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東京のテキサス人


■公開:1957年

■制作:東宝、東京映画

■製作:

■監督:小田基義

■助監督:

■脚本:関沢新一

■撮影:芦田勇

■音楽:宇野誠一郎

■編集:

■美術:伊藤寿一

■録音:中野倫治

■照明:森康

■主演:南道郎

■寸評:

ネタバレあります。


「巴里のアメリカ人」のパロディ、なわけないか、たぶん。

昭和三十二年頃のアメリカ、テキサス州ではまだインディアン(現・ネイティブアメリカン)が開拓者たちを襲撃していた。南洋の土人と大差ないインディアンの酋長・柳亭痴楽は、野宿をしていたカウボーイ、ウェスタン・デーン・E・H・エリックを捕らえて釜茹での刑に処するのだが、熱湯地獄も彼にはよい湯加減。「煮ても焼いても食えない奴」だと辟易した酋長の薦めでデーンは日本へ来ることにした。酋長の息子・空飛小助がくれた「怪力になる薬」を服用したデーンであったが太平洋を小船で渡ったため極度の空腹状態であった。

インディアンを人食い人種かなにかのように描くのは21世紀においてはご法度だが、西部劇映画から焼き直しして(光学プリントの色とび具体がノスタルジー)そのまま使う度胸がスゴイ。

八百長ボクシングで実力発揮して負けてしまい、ボス・宮田洋容からクビを言い渡された平道盛・南道郎は居候先の食堂、ドライ軒で無銭飲食をしていたデーンをやっつけようとパンチをかますがあっさりかわされてしまう。ドライ軒の親父・沢村いき雄と看板娘のおはなちゃん・磯村みどりは呆れるばかり。しかしデーンの強さを見込んだ平はもおんぼろアパートの一室でボクシングジムを開業しトレーニングを開始する。

立ち退きを迫られたアパートの大家・三遊亭金馬は勝手に商売をはじめた平に小言を言いまくるが、やくざを撃退してくれたのでデーンを応援することに。日々、トレーニングを積むデーン。パンチングボールにノックアウトされてしまった平を見かねてトレーナーを買って出てくれたのは魚屋の兄ちゃん・沢田二郎(ライト級チャンピオン、最年少チャンピオンの記録保持者、本物)であった。

怪力になる薬を服用してメキメキ頭角を現すデーン。そ、それってドーピングじゃないのか?つまり八百長よりもたちの悪い反則だと思うのだが、そんなことはともかくデーンは新人王を獲得してしまうのであった。アパートの住人である婆さん・武智豊子は家出した娘の行方を捜していた。娘のなまえはおでんちゃん・河上敬子。おでんちゃんはボスの秘書になっていた。助平なボスの魔の手が・・・おでんちゃんのボインに迫る危機、おでんちゃんピーンチ!

ドーピングの秘密を知ったボスは薬を盗み出し、デーンにタイトルマッチを仕掛ける。対戦相手は不自然な胸毛のガチムチ型ズドン大山・吉原功(元早大レスリング選手、後プロレスラー)である。薬なしでは圧倒的に弱いデーン。何度もダウンを奪われるが気力で最終ラウンドへもつれこむ。ボスの事務所から薬を取り返したおでんちゃん。間一髪で間に合った薬を呑んだデーンはズドン大山をノックアウトするのだった。

そんなこんなでおでんちゃんとデーンはアメリカへ、平もドライ軒のおはなちゃんといい感じになって万事ハッピーエンド。

いやあ実にお気楽な映画である。肩の力を抜きすぎて脱臼しそうだ。何度ダウンしても試合続行っていうのが時代だ。

E・H・エリックと南道郎のコンビはこれが二作目で最後らしいが実に惜しい。いんちき英語VSべらんめえ日本語の対決でこれ以上ひっぱるのも難しいと思えるのだが。今回はスポーツ業界から当時、本当の本物のチャンプだった沢田二郎がゲスト出演。試合はボクシングだがレフェリーはユセフ・トルコ

2007年05月13日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2007-05-14