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日本脱出


■公開:1964年

■制作:松竹

■制作:荒木正也

■監督:吉田喜重

■脚本:吉田喜重

■原案:

■撮影:成島東一郎

■音楽:武満徹、八木正生

■編集:杉原よ志

■美術:芳野尹孝

■照明:田村晃雄

■録音:堀義臣

■特撮:

■主演:鈴木やすし(鈴木ヤスシ)

■寸評:

ネタバレあります。


この映画を見ていてふと思い出したのはジェリー藤尾の「地平線がぎらぎらっ」。鈴木やすし(鈴木ヤスシ)の顔はサル顔である、しかもチンパンジー、顔がサルつながり。

しかし吉田喜重ってアクション映画撮らせるととことん下手だな、あらためて石井輝男と岡本喜八の偉大さを確認。こんなところで再確認されたら迷惑かもしれないけど。

竜夫・鈴木やすし(鈴木ヤスシ)はジャズ歌手になるためアメリカ行きを夢見ているが、今はしがないバンドボーイ。竜夫が兄貴と慕うのはタイコを叩くヤク中の浅川・待田京介、スマートでカッコいい浅川が連れてきたのは新宿のトルコ風呂(現・ソープランド)で働くヤスエ・桑野みゆき。竜夫は元競輪選手の郷田・内田良平に半ば脅されてトルコ風呂の金庫から現金強奪の手伝いをさせられる。金庫を破壊するためのバーナーを持ったままクスリが切れた浅川が失神したため、火災報知器が作動。外車で逃げ出した三人は静止しようとした警官を射殺し、競輪場へと逃げ込む。

浅川を追ってきたヤスエは郷田に犯されそうになるが、ヤスエ危機一髪で逆上した竜夫が郷田を射殺。これを目撃した浅川兄貴が「俺のせいじゃないもーん」と仰天言い訳をして金を持って逃走。ヤスエと竜夫が乗り込んだ浅川兄貴の自宅には兄貴を尻に敷く鬼嫁が待っていた。逃亡途中、ヤスエは逃走資金を稼ぐために売春を試みるが地元のヤクザ・垂水吾郎に見つかってしまい、身体で代償を払わされそうになったが、まもやヤスエ危機一髪に逆上した竜夫がヤクザを撲殺し風呂へ沈める。

ここまでは当時実在した連続射殺犯を思い出させるようなアグレッシブな展開。ただ違うのは実在の犯人ほどは追い詰められていたとは思われないことと、女連れだということ。むしろオリンピック景気に沸く世間とはかけ離れて負のスパイラルにハマった二人の絶望感が映画全体の骨子。

意外なことに兄貴は結婚していておまけに女房の出産費用ほしさの現金奪取。かあちゃんに完全に頭の上がらない浅川兄貴の衝撃私生活に竜夫は大脱力。神奈川県厚木の出身だったヤスエは、今は米軍基地近傍でオンリーさんをしている友達の光子・坂本スミ子を頼り、米軍機に竜夫を密航させてくれるように頼み込む。ところが厚木基地の飛行機は、朝鮮戦争で半島に来ていた米軍の軍人たちを東京オリンピック見物のために日本へピストン輸送の真っ最中。アメリカがダメならとりあえず韓国へ逃れることにした竜夫であった。食肉運搬トラックに潜んだ竜夫は偶然、北朝鮮への帰国事業の波に乗ろうとしてた朝鮮人・中野誠也と出会う。「ジャズ歌手になりたい」という竜夫の夢を聞いた彼は「米国文化を朝鮮に入れるもんか!」と怒り出す。トラックから逃走した竜夫を追ってきた彼はMPに射殺されてしまうのだった。

何もかも最低な竜夫の人生はいよいよクライマックスへ。

ヤスエは警察に自首するという。光子はヤスエに基地の米兵・フランツ・グルーバーを紹介し一緒に稼ごうと誘うが、そこへ竜夫が帰ってくる。光子が逆上している隙に逃げ出し、ヤスエと一緒にさらに逃避行を続ける竜夫であったが、途中でヤスエが強奪した金を落としてしまう。しかもヤスエはそのミスを挽回しようと一人で実家に戻りあっさりと刑事に捕まる。

竜夫はオリンピックの聖火リレーに紛れ込む。竜夫の人生にはまったく関係なく日本は盛り上がりまくっていた。竜夫はラジオの中継者をジャックしてさらに逃亡を続ける。ヤスエが裏切ったと思い込んでいる竜夫は一人で港へ行き積荷に紛れ込んで独力で日本脱出を敢行。

オリンピックムードで盛り上がる豪華客船には世界中の観光客がいた。花火と嬌声の中、警官隊に取り囲まれた竜夫はクレーンで吊り下げられ万事休す。しかし竜夫は騒動の中で夢にまで見たワンマンショーを妄想するのだった。みんなが竜夫を注目していた、歓声を送っていた、っていうか悲鳴を上げていたのだが竜夫は今最高に幸せなのだった。

小さい頃から金もなく、才能もなく、女にモテたこともなく、憧れていた兄貴は自分以上のダメ人間で、そんな兄貴に惚れた自分が情けなくて、なんとなく三人も殺しちゃったし、同じような境遇の女に出会ってやっと共感できるパートナーを見つけたと思ったらあっさり裏切られて、実はそれは半分誤解っていうのがさらに悲しくて、ジェットコースターのような人生をほんの数日で経験する。

主人公が最後に刑務所で発狂するシーンはカットされたそう。人生の負け組がたどり着いたのはもはや現世での幸せではなかったわけで、経済活動から一度ドロップアウトしてしまうと元に戻るのが大変に難しい。浅いところで七転八倒する主人公の焦燥感が今ひとつ伝わってこないのはひとえに鈴木やすしの演技が下手だから。下手と言うより拙いと言ったほうが適切。

桑野みゆきと待田京介が抜群にいい。桑野みゆきは二十一世紀でも十分に通じる現代的なマスク、男にだまされまくる風俗嬢というエネルギッシュな役どころで待田京介、内田良平(は、強姦未遂)、鈴木やすしと次々に寝まくる。生きるために寝る、死なないために寝る、したたかなのか?ただの公衆トイレなのか?いずれにせよ複雑な生い立ちである。

待田京介の魅力の一つはあの声にあると思う。棒読みに近い魅惑のエロキューションで腰が蕩けないようでは婦女子失格である。鈴木やすしが惚れるのもむべなるかな、いや、男としてであるが。ヤク中でも女房が不細工でも待田京介はカッコいいから許す。

どう考えても竜夫の行動がワガママで下手糞に見え、同情も共感もする気が起きないのは唯一つ、彼が「努力」をしていないから。いざとなったら腰が引けるし、拳銃出すし、口だけじゃん、オマエ!実は苦労もしてるし努力しているかもしれないけど客がそういう背景を感じられないは鈴木やすしの性格がラテン系だから。ラテン系でチンパンジー顔、とことん同情されない予感、主役に持ってきた時点でアウト。

主人公のテンションが上がるほど、客はどん引き、まさに究極の反比例映画。主人公を誘惑?する売春婦役に市原悦子、この人の、客を引きずり込んで離さないテンションが実は最大の見所だったかも。あと、桑野みゆきの白いブラジャーとズロース。

冒頭とエンディングに岡本太郎画伯のアクションペイントのプレミア付。

2007年12月30日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2007-12-30