からっ風野郎 |
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■公開:1960年 ■制作:大映 ■製作:永田雅一 ■企画:藤井浩明、榎本昌治 ■監督:増村保造 ■脚本:菊島隆三、安藤日出男 ■原作: ■撮影:村井博 ■音楽:塚原晢夫 ■編集: ■美術:渡辺竹三郎 ■録音:渡辺利一 ■照明:米山勇 ■主演:三島由紀夫 ■寸評: ネタバレあります。 |
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「からっ風野郎」ってつまり「吹けば飛ぶような野郎」ってことか? そもそもこの映画の主人公は「へたれ」である。古参やくざの二代目にして、ハクをつけんがために敢行した新興ヤクザの親分襲撃も不発に終わり、懲役を食らって出所予定日の当日、親切な他の服役囚が身代わりになって殺され、怖くなって警察に頼んで刑務所を脱出するという、ヤクザ映画の風上にも置けない野郎なのである。 そもそもこの映画、ヤクザ映画なのか? 出所祝いのバレーボール大会で活躍していた朝比奈一家の二代目組長、朝比奈武夫・三島由紀夫は自分の身代わりに面会をした囚人が射殺されたことを知るや否や所長・三津田健に出所の延期を申し出る。当然、これは許されるはずも無いが刑務所内の不祥事を表沙汰にもしたくない所長のイキな計らいで、迎えに来たオジキ・志村喬、兄弟分の愛川・船越英二を尾行していた相良組の連中をまんまとだまして出獄した武夫は昔の女のところへ。その女、ジャンボなお色気を振りまくジャズ歌手の昌子・水谷良重はすでに他の男の色になっていた。 警察に守ってもらうヤクザなんてアリ? 武夫はかつて経営していた映画館の二階に身を潜める。映画館のモギリをしていた芳江・若尾文子は、小柄だが素肌に革ジャンといういかにもホモっぽい武夫を見てもびくともしない度胸の良い女で、彼女の兄、正一・川崎敬三は町工場で労働争議の首謀者の一人なのだった。武夫は敵対する相良組の組長、相良・根上淳を刺してビッコにした罪で服役していたのだが、そんなお粗末な傷害事件だったせいもあってか朝比奈組はたった三人の弱小組織になってしまっており、相良組は別に武夫なんかどうでもいい存在なのだが相良本人としては自分の身体を傷物にされて放っておけるわけがない、そういうレヴェルの話。 組員は放置を勧めてるのに私情怨恨で組を動かす相良もどうかと思うけど、オジキに急かされなければ再チャレンジする気起こさない若親分なんてどうよ? 相良は大柄でインテリっぽい殺し屋の政・神山繁を雇い武夫を狙わせる。政のニックネームは「喘息持ちの政」おのれはドク・ホリディかい!というツッコミを入れたくなるわけだが、いまいちカリスマ性に乏しい武夫のためにオジキは再度、相良を襲撃するよう促す。しかも今度はドスじゃなくてハジキで。大親分の雲取・山本”ギョロ目”礼三郎の法事に相良が出席すると知った武夫であったがそこに現れたのは政であった。無防備な武夫はあやうく撃たれそうになるが政の持病のおかげで助かる。負傷した武夫がわざわざパンツ一丁でモグリ医者・浜村純に手当てされてもらっていた時、芳江が現れる。 なんで脱ぐかね?撃たれたの腕と掌だけ、なのにね! 芳江を抱いた武夫であったが結婚する気はさらさらない。遊園地でデートした武夫と芳江は偶然、相良の一人娘と出会う。子供を巻き込むなんて外道のすることだが、武夫は娘を誘拐して相良に取引を申し込む。しかし相良に泣きつかれた雲取親分の迫力に気圧され、武夫と相良は手打ちをせざるを得なくなる。つかの間の平穏な日々、朝比奈組のショバも繁盛し、愛川はトルコ風呂(後・ソープランド、現・風俗店)を開業し繁盛する。武夫は妊娠した芳江に堕胎を迫るが固辞される。仕方なく芳江と結婚することにした武夫であったが、芳江の兄が相良に誘拐されてしまう。 武夫のヤクザとしての素質にまったく期待できないと見切った愛川は芳江の兄を助ける代わりとしてトルコ風呂の権利を相良に譲り、武夫を堅気にしようとする。芳江を東京駅まで見送った武夫の背後から政が忍び寄る。 ったく、何をやってもドジばかり。義理とか人情とかオトシマエとか、そういうの全然できてないし、できちゃった結婚だし、縄張り守れないし、大親分の貫禄にコロリとおとなしくなるし、どうしようもない奴、それが本作品の主人公である。責任感に立脚した自己犠牲がヤクザ映画の華ならば、この映画、絶対にヤクザ映画ではない。 ある意味、組織に中に身をおくものとして、あるいは人生の様々なアクシデントに対して概ねトントンか負けてばっかの一般民間人としてはこれほど感情移入をして共感できる(しすぎて身につまされる?)等身大の主人公というのも珍しいかも。 周囲の人物のキャラがこれほど立つ映画というのも珍しいのではないか?同性からもっとも嫌われる女優(作者英断)、若尾文子の生活力、神山繁の不健康力、根上淳のマネージメント力、船越英二の大人力、いずれも主人公が失敗するたびにイキイキとしているのだ。変だぞ!変!なんで三島なんだ?ちなみに三島由紀夫の肉体改造って、当時だから薬物とかは使ってないせいだろうが、アメリカのプロレスラー(V・マクマホンがやってるWWEとか)を見慣れてると「ダイエットに成功した人」にしか見えないわけだが、とにかく「見せたがりすぎ」な印象だ。 三島由紀夫が何をするのか?に注目しているとあまりにも普通な人なのでおよそ期待をはぐらかされ続けるが、ラストの数分の、無言劇(死に様)は、この、立場が違えばきっと平凡で気のいい兄ちゃんとして長生きしたかもしれない主人公の最後のあがきが切なくて絶品。この映画はこのラストシーンのために延々とあるのだと納得。 (2007年08月05日 ) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2007-08-05