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電光空手打ち


■公開:1956年

■製作:東映東京

■製作:光川仁朗

■監督:津田不二夫

■脚本:小林大平

■原作:牧野吉晴

■撮影:福島宏

■音楽:山田栄一

■編集:

■美術:中村修一郎

■照明:森沢淑朗

■録音:加瀬寿士

■主演:高倉健

■寸評:文献によりますと「小川虎之助」になっている役は「山形勲」でした。

ネタバレあります。


大スタアのデビュー作というのは興味深いものであるが、概ねそれは「お笑いネタ」にされることが多い。後の市場価格とのギャップが大きな要因と考えられるが、特に東映東京の場合はそのズレが芸術的ですらある。東映東京は低予算である。外に出る金を渋るがために、派手で分かりやすい演出に走る傾向があり、結果として「無茶するなあ」という印象を残す。

本作品は東映の大型新人、高倉健のデビュー作である。

大正時代、沖縄に唐手(後に空手に改称)の二大流派があり、忍勇作・高倉健(新人)は中里東恩・佐々木考丸を師匠とする実戦重視の知倒派に所属。その知倒派とライバル関係にあり、型を重視する非戦派の名越義仙・山形勲を暗殺すべく、忍は朝日を浴びて修練に励んでいるターゲットの背後からイキナリ飛び蹴り!あっさりスカされた挙句に名越の気合に圧倒されてしまい、自ら敗北を認めて、岩場にへばりついてカエルのように平身低頭する忍であった。

忍は知倒派のエースであり、兄弟子の赤田・岩城力(岩城力也)も一目置いている。暗殺失敗にうなだれて帰宅し、「ごめんなさい」の一言もなく「どうせ勝てる相手じゃないから」と謝罪の欠片もないような言い訳をする忍に対して、赤田先輩の怒りが爆発!しかし忍はマッハ逃げ。勝負に負けて名越に心酔してしまった忍が彼に弟子入りすると言い出すに至っては、中里師匠の娘、恒子・藤里まゆみもからも「卑怯者」呼ばわりされてしまうのだった。

中里師匠は息子、克明・北峯有二が「しっかりしてないから」忍に跡目を継がせる予定だったわけで、てことは、恒子お嬢さん的には忍はいわば許婚。そんな将来の夢も希望も打ち砕かれたお嬢様が怒るのもむべなるかな。弟子の移籍は、流派のノウハウ流出なので、赤田先輩をはじめとする知倒派一門として忍の電撃移籍は大問題。

そんなこんなで、忍勇作は名越に弟子入りを認めてもらおうと庭で土下座したり、雨に打たれてずぶぬれになったりするのだが、名越の家に住み込んでいる、顔は怖いが優しくて口跡のよい比嘉・神田隆の口ぞえも奏功し、ついに忍は弟子入りを許可してもらう。

ちょとした「姿三四郎」風のエピソード作りが微笑ましい。

一方、赤田先輩、恒子お嬢さん、克明坊ちゃんたちはなんとしてでも名越と裏切り者の忍を抹殺すべく、決闘を計画。しかし立会人を頼んだ湖城先生・加藤嘉から叱責された腹いせに、赤田が大勢で湖城先生を襲撃、負傷させてしまう。

高齢者をよってたかってボッコボコ。赤田先輩、サイテーです。

その頃、東京で文部省主催のイベントが開催されることになり、沖縄県のプロモーションの一環として唐手の紹介してほしいと、学務長・沢彰謙から依頼されていたのは名越であった。知倒派が無視されたことに、またもや憤る赤田たち。流派の面子、丸つぶれの赤田先輩としては、名越の抹殺にもはや手段を選んでいられない状況。

湖城先生の一人娘、志那子・浦里はるみの踊りの中に伝説の奥義「流星の型」を見出した忍。そこへ赤田たちが襲撃。忍は名越先生が止めるのも聞かずに、対決し敵をバッタバッタとなぎ倒す。そして赤田先輩との一騎打ちにあたり忍はいきなり「流星の型」で応戦、赤田の利き腕を潰し、克明坊ちゃんを障害者にしてしまい、名越先生の怒りを買った忍は一発で破門。

「流星の型」はザコキャラはおろか、赤田先輩でさえもビビる、相当にすごい技らしい、おいそれと体得できるはずがないと思うのだが、唐手の天才・忍勇作だからこそ、何の練習もしないでできちゃった。そういうことにしておこう。

さて、名越先生と比嘉が東京へ旅立つのを遠くから見守る忍。またもや赤田に襲撃される前に、湖城先生から餞別もらって東京行きを決心した忍だったが、その動機というのは「東京でフツーに勉強したいから」である。

え?空手の修行じゃないの?どこへ行こうとしているの?忍クンてば。

以下、後編「流星空手打ち」へと続くのでありましたとさ。

2009年04月05日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2009-04-29