「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


日本の悪霊


■公開:1970年

■制作:ATG

■製作:中島正幸、福地泡介

■監督:黒木和雄

■脚本:福田善之

■原作:高橋和巳

■撮影:堀田泰寛

■音楽:岡林信康、早川義夫

■編集:田村嘉男

■美術:平田逸郎

■照明:岩崎貞雄

■録音:安田哲男

■主演:佐藤慶×2

■寸評:

ネタバレあります。


虚弱で粗暴な人というのはキレやすいものだが佐藤慶はさらに日本人には希少な超カギッ鼻というビジュアルを有しているので、凄みが加わってしまうためようするに「日本の悪霊」というのは佐藤慶のことなのか?とトンチンカンな想像をめぐらす人がいても不思議ではない。

群馬の田舎町で対立する暴力団。一方は新興勢力、もう一方は古参ヤクザ。そこへやって来たのは広域暴力団から派遣された助っ人と、県警から派遣された応援刑事。この二人が偶然にも出会ったのは飲み屋の二階。しかも、片方はスーツでパリっと、もう片方はケツモロでダラリ。出会いからして徹底的に対照的なのであった。

素っ裸で発見された刑事の名前は落合・佐藤慶、パートタイムラヴァーを結果的に寝取られたヤクザの名前は村瀬・佐藤慶。飲み屋の女将・堀井永子のジャンボなお色気にノックダウンしてしまった落合と村瀬は顔面のホクロの数と位置さえもがどんぴしゃの瓜二つなのだった。女将が視覚と触覚で間違えるのも無理はない。村瀬は情事の現場を撮影し落合に取引を持ちかけた。それは二人の立場を入れ替えるというものだった。ヤクザが刑事になり、刑事がやくざになるのだ。立場も性格も違う二人ははたして周囲の人間にまったくバレることはなかった。

村瀬は所轄の署長・観世栄夫に、古参ヤクザの鬼頭組組長、鬼頭・高橋辰夫が資産家の伊三次膳内・成瀬昌彦を暗殺した事件についてアレコレと質問する。川田警部・榎本陽介は土地勘がないはずの村瀬の執拗な追求に疑問を抱く。ちょうどその頃、村瀬に化けた落合は鬼頭組長の出所祝いの席でやくざのしきたりを強要されちょっぴり焦ったがアドリブで乗り切った。落合は鬼頭夫人・奈良あけみのはからいで、出張中は失礼のないように夜のお相手候補・伊佐山ヒロ子らのオーディションに参加していた、しかし彼は近所の中華料理店に勤めていた少女・高橋美智子を指名し、少女も落合を受け入れた。

村瀬はかつて学生運動を経験しており、都市部での活動に挫折して地方へ逃れたグループに参加し、この土地に来ていた。グループのリーダー・土方巽の悪魔的な行動力に感化され地方のブルジョワを襲撃し、仲間七人のうち二名は死に、リーダーと村瀬は逃亡していた。しかし事件は鬼頭組長の単独犯として片付けられていたのだった。鬼頭と署長は事実を隠蔽した過去を村瀬に追及されるが「時効の成立」を主張して開き直った。鬼頭はライバルの組長、馬場・渡辺文雄と手打ちをする。地元の幼稚園の開園式当日、村瀬と落合は馬場と鬼頭を暗殺すべく斬りこみをかけた。

学生運動に挫折したインテリヤクザと、戦時中は整備兵として同世代の若者を自分が作った飛行機に乗せて片道切符で特攻させた過去を持つ刑事が日本国にオトシマエを要求する。少女はまるで観音様のように二人を受け入れて子種を孕むのだった。

ちなみに記録によれば佐藤慶はかつて中島飛行機製作所勤務とある。本当に戦闘機の部品を作っていたわけだ。事件の手がかりを掴もうとしている村瀬はともかく、落合にはいくらでも計画をフイにするチャンスはあったような気がする。しかし落合は敢えてそうしない。明らかに落合は村瀬より世代がひとつ上で戦争を踏んで刑事になった落合にはヤクザという自由闊達な(落合から見れば)世界にひそかな憧れがあったのかもしれない。戦中派と戦後派を同時進行する二人の佐藤慶、じゃなかった佐藤慶の二役は次第にその垣根を失って、早替わりまでされてしまうので、黒沢清の「ドッペルゲンガー」並に見るほうを混乱させていく。

ゲリラ的に登場するフォーク歌手・岡林信康と、佐藤慶の、あの不機嫌そうな顔の表情をひとつも変えずに演じる二役がかなり唐突で喜劇的だがチープな入れ替えトリックもクソ真面目な佐藤慶のおかげでダルダルにならないのが救われる。法律的な時効は来てもオトシマエには時効がないと主張するアジが、当時の世相をまったく無視というか共感せずに鑑賞すると意外と不変的なテーマであったと二十一世紀の観客は思うのではないか?

映画は常に今日的価値に晒されるものだが、映画は不変でも見ているほうが変化するのが面白いのだ。

日本の悪霊とはなにか?ハイソックスにワンピースで走り回る土方巽であり、保身のためにはヤクザとも懇ろになる警察署長であり、馬場であり、鬼頭である。権力、暴力、暴力に無力な権力、権力に擦り寄る暴力である。それらを葬るのが「昭和残侠伝」の高倉健と池部良なのだ、っていうか二役の佐藤慶なのであるが、実は討ち死にする。しかもゴミの島でゴミとして息絶える。二人のうちどちらかの子種を孕んだ少女を残して。

全共闘とフォークとヤクザ。団塊の世代の三種の神器は今後(平成十九年当時)ブームの予感。

2007年04月29日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2007-04-30