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桃中軒雲右衛門


■公開:1936年

■製作:P.C.L.映画製作所

■企画:

■監督:成瀬巳喜男

■助監督:

■脚本:成瀬巳喜男

■原作:真山青果

■撮影:鈴木博

■音楽:伊藤昇(P.C.L.管弦楽団)

■編集:岩下広一

■美術:北猛夫(装置)

■照明:

■録音:山口淳

■主演:月形龍之介

■寸評:「静岡だよ、そう、昔の駿府だ」と電話で居場所を告げる時代の話

ネタバレあります。


桃中軒雲右衛門は実在の浪曲師だそうです。

困りました。筆者は浪曲というものを今のところ生涯に一度だけ、二葉百合子さんのしか聞いたことがありません。しかも当時は小学生だったので何を言っているのか理解できませんでしたが、その声の色というのでしょうか、それだけは今でも耳の中に残っていて「ああこういうのが浪曲か」と記憶した程度であります。

なので浪曲の技術がどうしたこうしたという話は外します。たぶん本作品は芸道モノなのでありましょうが、ただでさえ酒やけした声質だし細くて怖い目と腹芸に長けた月形龍之介をもってきたというところから、浪曲自体にそれほどのクォリティは、作るほうも期待していないんじゃないかという気がします。

絶大な人気を誇るローカルタレントの浪曲師、桃中軒雲右衛門・月形龍之介。かつて女性問題を起こして追われた東京へ凱旋公演に向かう車中(トラックとかバスじゃあないですよ、汽車ですからね、念のため)。はしゃぐ一座の弟子たちに比べて、どんよりしている桃中軒と妻のお妻・細川ちか子。駆け落ちで結ばれた二人は夫婦であると同時に浪曲師と三味線弾きという芸のライヴァルでもありました。静岡で突然下車してしまった桃中軒は古い三味線弾きのじいさん、松月・藤原釜足と一緒に行方不明。二人は地元の大きな料亭で、修行時代の苦労話をしていたのでした。そこへ酔った地元の有力者・小澤栄(小沢栄太郎)が絡んできて「芸人なら芸を披露しろ」と因縁つけてきますが、桃中軒は怖い目で彼と彼の仲間を一喝するのでした。

本当は沼津で、前妻との間にできた一人息子、泉太郎・伊藤薫と再会するはずだったので、贔屓筋でもあり古い友達でもあり、かつ、泉太郎の養い親でもある倉田・三島雅夫が約束をすっぽかした桃中軒に説教しにやって来ます。そこで桃中軒は浪曲を唸りながら「父親は芸一筋、傷だらけの身である」と、いわば養育放棄ともとれる発言をするのでした。このように桃中軒は、芸の肥やしといいながら若い芸者、千鳥・千葉早智子を囲ったり、木魚を千個集めたいから珍品を探しにインドへ人を遣れとか、突拍子も無い言動が多く、いずれも芸人としての修羅場に身を置き、かつ、話題づくりのためとしか思われない奇行を連発するので、まだそれほど顔が怖くなっていない(?)弟子の桃雲・小杉義男はひたすらヒヤヒヤするのでした。

東京での公演は成功しますが、桃中軒はまったく家庭を顧みず、いつのまにやらお妻は病気になってしまいます。新聞は艶聞を書き放題だったので、寄宿舎に入ってた、顔はおっさんくさいけどナイーブだった泉太郎は、父親を馬鹿にしたクラスメートと刃傷沙汰を起こして退校処分。「お前なんか人格破綻者だ!」と桃中軒に怒った倉田に対して「そういう私生活の乱れも芸のうちだ」と言い返す桃中軒。

そうこうしているうちに三味線でミスタッチが頻発するほど体調が悪化したお妻。それを黙認した桃中軒に対して「女房の小言には耳を貸さないだろうけど、芸人としてのプライドを刺激すれば聞く耳持つかも」と意を決したお妻は「昔のアンタはミスタッチなんかしたら殴る蹴るだったのに、今じゃあビクビクして大汗かいてるじゃないの!何が芸一筋なのよっ!」と怒りの一撃を浴びせるのでした。しかしそれはお妻の最後の説教となってしまいます。

入院したお妻を見舞うことすらしない桃中軒。すっかり人間失格のレッテルを貼られてしまいますが「それがまた人気になるんだ」とあくまでも頑なな彼の行動に、間接的な加害者にされかかっていた愛人の千鳥が気を利かせたつもりでお妻に贈った掛け布団にたまたま意味深な、取りようによっては不吉な文言が染められていたため、お妻は衰弱した身を震わせて「桃中軒が自分を呪い殺そうとしているのだ!」と大激怒。事態はますます悪化してしまうのでした。

童顔のわりに感情的な倉田はとうとう桃中軒に対して「女房子供を大切にしろ」と最大最強の説教をしますがこれが見事に逆効果、というよりも人間的な優しさは弱さに繋がり芸を落とすと怯えていた桃中軒のツボに見事にハマってしまい「芸人に人格を求めるな!」と倉田に掴みかかる父親の醜態に泉太郎は絶望的な気持ちになるのでした。

とうとうお妻は死んでしまいます。最後まで弱音を吐かず、桃中軒に感謝の言葉を残したお妻の枕辺で、ひとり浪曲を語る桃中軒でありました。

困りました。何が言いたい映画だったのでしょう?桃中軒はこのように芸一筋でしたよ、ということでしょうか?それにしてはまず背景として桃中軒が何故このような顛末に至ったのかという経緯があまり説明されないので行動の破天荒さだけが印象に残ります。おそらく当時は「言わずもがな」だったのかもしれませんが二十一世紀の観客にはチトツライです。芸人は人格者でなくてもよい、ということでしょうか?それにしては月形龍之介の演技は(もともと)硬質ですし、どちらかというと「良くても悪くてもちゃんとした人」というイメージですからどうもシックリ来ませんね。ロンゲで白いマフラーがモダンでオサレということだけは分かりましたが、それだけかい?という感じです。

細川ちか子がかなりの長身でフェロモンバリバリの美人で、お妻が病気になって後、ベッドの上で狂乱する姿がうなされるほどの迫力だったこと、それだけはしっかりと脳裏に焼きつきました。あ、そうだ監督は女性映画の第一人者でしたので、男の映画になるはずが無いんですね。期待するほうが馬鹿ですね。むしろこの映画のメインディッシュは、他のシーンではほとんど会話が無かったのに、いよいよ病が深くなってきたお妻が桃中軒に延々と吐いた呪いの小言だったのかも。だって、そこだけ桃中軒、細い目をひん剥いてマジビビリだったし。

2009年01月03日

【追記】

※本文中敬称略


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file updated : 2009-01-03