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博徒


■公開:1964年

■製作:東映

■企画:岡田茂、彼末光史、俊藤浩滋

■監督:小沢茂弘

■脚本:小沢茂弘、村尾昭

■原作:

■撮影:山岸長樹

■音楽:津島利章

■美術:大門恒夫

■照明:増田悦章

■編集:堀池幸三

■録音:野津裕男

■主演:鶴田浩二

■寸評:

ネタバレあります。


鶴田浩二、常に何かに取り残されていくことを美学として体現するのが身上。そして全身ナルシスト。必要にして充分に美男子なんだからアピールしてくれなくても全然平気なのにクドイくらいのダメオシです。

大阪の古参ヤクザ組織、高田一家の親分、房五郎・月形龍之介はバリバリのアナクロ世代。ヤクザとカタギをキッチリ区別しています。対する阿倍野一家は企業舎弟から野心家の若手、出自はカタギのビジネスマン、藤松・天知茂に跡目を継がせます。明治の時代に経済ヤクザとはなんというリベラルな考え方でしょうか。そんなんだから高田一家としては、どうにも鼻持ちなりません、すでに衝突の予感濃し、です。

その、高田一家の代貸、立花・鶴田浩二はよく出来た中間管理職。わがまま重役の五郎七・遠藤辰雄からは煙たがられていますが、親分の信頼は厚いです。今日も今日とて藤松「新」組長の就任式に立花は親分の名代として出席します。貫禄充分ですが、親分衆の中では若造扱いがチトツライ立花であります。彼の理解者は兄弟盃を交わした、八軒山一家の安之助クン・里見浩太朗です。

立花はチンピラの卯之吉・松方弘樹を拾います。卯之吉は女郎の小里・藤純子の恋人でした。ブサイクでスケベな五郎七は小里に横恋慕していたため、卯之吉の兄貴になった立花がますます気に入りません。

兄貴分としては養う子分が一人増えたら、衣食住のコストは自動的に増大します。小里のいる置屋の女将・南田洋子のおしかけ女房ライクなお世話に感謝しつつも照れて突っ張る立花ですが、色恋沙汰では立花よりか経験値の高い卯之吉はちょっとニンマリです。卯之吉の教育係になった銀二・曽根晴美はヤクザの道徳教育を試みますが、現代っ子の卯之吉に体よく逃げられてしまいます。

好漢・銀二先輩の指導育成がことごとく徒労に終わる姿に、平成のサラリーマン業界における課長〜主任クラスの方々は強いシンパシーを抱くこと必至であると推察される次第です。そう、人間なんて、どんな組織だって、やることなすこと全然進歩なんてありませんのよ、いつの時代でも。

情で結ばれている立花たちとは大違いの藤松の夢は政界デビューです。警察や市会議員とも手を組んだ藤松は、スラム街の強制立ち退きを開始。立花と銀二がこれを阻止しようとして、銀二が憤死。すわ、高田一家と阿倍野一家の戦争勃発かと思いきや、観音の隠居・内田朝雄が仲裁して事なきを得ます。

先代の姐さんと肉体関係を持つような非道な振る舞いをしていた八軒山の親分・松兼・沢彰謙を殺害した安之助クンが立花のところへやって来ます。将来ある若者に優しい立花は馴染みの警官、浜村・加藤嘉に「コイツ、気が狂っちゃいましたよ」と告げます。精神異常ということなら罪が軽減されるわけなので、浜村もまた不良青年たちの後見人でもありますから、立花の情愛を理解して安之助クンをしょっ引いていきました。

生臭坊主の乗念・芦屋雁之助は五郎七の賭場で身包み剥がされた上に、簀巻きにされて殺されてしまいます。カタギに迷惑をかけたのを理由に五郎七は高田一家を破門されます。藤松のところへ転がり込んだ五郎七は、高田一家の親分を刺殺した上に、小里を拉致しようとします。小里奪回に乗り込んできた卯之吉は藤松によって射殺されました。

いよいよ高田一家と阿倍野一家はのっぴきならない状態になります。藤松はスマートに解決しようと警察に通報し、高田一家の動きを封じます。しかし、おさまらない立花と安之助クンは警備網をアッサリと通過。権力と結びついていい気になっていた藤松でしたが、警察の本音は「ヤクザのくせに政治家になろうなんて生意気な!」というわけなので、結局のところは共倒れを期待されてしまうのでした。

わずか二人ですが、捨て身で死ぬ気の鉄砲玉。阿倍野一家はあっという間に壊滅状態となり、拳銃片手の藤松と立花の一騎打ちになります。立花は被弾しつつも藤松を殺害。同じく重傷の安之助クンと一緒に現場をあとにするのでした。

ドスと拳銃の対決=オールドタイマーズVSニュージェネレーション、ビジュアル的にとても分かりやすい構図です。一人必殺の理でいけば、拳銃の弾を食らっても命がつきるまでにドスで相手を殺せると健さん(注:高倉健)も言ってた(「網走番外地 南国の決闘」参照)ので、拳銃もってるのが多数だったらヤバイですけど時代はまだ明治、藤松の一丁だけでした。

ヤクザの業界は社会をドロップアウトした若者の受け皿として機能していた、というか今でも一部ではそのような役割もあるようですが、警察がその橋渡しもしていたようですので、近世においても警察とヤクザの蜜月時代の原点はここいらへんにあるようです。あまり世の中、厳しくヒトツのモノサシで割り切ろうとするとそこから漏れちゃう人は当然出てきますから、ヤクザとカタギがお互いに違うレイヤーに存在している限りは双方の閉じた秩序に納まっていたほうが平和というものです。

従いまして、そこからカタギの世界に進出しようとした藤松が、権力に抹殺されてしまうのは当然です。所詮、ヤクザはカタギから見れば異分子ですから。藤松はヤクザに殺されたのではなく、体制に利用された(結果的に)ヤクザに殺されたということになります。ベタベタの仁侠映画のようで、実はまことにクールな映画でありました。

卯之吉を受け入れて、新しい住まい探しに奔走する立花と銀二のディテール、手打ち式の細密な、正確なのかどうかはわかりませんが、所作に時間をかける。こういうところが本作品の厚みです。ヤクザが近代化していく姿を描くのに、いかにも生活感のない天知茂をもってくるところもいい感じです。

映画の最初のほうでヤンチャをする卯之吉の仲間の新吉・潮健児。コメディリリーフでいい仕事してます。で、藤純子ですが、松方弘樹とイチャイチャしますが決して着物の前がはだけることはありませんでした。無理か、やっぱ、東映京都だし、プロデューサがお父さんだし、ねえ。ホントに手を出したら、松方弘樹が簀巻きになっていたかも?

2009年10月18日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2009-10-18