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モーガン警部と謎の男


■公開:1961年

■制作:ニュー東映

■製作:大川博

■監督:関川秀雄

■脚本:高岩肇、若井基成

■原作:

■撮影:藤井静

■音楽:富田勲

■編集:長沢嘉樹

■美術:森幹男

■照明:銀屋謙蔵

■録音:岩田広一

■主演:若山弦蔵(だよね、やっぱ!)

■寸評:

ネタバレあります。


ブームという名の華が消えてしまったテレビ西部劇の人気スターが来日してオール国内ロケで乗り切った、アメリカ〜香港〜日本というグローバルな展開をするのが本作品。

「アリゾナ州ツーソン」という字幕が表示された、どう見ても日本っぽい画面に登場した二人の外国人、しかも日本語ペラペラ(全編吹き替え)。一人は警官のチャーリーでもう一人はヒスパニック系の麻薬の売人である。二人は何者かに射殺されてしまう。ちょうどそのころ、自宅の貧乏な家庭用コンロで地味なバーベキューをしていた巨体の男、モーガン警部・ジョン・ブロンフィルド(声:若山弦蔵)と部下のトム刑事・ジェームス・グリフィス(声・日下武史)は親友のチャーリーが殺されたことを知り、現場からヘロインが仕込まれた香港フラワー(造花)を発見する。親友の復讐に燃えたモーガン警部は密輸団の撲滅を決意するのだった。

麻薬局の局長・アンドレイ・ヒューズがあっさりと国外での捜査活動を許可したので香港へ飛ぶモーガン警部とトム刑事。飛行機の中で暴漢の襲撃を受けるがトロいアクションで撃退。返還前の地元警察の署長・ハロルド・S・コンウェイは英語圏の人なのでコミュニケーションもスムーズ、ただし日本語(吹き替え)。まるで東映東京撮影所のオープンセットのような安っぽい香港の市街にある高級クラブに潜入するモーガン警部。そこは密輸団のアジトなのだった。モーガン警部より先にこのクラブに出入りしていたマラッカの神風とあだ名される若い男・鶴田浩二は、マネージャーの趙・河野秋武、用心棒の竜・山本麟一が店から追い出そうとしていた若い女、麗華・久保菜穂子と知り合う。麗華はクラブのオーナー、周・山形勲の娘であった。周は表向きは実業家で慈善家であったが裏の顔は密輸団のボス。

麗華が孤児院の資金稼ぎに始めた香港フラワーの製造に目をつけ、密輸団はチェックのゆるいボランティア活動を隠れミノにして麻薬を売りまくっていたのだった。次の取引が日本で行われることを知ったマラッカの神風とモーガン警部は周と麗華を追って日本へ。モーガン警部と神風は男の日米対決を経て二人とも警察へ連れて行かれることになり、神風のほうを尾行していた中川刑事・中山昭二は神風がかつての戦友、風早・鶴田浩二であることを知り、昔話に花を咲かせる。風早は中川の妹・久保菜穂子の元彼。しかし妹は痛み止めの麻薬にハマって中毒死するというものすごい事故死をしたため風早は麻薬が大嫌いになったのであった。

麻薬が嫌いだから密輸団を撲滅するというモチベーションを持つ民間人というのも珍しいが、だからといって捜査に全面協力させる日本国警視庁ってどうよ?

てなわけでモーガン警部は密輸団を追い詰めて、麗華の目前で周は覚悟の自殺、密輸団の日本アジトは大爆発を起こし、逃げる途中でコケた麗華と風早の頭上に木っ端が降り注いだ(いや、本当に)ため予想外だった風早がマジ顔で麗華を引き釣り起こしてダッシュという緊迫しすぎのエンディング。帰国するモーガン警部たちをローカル空港に格下げ前の羽田空子で見送ったのはすっかり恋人同士になった風早と麗華でありました。

自然風景は動植物の種類で地域が特定されてしまうものだがそこさえ目をつぶれば必死に建造物の映り込みをカメラアングルでごまかし切ったスタッフの努力を称えるべきだ。いざとなったら空と地面を映しておくという技術は「悪名」の田宮二郎暗殺シーンを撮影所の駐車場で撮りきった宮川一夫カメラマンが確立したのだが、本作品がほぼ同時期の公開であることは映画の技術史上において興味深い、わけがない。

在日外国人タレントであるハロルド・S・コンウェイ、アンドレイ・ヒューズの起用が国内処理を鮮明に印象つける本作品である。中国人という設定の山形勲がたどたどしい日本語で話したのを、久保菜穂子がわざわざ「父はお食事をしたいと申しております」と翻訳したのは少しでも国際色豊かなところを演出であろうか。密輸団同士の会話も同様で、河野秋武がよく吹き出さなかったものだとある意味関心するたどたどしい日本語会話であった。これをダサいとするか、努力賞とするかは趣味の問題。

ちなみに「モーガン警部」は昔テレビでやっていた西部劇みたいな刑事ドラマ。声は若山弦蔵だったことしか覚えていないが、奴(主人公)はこんなデブでノロマじゃなくてもっとスマートで活動的だったような気がする。ともかくジョン・ブロンフィルドの今日的評価がゼロにちかいのでこの作品の当時的価値は不明だがニュー東映の社風にはグッドマリッジだったといえるのではないか。その激安な感じにおいて。

2007年04月29日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2007-04-30