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四十八歳の抵抗


■公開:1956年

■製作:大映

■製作:永田雅一、川崎治雄

■監督:吉村公三郎

■脚本:新藤兼人

■原作:石川達三

■撮影:中川芳久

■音楽:池野成

■編集:

■美術:間野重雄

■照明:泉正蔵

■録音:橋本国雄

■主演:山村聡

■寸評:

ネタバレあります。


四十八歳といえば年男である。次は還暦。

当時の四十代後半と現代の同年代は価値観もライフスタイルも違うので、共感しにくいところが多々あろうが、当時の風俗を疑似体験するスタンスで見ていれば違和感はない。

山村聡はルックスの押し出しが立派過ぎるため、ギャップを生かした役どころの印象は強烈である。特にエロい役どころだったりすると「これくらカッコいいんだからオッケーなんじゃないか?」という好意的(か?)な感想と「そんなヒトだとは思わなかったわ!サイテー!」と横っ面をビンタしてやりたくなる衝動がない交ぜになるので観ているほうは大変である。いずれにせよ、これだけは言える。日本の平均的なオジサンと山村聡とは雲泥の差があるのであるから、まかり間違っても劇中における山村聡の行為を見て「俺でもアリか?」という勘違いは迷惑なので止めるように。

のっけから、若尾文子と川口浩のディープキス。大映重役の子息である川口浩ったら、やりたい放題だな。実生活と役どころがスクリーンの外で地続きだからな、この人の場合。

西村耕太郎・山村聡は保険会社の次長。この年齢で(当時の定年は55歳くらいだとして)次長クラスであれば、取締役になれるチャンスはもうほとんどないから、企業においてはこれ以上の出世というのは同一部署では難しいと言える。現場を離れて総務部とかそういうところでなら、可能性はあるが。家に帰れば、口うるさいが善良な妻・杉村春子もいるし、キレイなお嬢さん、ま、こっちは後から色々と問題を起こすのだが、にも恵まれたのであとは平々凡々と不祥事だけには気をつけてサラリーマンの余生を送るのが定石。

社員旅行に出かける朝、庶務の能代クン・小野道子は娘の理枝・若尾文子の元同級生で、性格の良い娘だ。耕太郎としては父の心で接している今日この頃である。古書店で偶然手にした「ファウスト」に出てくる悪魔のように、スマートな部下の曾我・船越英二が電車の中で急接近。平素は印象の薄い曾我だったが、彼は西村の行動をすべて見透かしたように、「新しい生き方」を西村に勧める。

肉体的に精神的にも社会的にも閉塞感に苛まれていた西村にとっての「新しい生き方」とは、結婚して「夫」になり、子供が出来て「父」になった工程において、とうの昔に捨てたはずの「男」としての生き方に他ならない。それはズバリ、エロである。

宴会における西村のスピーチは、長くてつまらない。こう言うヒトは誠実でウソがつけないヒトだから信頼には足りる人物であるが、融通が利かない。こういうヒトのタガは一度緩むと底知れないのものなのである。

曾我は夜の歓楽街に西村を誘い出す。おそらくはこの歳になってはじめて本格的な「高い酒=社用で飲む酒」の味を覚えてしまった西村は、その後も曾我の誘いを断らない。こういう誘いには若いヒトほど乗らないものだ。自分の可能性やら将来性やらと、目の前にある快楽とを天秤にかけるから。だが、先が見えてきた西村にはまさに夢の世界、新しい可能性を探す冒険旅行への船出である。かなり、やけっぱちではあるが。

かつて西村の部下で、後に寿退社したけど離婚しちゃって今じゃあ水商売やってるマダム・村田知英子の店で十九歳の少女、ユカちゃん・雪村いずみに出会う。十九の若年寄で自分のことを「ユカちゃん」と名前で呼ぶような女は、真性パーか、または、確信犯の悪女であることを西村はまだ知らない。いや、別に知らなくてもいいんだけどさ。

十九の娘が自分みたいな、加齢臭まみれのオヤジに惚れてくれるなんて、まだまだ自分もイケるんじゃないか?ようするに、曾我が仕掛けたトラップであるユカちゃんは西村にとってはいわば回春剤。赤貧ゆえに身体を張ってお金を稼ぐユカちゃん。ホステス、デート嬢、ヌードモデル。やってることはかなり大胆。

会社の帰りに、しかも最寄り駅で待ち合わせての堂々デート、保険金詐取疑惑の旅館を調査するために出張した熱海へ同伴、バレるだろう、普通は。しかし、バレない。きっと曾我が上手いこと工作してくれたのだろか?ユカちゃんて、曾我とグル?などなどこれもひとえに「まさかアノ真面目な西村さんが!」というある種の人徳のなせる業ということにしておこう。

しかし現実は厳しい。一人娘の理枝は、音楽青年の敬・川口浩と結婚を前提に付き合っている。しかも、敬は庶務の能代クンの弟。邪険にもできないが、キャバレーでバンドマンのアルバイトをしている甲斐性なしの学生に娘を嫁にやるのは、正直どうもというのがお父さんの本音。しかも、この敬は妙に生意気で、父親への挨拶にも悪びれた様子はなく、お父さんの西村としては結婚には反対である旨をなんとか伝えたが、二人は速攻で駆け落ちしてしまうのだった。

ますますユカちゃんにのめりこむ西村。デート代ほしさに、焼け太り狙いの旅館の主人・潮万太郎と、自社の契約社員である保険の外交員からビビたる金額の賄賂をもらってちょっぴり嬉しい西村。ついに本懐を遂げようと、旅館の一室でユカちゃんに襲いかかった西村であるが、「お嫁に行けなくなっちゃう!」というユカちゃんの一言で一気に夢から醒める。

ユカちゃんが処女だとj真剣に信じる人間がこの世に何人いるか知らないが、とにかく、自分の娘のように傷モノにしたらマズイという思いが西村@男を西村@父へと引き戻す。

曾我とユカちゃん、グルだったの?とか思うが、ユカちゃんに慰められた西村は傷心のままそれでも会社へ出社する。しかし、曾我は突然、西村の前から姿を消す。実はブルジョワのお坊ちゃまだった曾我は、父親の会社へ戻って重役に出世したそうだ。領収証を水増しして、アフターファイブをエンジョイするセコい手口も全然平気だた曾我。ひょっとしたら、西村は曾我の社会勉強のネタに使われただけだったのかも。

そんなこんなで魔法が解けた西村のところへ、駆け落ちした娘と将来の息子が帰ってくるそうだという電話が入る。なにもかも元の平穏な状況へ戻るようだ。今度は結婚に賛成してあげようと誓う西村。「夫」と「父」に目覚めた西村はたぶんもう大丈夫だろうが、同時にもう自分は「男」には戻れない無いことを実感してちょっぴり寂しい西村なのであった。

抵抗は無駄だったのか?そうでもないんじゃないの?と山村聡の肩をぽんっ!と叩いてあげたくなる映画。なんか山村聡がぐっと身近になったような気がするというオジサンがいっぱいいそうだが、違うぞそれは「なんだ山村聡でもダメなのか」が正しい。夢を持つのはいいことだが、現実は甘くない。

ゲーテに扮した山村聡に、悪魔の扮装=全身タイツにトンガリ帽子、それってバイキンマンじゃないか?ってな感じの船越英二が高笑い。吉村公三郎の映画ってクサイを通り越して時々漫画、しかもバリバリの少女漫画、目玉に☆とか飛んでそう。

2009年04月19日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2009-04-19