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わたしを深く埋めて


■公開:1963年

■製作:大映

■配給:大映

■企画:原田光夫

■監督:井上梅次

■脚本:井上梅次

■原作:ハロルド・Q・マスル

■撮影:渡辺徹

■音楽:伊部晴美

■編集:鈴木東陽

■美術:井上章

■照明:安田繁

■録音:橋本国雄

■特撮:

■主演:田宮二郎

■寸評:

ネタバレあります。


ミステリー映画は原作に忠実であるほど出来栄えが良いと思う。つまり余計なヒントをばら撒いたり、隠すべきところはそのままに、ということである。真相解明のときに回想シーンとして出てくる再現ドラマは親切だけど映画全体が安っぽくなりがち。そこを徹底的にエログロで盛り上げるという手もあるけど、本作品のように田宮二郎のベルベットヴォイスによる解説メインというのがいかにも「原作あります」って感じで素直で良い感じ。

普通、自分の部屋に知らない酔っ払い(で、しかもシュミーズ一丁)女が寝ていたら男子は腰を抜かすと思うのだが、自信過剰な弁護士の中部・田宮二郎は全然平気。自分が飲まないブランデーをすすめられても「僕はスコッチ派だから」とスカして断る余裕と二枚目のプライドが幸か不幸か彼を再三のピンチから救うのである。単なる偶然なんだけど。

仕事が趣味の敏腕弁護士である中部が息抜きの旅行も早々に切り上げて帰京すると、部屋には知らない女・浜田ゆう子があられもない格好で、ブランデーかっくらって酔っ払っていた。色仕掛けであれこれ迫る女を体よくあしらったが、自分からベッドに誘っておいて彼女はグースカ寝てしまうのだった。その間、女のヒモらしきチンピラ1名とゴシップ写真を堂々と撮影に来た週刊誌の記者とカメラマンに訪問され、中部の明晰な頭脳はぐっちゃぐちゃ。一通り騒ぎがおさまったところで、中部はタクシー業界で最も嫌われる乗客=泥酔した婦女子を、嫌がる運ちゃん・飛田喜佐夫にチップを渡して送り出す。ところが彼女、タクシーの中で息を引き取ってしまったのだった。死因は青酸化合物による毒殺。

警視庁の武田警部・村上不二夫と西川刑事・中条静夫の取調べを受けた中部は、自分の留守中に部屋の合鍵を渡して出入り自由を許していた親友の芥川・川崎敬三のことを思い出す。芥川は妻の千津・若尾文子との離婚調停中であり、少しでも女房に有利な条件となるよう自分が浮気していた証拠写真を捏造しようとしていたのだった。気が弱くて、大きなことができないセレブのぼんぼんである芥川は当日の夜、バーで酔っ払って爆睡してしまい、中部がとんだとばっちりを受けたのだった。毒物は女が持ち込んだと思われるブランディーの中に入っていた。

父親が死亡し、その遺産は息子である芥川と女房に分配。ところが親戚一同としてはヨソモノである千津に多額の遺産が渡ることが面白くない。千津を気の毒に思った芥川は、不利な条件で離婚して少しでも千津に金が残るようにしてやろうとしていたのだった。芥川ってなんかスゲー良いヤツじゃん?間抜けだけど。

捏造作戦の参謀は千津についている弁護士の玉井・北原義郎だった。タクシーで死んだ女はストリッパーのミッチー。彼女は億万長者の徳丸・伊東光一とその後妻が結婚後すぐに遭遇した交通事故の第一発見者なのだった。後妻の(元)亭主はヤクザの郷田・安倍徹。事件の調査を開始した中部は徳丸の先妻の娘であるめぐみ・江波杏子から「助かった後妻がどうも怪しいから調べて欲しい」と依頼を受ける。芸術家でありながら(だからこそ?)センスの悪いバルーンスカートをはいているめぐみはイキナリ中部の唇を奪うという剛速球タイプのトンでるお嬢様。実は後妻と郷田の離婚は成立しておらず、後妻は重婚だったので遺産相続の権利はなかったことが判明、遺産はそっくりそのままめぐみの元へ。

ミッチーは事故を仕組んだのが郷田だと感づいて恐喝していた。中部は郷田がブランデーに毒を入れてミッチーを殺害したと判断、ところが郷田はマジ否定。ミッチーはなんで殺されたのか?謎は深まるばかりなのだった。

中部の部屋でシャワーを浴びてた芥川が射殺される。警察は中部と間違えて殺されたのだと断定する。めぐみが遺産ゲットのお祝いをかねて、スコッチウイスキーを抱えて中部の事務所へやって来た。めぐみは中部の妹だという触れ込みで管理人の親父をだまくらかして、中部の部屋にあがりこんでわざわざジョニー・ウォーカー1本持ってきたのであった。おいおい、それってプレゼントでもなんでもないじゃんか!中部が自腹で買ったんだろう?それを勝手に「私のおごりよ!」っぽく振舞っちゃうなんて、まあなんて図々しいセレブだこと、めぐみったら。

玉井弁護士も交えて祝杯の最中、中部が千津からの電話に出ている間に、玉井弁護士が悶絶して死亡。死因はスコッチの中に入っていた青酸化合物。危機一髪のショックから、美人の未亡人とか小悪魔セレブとかに引っ掻き回されていた明晰な頭脳がクリアになったのか、中部はこの事件の重要な容疑者を特定するのだった。

ミッチーは本来、同時刻にその部屋にいるはずだった芥川と間違って殺され、その芥川は犯人に狙って殺された。つまり、犯人は芥川が死ぬとものすごく得をする人であり、同時にまったく疑惑を向けられないポジションにいる人。そして中部の推理は的中する。

本作品のタイトルは自ら犯した罪の大きさを悔いた真犯人の遺言。殺人犯の中には、被害者が夢枕に立ったり、罪の意識に苛まれたりして逮捕された瞬間に安堵の表情を浮かべる者がいるそうだ。概ね被害者の断末魔を見てしまうからだそうで、本作品の真犯人のようにそういうものを一切体験していないと実感がないせいかシレっとしてたりするそうだ。

義父の遺産として受け取るはずの株が大暴落したので、亭主と折半じゃ物足りないから独り占めを狙い、毒盛ったり、飛び道具使ったり、最後には邪魔になった中部も殺そうとして、己の欲望達成のために犠牲者出しまくり、あまつさえ法の裁きを逃れて勝手に死ぬような人間に同情の余地なんかゼロだ。貧乏だから金のために人殺しをしたっていい、そんなクソったれな理屈が通ってたまるかあ!男には厳しいが女には激甘、そういうスタンス、まったくもう田宮二郎ったら!きいっ〜。

気の弱い二枚目としてコミカルに、そして惰弱な性格が陰湿な凶暴性を帯びて自滅する。そういう役だとイキイキするのが川崎敬三。まかりまちがっても田宮二郎にできない芸当、できない、ていうか世間が(会社が)許さない。川崎敬三がそういうポジションを望んでいたとは思わないけれど、芝居が上手い二枚目って案外と希少だから、もっとそのあたり再評価されてもいいと思うんだがなあ。

無関係そうな事件が2つ、キーマン(ウーマンだけど)のだらしない性格によって敏腕弁護士が振り回され、ついでに観客も一緒に振り回される、話が二転三転するスリラー。すぐ拳銃が出てきたり、バタ臭いムードを得意とする監督の味も相まって面白かった。ただ田宮二郎が当時の大人としてはあまりにも背が高いので、中年刑事たちに囲まれている寄りの絵柄は完全に凸凹になってしまいちょっと笑った。「犬シリーズ」の天知茂だけが特別小柄なわけじゃなかったんだね、ということを再確認、以上蛇足なり。

2008年08月23日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2008-08-24