殺陣師段平 |
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■公開:1950年 ■製作:東横映画、東京映画(配給) ■製作:マキノ満男 ■監督:マキノ正博 ■脚本:黒澤明 ■原作:長谷川幸延 ■撮影:三木滋人 ■音楽:大久保徳次郎 ■美術: ■照明: ■録音: ■助監督: ■主演:月形龍之介 ■寸評: ネタバレあります。 |
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新国劇出身の俳優さんといえば、辰巳柳太朗、島田正吾、原健作(健策)、緒形拳、若林豪、伊吹聡太朗、まさにそうそうたるチャンバラ俳優さんたちです。やっぱ、新国劇ってば殺陣ですよね。殺陣を後世にきちんと伝えてくれた原健策や伊吹聡太朗の不在が今のチャンバラ映画っぽい、チョンマゲ乗せた「だけ」の似非時代劇の隆盛と無縁ではないような。 嗚呼!ちゃんとしたチャンバラ映画、観たいです。てか、そういうキモチになる本作品でした。 新国劇で頭取と呼ばれる古参の役者、市川段平・月形龍之介は文字が読めない無学のヒトでしたが、チャンバラが大好きで、今日も若手を集めて立ち回りの稽古をしています。女房は髪結をしているお春・山田五十鈴、奉公をしている娘のおきく・月丘千秋は京都で段平が拾ってきた子供でした。 澤田正二郎・市川右太衛門は、歌舞伎の、舞踏のような型を重んじるチャンバラではなく、リアリズムのある殺陣を求めていました。段平の好きな殺陣は否定されてしまいます。ガックシな段平は、酔っ払って橋の欄干でトンボを切ってそのまま川へ落ちてしまうのでした。 酒好き、つまりは気が小さい、家庭を顧みない、ゆえに貧乏、しかし女房はシッカリ者、関西芸道映画のセオリーがフル装備です。ま、ようするに亭主がいくらグダグダでも、夫婦はどっちかがシッカリしていれば、どうにかなるということですな。 ホンモノの喧嘩の挙句に編み出した殺陣が採用されて、関西ではアタリを取るのですが、ビッグマーケットの東京ではさっぱりでした。仕方なく、濡れ事の「月形半平太」を上演するのですが、段平は面白くありません。チャンバラしないからです。自分を否定されたも同然の段平はますますグレちゃいます。 主人公の挫折、女房の病気、これまた鉄板のようなストーリーです。 声はいいけど目が怖い月形龍之介の、不器用な男の按配がなんともいい感じです。あまりヤリすぎるとこういう役はクサミが出ますが、すでに戦後でイイトシこいてきて、柔軟性が無くなった初老の硬直感というようなものが、実体としての月形龍之介から出てきていたので、このタイミングにこの役はグッドなのでした。 旅先で、お春さんの病気を知っている澤田先生は早く段平を返してあげたいのですが、段平はなんとしても芝居にチャンバラを入れて欲しいので譲りません。駄々コネまくり、その気を察している澤田先生のもどかしさ、ああ!じれったいカラミが危険水域に達したそのタイミングで、澤田先生はキレてしまいます。 チャーンス!と思ったのは段平を引き抜ききた男・加藤嘉でしが、段平は高額の移籍金には目もくれず姿を消してしまいます。 老優の繰言を内心では小馬鹿にしていた澤田先生は京都の南座で上演中の「赤城山」のラストシーンで中風を患った国定忠治の、断末魔のようなケレン味のある殺陣で受けていましたが、そこには先生が求めるリアリズムは不在。つくづく、段平の存在を失ったことに後悔をする澤田先生。作家の倉橋・進藤英太郎にしみじみと語るのでした。 その頃、段平は京都で中風を患って死にかかっていました。新国劇の道具方、兵庫市・杉狂児に担がれて南座の公演を見た段平は死の床で、訪ねてきた娘のおきくに、身体が動かず闘えない忠治の殺陣を身振り手振りで伝えます。おきくはなんとしてもこの殺陣を澤田先生に伝えようとしますが、誰もおきくを知らないので楽屋に入れてもらえません。 おきく、ここで根性出します。なんと楽屋口から飛び込んでそのまま、花道をダッシュ。ラストシークエンスの準備している幕の内へとなだれ込みます。スタンバってた澤田先生はビックリ、狂信的なファンの乱入か?と取り合わない澤田先生。すげなく返そうとしますが、おきく、必死、命がけ。これは何かある!と、ピンときた澤田先生は、なかなか幕が上がらないのにシビレを切らしたお客さんに「今、殺陣の工夫をしているのでもう少し待ってください」と訴えます。 お客さん、応えてくれます。芸は客が育てるという関西人の心意気というヤツでしょう、観ているほうもグッとくるシーンです。 おきくは布団の中で震えて悶絶するだけの忠治の殺陣を身振りで伝えます。澤田先生はおきくの殺陣を感心しながら魅入ります。舞台の上にいるすべての役者の心がヒトツになります。澤田先生はおきくに段平の血筋を見出すのでした。 不器用な男同士の感情のすれ違い、その葛藤がわだかまりとなって、やがて芸に対する一途な情念がその頑ななキモチを歩み寄らせて、ドラマチックな「再会」へとたどり着く。落語・講談の浪花節ストーリーに身を委ねる楽しさ、愉快さ、タイミングを計ったのかというほどいいところで泣かせて、笑わせる。 自分の愛するものを愛せよ、とでも言えばいいですかね。トコトン愛情を注ぐこと、やめない事、あきらめない事、一生懸命やってると願いは叶うものなのでしょうが、失うものも多いわけですね。女房役の山田五十鈴は、結果的に今生の別れのなる、段平の東京行きを見送るとき、病身の涙を見せないように暖簾で顔を隠して泣きます。こういう演出、いいなあ、たまりません。 山田五十鈴も市川右太衛門も錦絵から飛び出してきたみたいなビジュアルです。京都の南座ってホンモノだと思いますけど、こういうのがちゃんと残ってることの素晴らしさ。そして当時、撮影当時ですけど、京都の風情を切り取って残しておいてくれる。映画のロケーションの歴史的価値ってもっと見直してほしいです。ま、今となっては撮る価値のある景色がどれほど日本に残っているかチト微妙でありますが。 難点といえば、インテリ役者のはずの澤田正二郎を演じた市川右太衛門が全然インテリに見えなかったことでしょうか。センスとしては段平寄り、しかしあの重戦車のような押し出しの立派さでは、澤田正二郎にぶっとばされることなく、ヤケザケかっくらって南座のヒトツも破壊しそうなので、やはり段平役は無理だったかも。 当時はチャンバラ映画はまだNGだったころだと思いますので、これは時代劇ではないのですが、舞台の上ではチャンバラします。苦肉の策だったんでしょうかね。で、当時は戦前のチャンバラスタアの皆様も本作品のように角刈りだったりポマード頭で現代人しています。大正男のカッコよさにイチコロなのでそれはそれでムードがあってカッコいいのでこちらも見どころでした。 (2009年09月13日 ) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2009-09-13