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白夜の妖女


■公開:1957年

■製作:日活

■配給:日活

■製作:高木雅行

■監督:滝沢英輔

■助監督:

■脚本:八住利雄

■原作:泉鏡花

■撮影:横山実

■音楽:牧野由多可

■編集:辻井正則

■美術:松山崇

■照明:藤林甲

■録音:神谷正和

■特撮:

■主演:月丘夢路

■寸評:

ネタバレあります。


時代が江戸から明治になったばかりの頃。女人禁制の高野山は、明治政府の決定によりその禁が解かれる予定。老師の宗朝・滝沢修は他の僧侶からの「反対」のシュプレヒコールに対し、若い日の不思議な体験を話して聞かせる。「自分は女と関係を持ったので女人禁制を声高に主張する権利は無い」という宗朝の言葉に、一同は言葉を失う。

宗朝(若い頃)・葉山良二は暑い中、飲まず喰わずで飛騨の高山から善光寺を目指していた信濃の山奥で、娘を強姦しようとしていた薬売り・河野秋武を追い払おうとしたところ「お前、女抱いたことないんだろ!」と図星を突かれてカチンと来るが、修行中の身なので不愉快をグッとこらえて先を急ぐ。がけ崩れで街道が通れない。近道を行こうかと思ったが通りがかりの農夫・西村晃から「迷子になりやすい近道を行かないで、遠回りでも街道を行きなさい」とアドバイスをされたのに、薬売りが近道のほうへ歩いていったのが気にかかり、後を追う。案の定、道はだんだん細くなり、草原に出ると、轟々とどこからか音が聞こえてきて、さらには深い森に踏み迷ってしまい、蛭の雨に腰を抜かして息も絶え絶えにたどり着いたのは、山奥の一軒家。

牛の声がするほうにフラフラと歩いていくと、そこにはありえないくらいの色っぽい女・月丘夢路が、白痴の小人・小林正と一緒に暮らしていた。蛭の傷に効くらしい岩風呂で混浴どころか、合体寸前にまでなった宗朝と女。こらこら!修行中の、それも仏に仕える身ではないのか?若い男子の宗朝としては必死に煩悩を振り切ろうとする。家の納屋には体格の良い牛が一頭飼われていて、与平次・浜村純という爺やがどこかへ連れて行こうとしていた。ところが牛は強く抵抗、そこへ女が現れると牛の目の前で着物をはだけた。これを見た牛は、なぜか素直に歩き出す。

ここでは絶対に理由を訊いてはいけないと、宗朝は女から念を押されはしたものの、どう考えても尋常じゃない。おまけに牛の傍には薬売りの荷物が・・・物証を目の当たりにした宗朝はここで、ほぼ、女の正体を確信する。

女は物の怪らしいので、宗朝はお経を唱えながら納屋に一泊。その夜、女の家をコウモリやらガマガエルやらが大挙して取り囲むのを目撃してしまう。人語を解するガマガエルなんて・・・与平次は女に「お坊さんをアレするのはいかがなものか?」と意見具申するが、若くてハンサムだし、女と見れば下半身全開になるような下衆野郎でもないウブなところにグッと来たかどうかはともかく、女は宗朝にエロモーションをかけまくる。それに抵抗できない宗朝、挙句の果てに「ツマンナイ修行なんかいいから、物の怪が相手でもこのまま暮らしたほうがいいかも」とすら思い出す始末であった。

分かる!その胸毛を見れば男性ホルモンバリバリな宗朝、据え膳喰わぬは男の恥。だがしかし、相手は人妻(注:女と小人は夫婦)煩悩がいや増す宗朝であった。

ある日、女と小人は大勢の家来のような者たちとともに、大きな屋敷に入っていった。後をつけた宗朝は、屋敷の裏手でたくさんの牛馬の鳴き声を聞いた。だがその声を辿っていくとそこには、縄で繋がれた薬売りの姿があった。薬売りは「あの女にちょっかいを出すと、次の男が来るまでに体力のある男は牛か馬にされてこき使われ、使い道がないとわかるとコウモリやカエルにされてしまう」と宗朝に激白。小人は平家の落人の子孫、白藤一族のただ一人の後継者で、オツムはパーだが性格は良い。雑種交配を避けるために同族の女は無理やり結婚させられ、一種の妖術を身につけているが、なにせ女ざかりである。そこで、男とセックスしてもいいけど惚れたらNGというルールを強いられている。

宗朝は次の男があの家に来たら、情が移らないようにするために速攻で動物に変えられてしまうのである。秘密を知った宗朝の始末を決定したのは白藤本家の翁・大矢市次郎。与平次は女と宗朝を庇おうとして翁に射殺された。そうこうしているうちに、牛になった薬売りから次の男が家に近づいているとの情報を(動物語で)得た宗朝はパニック状態に。その男・植村謙二郎は凶状持ちだが、病気の母親に会いに行くために無理やり近道をしようとしたのだった。女は宗朝に「男を斧で叩き殺せばあなたはセーフ」と教えられた。煩悩に血迷った宗朝は男を殺そうとするが理性が勝って果たせず、自分の数珠を男に渡して岩風呂へ案内した。

女は男を馬に変えてしまった。順番のルールを破った女は小人とともに白藤の本家へ宗朝の命乞いに行く。当然、拒絶する翁。女を捕らえようとした白藤家の使用人たちであったが、小人が意外と強くて彼らを撃退。願いが聞き入れられないと知ると、女は数百年守り続けてきた灯明を台ごと破壊した。屋敷に燃え移った火で翁は焼死。動物に変えられていた男達は皆、人間の姿に戻ることが出来た。女は妖術を捨て、宗朝を探す。だが宗朝は火事を心配して屋敷に向かっていた。船で脱出した女と小人は、岸辺にいた宗朝の目の前で川に身を投げた。

月丘夢路のお色気フェロモンが絶好調。これならなるほど井上梅次もコロリと行くわ、ってな感じであるから、まだ美青年だった頃の葉山良二なんてイチコロだ。西村晃が意外なほどのあっさり退場だったのが拍子抜け。てっきり夢路のパシリの妖怪かなんかだと思っていたので。新劇界の重鎮は坊さんやるのに羽二重無用、滝沢修のことですが。

この作品の人間以外の主役は自然である。圧倒的なロケーションの美しさが、大画面に映える。監督の美意識によって切り取られた美しい日本の風景だけでもこの映画はお宝度が高い、文部科学省は表彰せよ、例え放送自粛用語がたくさんあっても、だ。妖気譚であるけれども、ある意味、童貞物語でもあり、この映画に登場する女は、恋人&母親&娼婦である。そんな都合のいい女は実在しないので、ここんところがなるほどもっとも幻想的。

2008年09月28日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2008-09-28