「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


叫(さけび)


■公開:2006年

■配給:ザナドゥー+エイベックス・エンタテインメント+ファントム・フィルム

■制作:

■監督:黒沢清

■脚本:黒沢清

■原作:

■撮影:芦澤明子

■音楽:配島邦明、慶田次徳

■編集:

■美術:安宅紀史

■照明:

■録音:

■主演:役所広司

■寸評:

ネタバレあります。


ムンクの「叫」は叫び声に耳をふさぐ人が主役だが、本作品はそれとは関係ない。

しかし本作品、妙に笑える。

怪談映画である。女の幽霊が出てくる。古典の怪談映画は人間の罪悪感が幽霊を見せてしまうわけだが、本作品はその罪悪感が無意識のうちであり、自覚した人間だけが許しを得るというアイデアである。実際には許してなかったのではあるが。

黒沢清の殺人シーンはインチキなリアル感とも言うべきなのか、ありえないと観客はわかりきっているはずなのに、いや、経験したことも見たことも無いはずなのに想像の産物としてしてのリアル感、二次記憶を刺激するシズル感がある。実際、頭を鈍器でボコったらあんな音するかどうか?「するかもしれない」と思わせる、1メートルくらいの高さからなら飛び降りたこと歩けど6メートルだったらあんな感じで「落ちるに違いない」を科学技術で再現してみせる。

一歩の違いでギャグになりそうな主役の幽霊様なんて、台車の軋む音が聞こえてきそうなのに立派に怖い。それは幽霊が怖いんじゃなくて「どうしてあんなに瞬きしないんだ、そんなの人間じゃない!」という小さな怖さの積み重ねでもある。

大規模な開発計画が頓挫した中途半端な埋立地で、赤いドレスの女が溺死する。「海に落ちても溺死するが、バケツの水に頭を突っ込まれても溺死する」と「キイハンター」で小田切さんが解説していたので、これは殺人事件らしい。犯人は遠目に見ると、担当刑事の吉岡・役所広司に似ていて、しかも現場に落ちていた遺留品にも吉岡は心当たりがある。「なんか人殺した気がする」と思った吉岡は深夜、一人で現場に戻って殺された女の幽霊・葉月里緒奈(葉月里緒菜)に遭遇する。なにせ瞬きしない、幽霊らしく歩かないで移動する、マジ怖い。

幽霊は吉岡の家にもやってくる。地震ととともにやってくる。地震と幽霊のダブルパンチ、これは怖いぜ。

吉岡には通い妻、春江・小西真奈美がいる。彼女がいるときには幽霊は出てこない。吉岡は頭がパーになったんじゃないかと精神科医・オダギリ・ジョーのカウンセリングを受けるが異常なし。同僚刑事の宮地・伊原剛志は吉岡を一瞬疑ったりする。

浮気相手の男・野村宏伸の頭部をクリーンヒットし、海水をはった風呂場に沈めた女。おそらくは家庭内暴力とかお母さんの財布から現金ちょっぱるようなプチ不良息子に筋肉注射をぶち込んで自由を奪った上に地震で染み出た海水の水溜りに顔をつけて殺した父親。キーワードは「海水」。吉岡は作業船の船員・加瀬亮から、現場周辺に放置された様々な「忘れられたモノたち」の存在を聞かされる。

かつてフェリーで出勤していた吉岡は、その船上から見えていた、朽ち果てた建物を思い出す。そこは戦前、精神を病んだ人たちを収容していた施設で、多くの虐待が行われていた。その一つが海水に頭をつけて窒息死させるという体罰であった。吉岡は女の幽霊に誘われて、その病院に行く。忘れ去られた女は、思い出してくれた吉岡に許しを与えるのだった。吉岡が家に帰ると、そこには白骨化した別の女の遺体があった。

吉岡の家に宮地が訪ねてくる。そこに赤いドレスの女の幽霊が現れる。

と、ここから先は文章では書けない、だが一瞬のうちに決着がつく、のである。

いやあ、途中まで妙な期待をしていただけにオチはこんなもんだったかと。黒沢清の映画になれてくると、主人公の視線から外れた何もないはずの空間とか、ただ歩いているシーンの背景のビルの窓とかに注目してしまう。そんな心理を見透かしたような演出もあって安心して観られるホラー映画である。どんなだ、それ。

自己中心的な人とのすべてを無しにするために起こる一連の事件の真相は、薄皮をはがすように少しずつ見えてくる。この赤いドレスの幽霊は、通りすがりの傍観者たち全員を皆殺しにしようと企んでいるわけだから、どえらく広範囲な話だ。

地縛霊って怖いわあ。

葉月里緒奈って以前から癇に障る女優だったが、ちょっと期待したとたんに休業状態になってしまい、なんだか残念だなあ、と思っていたらかつての栄光は失われ、どんな栄光だか知らんが、順調に顔の筋肉が下がってきたが無事にスクリーンに帰ってきたらしいので、本作品はぜひとも見ておきたかったのだ。すでに「あの人は今」な彼女、つまりこの映画の赤いドレスの幽霊そのものが葉月里緒奈であると言える。

「私が死んだのでみんなも死んでください」なんて台詞は葉月里緒奈でなければ吐けない。すでにそのレベルはセルフパロディの域にまで達していると言えよう。演者の意思ではないだろうが笑えないけど笑っちゃう、だけど画面は死体の山。

ところで、あの「ドライアイ」だけど、CGだよね?この映画、お笑いホラー映画だ。

2008年01月06日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2008-01-06