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盗まれた欲情


■公開:1958年

■制作: 日活

■製作:大塚和

■監督:今村昌平

■脚本:鈴木敏郎

■原作:今東光

■撮影:高村倉太郎

■音楽:黛敏郎

■編集:中村正

■美術:黒沢治安

■録音:橋本文男

■照明:大西美津男

■所作指導:沢村門之助

■主演:長門裕之

■寸評:「解説(ナレーション)」は小池朝雄

ネタバレあります。


戦後の復興めざましい大阪、通天閣の足元で興行をしているドサまわりの一座。おんぼろなテント小屋で寝起きする座付作家の国田・長門裕之の最終学歴は大学卒。もうそれだけでなんとなく一座の中では一目置かれている、憧れの存在である。だがしかし、同級生・仲谷昇はテレビ局に就職して羽振りがいい。国田の経済状況を心配した同級生は、紹介状を書いてくれるのだが、国田は「芝居」の芸術性にこだわっている。都会の観客はストリップ目当てで、芝居が始まるととっとと帰ってしまう。添え物のはずだった女の裸に主役の座を奪われた一座の面々は、上演中に座長に食って掛かり喧嘩までしてしまうのだった。

一座の座長、山村民之助・滝沢修、三枚目の勘次・西村晃、永助・高原駿雄、ベテランの富八郎・小笠原章二郎、それとストリッパーたちと一緒に河内にある高安村へ興行に来た国田は、新解釈の芝居を上演しようとする。娯楽の少ないド田舎で芝居は大成功。一座の二枚目、栄三郎・柳沢真一(柳澤愼一)に飛ぶオヒネリの雨に、座長の妻、お仙・菅井きんは大喜びである。

座長の娘は二人、姉の千鳥・南田洋子はすでに栄三郎の妻。妹の千草・喜多道枝は国田の恋人宣言中。国田は芝居の成功に気をよくしていた座長に新解釈の芝居の上演を迫る。いつまでも同じことばっかしてちゃ進歩が無いじゃないか!改革が必要だ!と演説する国田に座員はドン引き。案の定、田舎娘を漁りに男衆は一座を抜け出して稽古をすっぽかす。で、一方の国田がそんなに人格者かと言うとそうでもないので、姉妹ともに肉体関係を持ち、実はマジぼれしていた千鳥と結婚したいと言い出すのだった。

ボインの女工、みさ子・香月美奈子はストリッパーに転職してきらびやかな芝居の世界にデビューし、村を去っていく。デビューのためなら脇役俳優とも寝るし、先輩ストリッパーと壮絶なキャットファイトもかます。見上げた根性ですな、いやはや見習いたいもんだね、まったく、まさに元祖・フラガール、ちょっと違うが気にしない。

軟弱とばかり思っていた栄三郎に千鳥との離婚を迫る話し合いの直前、「鏡獅子」を一生懸命一人で練習している栄三郎の姿に感動する国田。芸というのは型を学んだその先に工夫があってそれを「型破り」と言うのであって、その型をおろそかにしてしまうと「型なし」になってしまう。芝居の根っこを栄三郎に発見した国田であった。栄三郎は一座のために国田と千鳥が必要だから自分が身を引くと言う。千鳥も自分が育った環境から逃れることはできなかった。若い千草は一度は国田をあきらめたが、父の民之助のイキな計らいで二人は「人生の第二幕」を上げる。

頭でっかちのインテリがドサ回り芝居に関わる人間のヴァイタリティーに圧倒され、新たな旅立ちをするまでの話。

所作指導に沢村門之助の名前があるが、劇中、柳沢真一が「鏡獅子」を踊る。練習、大変だったろうなあ。もちろん通しではないのだが、それでもなんとなく素人目にちゃんとしてそう、そういう風に見えるように指導できているのはさすがプロ。

芸と芸術との情念の差に国田は敗北したわけで、その点ではざまあみろって感じだが、コイツもしたたかにきっと生き残るのだろう。とにかく登場人物がみんな開けっぴろげで逞しいのである。女も抱くし、酒も飲む、寄ると触ると喧嘩はするわ、金をちょろまかすわ、で、ロクでもない奴らばかりなのだが、見終わった後、人間がきっと大好きになれるだろう。何かひとつ打ち込めるものさえあれば、それが金だろうが芸だろうが女だろうが、わりと人生は楽しいのである。楽(らく)じゃないかもしれないが。

「芝居の哲学」を元映画の名子役(長門裕之、ですが)が民藝の滝沢修に説教したところ「釈迦に説法するな!」と怒鳴られるのであるが映画の内と外とを上手く使った今村昌平の上手さ。この時点で「新人監督」っていうのが信じられなくね?もちろん、滝沢修をはじめ、西村晃、高原駿雄、小笠原章二郎、田舎の顔役、藤四郎・小沢昭一という「大人の喜劇」が出来る役者がこれだけ揃えば勝ったも同然なのだが、それに女エノケン、万屋のごうつくババア・武智豊子が参戦しているのである。「コカコーラ」の本物が調達できないから、ラムネに黒砂糖とハッカを混ぜてヤカンで販売するという強硬手段、たぶん本当にローカルで様々なコカコーラが存在していたのだろう。

デビューの瞬間からその後の「今村節」が完成し、後のレギュラー陣が勢ぞろいしていたというのにつくづく驚き。ちなみに助監督は浦山桐郎であった。

2007年11月04日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2007-11-04