何年もたった今、二人の店員を探しに出かけました。すでに大人になっていて働いていた柳原クンは、検察の取調べが過酷で自分の言うことを取り上げてもくれず家に帰ることも許されなかったと証言します。つまり「検察の取調べ調書に書かれていることは偽証だった」というわけです。

浜田さんは無罪を確信、もう一人の坂根クンを探しますが、彼の元にはすでに検察の手が回っていました。口止めっていうか?犯人あつかいまでされていい迷惑だった坂根クンは家族が迷惑するからもう事件に関わりたくない、それなら「アレは本当だったと言えばいいのさ」と検察の人に吹き込まれていたので、偽証を認めてくれません。

大ドンでんかえしを期待したマスコミも肩透かしを食らってガッカリです。お前たちを喜ばすために、再審請求してるわけじゃねえじゃん!と叫びたいところですが、インターネットの無い時代、世論を動かすためにはマスコミを味方につける必要は大でした。

人権擁護課に駆け込んだ柳原クンのことを知った検察の山口検事は、同課の課長・加藤嘉にやんわりと圧力をかけますが、逆に説教されてしまうのでした。

突っ張っていた坂根クンでしたが、実はすごくナイーヴでプレッシャーに耐えかねて自殺しようとしてました。不憫に思う浜田さんでしたがなんとしても偽証したという証言が欲しいところです。坂根クンを東京へ連れて行き、司法省へ直談判しようとしますが不調に終わります。坂根クンはついに偽証を認めてくれましたが、今度は検察庁が浜田さんと弁護士が二人の元少年を脅していると認定して、偽証を認めてくれません。

「事件にするかどうかは検察が決める」なんというオッカナイ台詞でしょうか。なら、その警察が悪いことしたら?誰が裁くんでしょうか?

人権擁護課の課長も、マスコミの注目も、浜田さんの努力はどんどん見捨てられて行くのでした。なんと、山口検事も、上司である副部長・下絛正巳、事務官・庄司永建らの判断もあって、その傲慢な態度を恐れた検察庁によって処分されてしまいます。

この映画ができた当時はまだ、事件の白黒は着いていませんでしたが、実際の事件のほうでは服役後、再審請求をしている途中で、犯人にされた女性は亡くなってしまいます。その後、親戚の人たちに引き継がれたこの事件は、当の本人が死亡した後で、無罪が確定するのです。

遅すぎです。冤罪というのは単なるヒューマンエラーとか科学技術のレベルだけの問題ではないのですね。時間は取り返せません。それに、今更っていう頃に無罪を認めてあげて、軽く頭下げとけば検察側は誰も傷つかないし、最後にちょっぴり改心した感じがしていい感じじゃね?という魂胆が見え隠れします。

自分が犠牲にならない範囲で反省することを、卑怯と言います。

この映画、何が怖いって真実がどうのこうの言うよりも、判決がどっちか?に軸足が移動していることではないかと思います。勝ったとか、負けたとか、報道の仕方にも問題ありなのですね。

自分がもし、坂根クンや柳原クンの立場だったら・・・誰でも何時でもひょっこりと、冤罪の被害者になったり加害者になりうるという、なんとも恐怖な映画でした。

2010年02月22日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2010-02-28