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新しい背広


■公開:1957年

■制作:東宝

■製作:金子正且

■監督:筧正典

■助監督:岩内克己

■脚本:沢村勉

■原作:田宮虎彦

■撮影:小泉一

■音楽:馬渡誠一

■編集:岩下広一

■美術:小川一男

■録音:西川善男

■照明:横井総一

■主演:小林桂樹

■寸評:

ネタバレあります。


幼年期を台湾で過ごした隆太郎・小林桂樹と泰助・久保明は終戦間際に兄弟だけで帰国し、外地に残った両親は敗戦と同時にすべてを失い追われて逃げた山中で餓死。残された兄弟は成長し、東京の池の上(東急井の頭線)に間借りをしていた。隆太郎は設計事務所に勤務し、泰助は高校生。いわば男手ひとつで育てられた泰助は兄を絶対的に信頼している。間借りしている家の大家さん・岸輝子はしっかり者だが兄弟を暖かく見守るお母さん的な存在。当然ながら貧乏(現代と比較して)生活の兄弟、特に兄の隆太郎は会社の同僚、吉崎綾子・八千草薫と相思相愛ながらもいまひとつ結婚に踏み切れない。それは経済的な理由であり、隆太郎は擦り切れた背広に穴あき靴を愛用という状態なのだ。

設計事務所では若手社員の三浦・佐原健二がもうすぐ結婚だというので隆太郎もお祝い金を供出。年少の三浦の結婚の報に接し、同僚たちは隆太郎と綾子の結婚もひそかに応援中。その頃、泰助は学業優秀で高校の先生・今泉廉から東大進学を勧められる。本人のモチベーションは高いのだが経済的余裕は無しなので、泰助は町工場を経営している叔父・北沢彪へ相談しに行く。バイトしながら大学生になるつもりなのだ。バイトでランニングコストはなんとかなるにしても入学金とか参考書とか大学というのはイニシャルコストがかかるから兄の援助は不可欠。適齢期の兄の将来のことも心配してあげないとね、と諭される泰助。素直な泰助は夜学だってあるから、と気持ちを切り替えるのだった。

ああ、なんて良い子なんでしょう、こんな息子なら何人でも欲しいわ!

そして隆太郎、実はこの叔父に見合いを勧められていたが泰助の大学進学の夢を叶えてやるために断っていたのだった。綾子の家には間借り人がいるほど立派な家であったが彼女の一家もまた外地からの引き揚げで母親・夏川静江には生活力なし。以前はリッチな家柄だったゆえに母親はやや浪費家の傾向がある。綾子は隆太郎のボロ背広を新調してあげようと間借りしている仕立て屋夫婦・中北千枝子から安値で服地を預かるが新調費用を泰助の将来のために蓄えておきたいと隆太郎に断られてしまう。私よりも弟のほうが大事なの?きいっ!って八千草薫が言うわけないので4年間くらい我慢できるわ、と思う綾子であった。綾子としては隆太郎に母子ともに世話になるのはちょっと気が引けていた。当時は男女雇用機会均等法など夢のまた夢、女子は結婚即退職が当然という時代であったから。

ああ、なんて素直な娘さんなんでしょう、こういう娘さんなら息子の嫁にいくらでも欲しいわ!

そして大学進学をあきらめて兄への恩返しを決意した弟は、大家さんから娘・岩本紀子(香山美子)が大切にしていた夜店のヒヨコの成れの果てである雄(おん)鶏を一羽シメた(おいおい・・・)鶏肉をおすそ分けしてもらって意気揚々と家に帰る。兄は弟を東大に行かせてやるんだと張り切って家に帰る。綾子は隆太郎のために父親の遺品の背広を持って隆太郎の家に向かった。綾子と隆太郎は結婚することに、泰助は夜学に通ってバイトしながら勉強することに、そして大家さんは鶏肉の一件が娘にバレることをおそれビクビクするのであった。

善意の塊のような映画である。鶏をシメたくらいで驚いてはいけないのである。

戦後(湾岸戦争でもベトナム戦争でもなく太平洋戦争)十年ちょっとしか経っていない当時の日本ではほとんどすべての日本人が貧乏だったのだが終戦当時ドサクサの乗り切り方ひとつで貧富の差が激しくついていた。特に割を食ったのが引き揚げ者の人々だったわけで中国の残留孤児のみならず南方でも多くの悲劇があったことをこの映画では何気に語る。そういう時代を経た当時の観客の琴線に大いに触れたことと推察される。

岸輝子の「おばさん」役のリアリティはいつもながら匂いまで感ぜられるほど。現存している女優であんな小汚くてヴァイタリティのあるおばさん演れる人なんて全然居ない。彼女に比べれば市原悦子なんて両家の子女に見えるくらいだ(そうだろうか)。その遺伝子としてあんなかわいい娘が出来るのは納得できない(し、失礼な)。

完璧戦後生まれの筆者は、叔父が満州から引き揚げてくるとき「ドサクサまぎれに持ち帰った」ケヤキの一枚板のテーブル(縫製工場の作業台であったらしい)を結婚祝いに贈られ終生大切にしていた実父からしか当時の様子を伺い知れない年代なのでこういう映画を見ておくことは近代史をないがしろにする教育制度の補完として大いに推奨。当時の流行玩具「ホッピング」で遊ぶ子供たちの姿もある一定年齢から上の人には懐かしいかも。集団で何かに憑かれたように飛ぶ様はちょっと不気味だが、ブームなんてそんなもの。

2007年05月06日

【追記】2007/05/07:大家さんの高校生の娘を演じた女優さんの名前が、快傑赤頭巾様の情報で「岩本紀子」と判明しましたが、すごく可愛くて顔が香山美子さんに似てるなあ・・・とさらに調べてみましたら、香山美子さんの結婚前の本名が「岩本紀子」でした。てなわけで劇団こまどり所属時代の香山美子さんを拝見できます。フィルモグラフィにも載ってないみたい・・・お宝、お宝。

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2007-05-07