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巨人傳


■公開:1938年

■制作:東宝

■制作:森田信義、石橋克巳、佐伯清

■監督:伊丹万作

■脚本:伊丹万作

■原作:ビクトル・ユーゴー(クレジット無)

■撮影:安本淳

■音楽:飯田信夫

■編集:

■美術(装置):北猛夫

■照明:

■録音:片岡造

■特撮:

■主演:大河内伝次郎

■寸評:ジャンバルジャンの胸毛は十文字。

ネタバレあります。


戦前、戦時中の映画はその多くが焼失してしまったと思うので、戦後、普通のおじさんになってしまった戦前のスタアの姿を観られる機会は希少。戦前の時代劇スタアだった大河内伝次郎がジャンバルジャン、原節子がコゼット、片桐日名子がエポニーヌ、ジャベールが丸山定夫、ビクトルユーゴー原作の「レ・ミゼラブル」明治維新バージョン。

読書の時間はもっぱら江戸川乱歩の「少年探偵団シリーズ」に没頭し西洋の物語なんぞ読まなかったおかげで長いこと「岩窟王」とジャンバルジャンをごっちゃにしていた筆者であるが東宝ミュージカルでやっとこさその違いを認識できたときには三十路を過ぎていた。

さて、そんなことはともかく。

慈善家として高い評価を受け町長にまでなった大沼・大河内伝次郎の過去は一切不明。ある日、大沼の警護を担う警官が赴任して来る。彼の名は曽我部弥次郎・丸山定夫という。知事就任パーティの夜、火災が発生、鉄格子のはまった商家の二階に取り残された老人・御橋公を助けるために怪力を披露した大沼に曽我部はかつて「万力の三平」と呼ばれた脱走常習犯の囚人がいたことを思い出す。曽我部が流刑地の役人だったころ万力の三平は曽我部の同僚を殺害し海岸から船に乗って姿を消したのだった。

しかし万力の三平は別の場所で捕らえられ裁判にかけられるらしい。とんだ間違いを犯したと、曽我部は大沼に謝罪するが、大沼はなぜか動揺する。その夜、大沼は昔のことを思い出していた。彼の正体は万力の三平なのである。島から逃げ延び本土へ戻った三平は不浪人となり腹ペコでたどり着いたある寺に泊めてもらうことになった。手癖の悪い三平は舶来の燭台を盗むが住職・汐見洋に諭され改心し、身分を隠して努力の末、今の地位を得たのであった。

大沼はかつて慈善病院で働いていた女、筆・英百合子から、生活苦のため一人娘を知り合いのところに預けたと聞かされる。筆の身元引受人になった大沼は、娘を引き取ると約束するが、まずは自分の身代わりになりそうな人を救うために裁判所へ駆けつける。無実の男、三平に瓜二つの頭の弱い三吉・大河内伝次郎(二役)がかつての囚人仲間・柳谷寛の証言で断罪される寸前に大沼は自分が万力の三平であることを告白する。曽我部はしてやったりと大沼を逮捕する。

再び流刑に処せられた三平を乗せた船はこともあろうに遭難し、三平は水死したと報じられた。唖然呆然の曽我部であった。

筆の娘、千代は因業な鳴門屋で業突く張りの主人・小杉義男とその女房、お仙・清川虹子に下女としてこき使われ、その家の娘からもいじめられていた。ある日、身体はゴツイが優しそうなおじさん(三平)・大河内伝次郎が訪ねてきて千代を引き取りたいという。もっと金をせびろうとした鳴門屋に大金をつきつけた三平は千代を抱いて去っていった。月日は流れたが、所詮、逃亡者の三平は全国を転々とする。途中、執念深い曽我部に発見され、何度もピンチになりながらも千代と一緒に逃げおおせるのであった。すっかり年頃になった千代・原節子と九州に落ち着いた三平は、千代に英語を習わせることにした。

千代の英語教師として雇われたのはハンサムな清家竜馬・佐山亮。竜馬は長屋に住んでいたが彼の隣家には落ちぶれた鳴門屋一家が住んでおり、その娘、お国・堤真佐子は竜馬に恋をしていた。再び三平から金を脅し取ろうとした鳴門屋はかけつけた曽我部に逮捕されたが、またもや三平は行方をくらませねばならなくなった。

ほんでもって場面は一気に西南戦争に突入、士族として戦うマリウス、じゃなかった竜馬に千代の手紙を届けようとしたエポニーヌ、じゃなかったお国が流れ弾にヒットされて竜馬に抱かれて憤死。負傷した竜馬をジャンバルジャン、じゃなかった三平が担いで小川をジャブジャブ歩いて渡って救出、無事にコゼット、じゃなかった千代と竜馬は結婚するのでありました。

映画前半は時代劇姿しか馴染みのない(筆者にとって、だが)大河内伝次郎がやたらと凛々しく、新劇らしい嫌味タラタラ演技(多少オーヴァーな気もするが単なるヤな奴じゃなかったことが最後の別れのシーンで判明し味を残す)の丸山定夫に追い詰められていく場面は原作を知っててもハラハラだ。西洋の教会なら燭台とかあるだろうけど、ここ日本ではどうすんのかと思ったらここは原作に忠実だった。場所と時代を思いっきり邦訳しているから、ストーリーやシーンは極力、変更なし。最後にジャンバルジャンが死なないで安寧な老後を、竜馬のお父さん・滝沢修と一緒に過ごしましたとさ、というオチは原作よりもお目出度くていい感じ。

二時間超の長い映画だが原作はもうブッチギリで長いのでよくまとまった、の感。伊丹万作は結果的に本作品が遺作。

よくできてるなあと感心するのだけれど難を言えば、成人したあとの千代、原節子の台詞回しがあまりにもカッタるくて辛い。ロクデナシの両親を見て育ったせいか、自分を押し殺してキューピッド役を買って出て絶命するお国のほうが、キレがあって男気みせて(女だけど)カッコよかった。マリウス役の佐山亮はバタ臭い顔の二枚目。原節子との英会話デートは大河内伝次郎にわからないように字幕付きである。なんともほほえましい限り。しかし、恋に身を焦がすのはわかるが帳面いっぱいに相手の名前を書きまくる、しかも一部ローマ字で、ってのがまた大笑い。

三平を拉致して身代金を取ろうとした鳴戸屋の女房が脅迫状を届けに行くところでふてぶてしく起き上がったり(つまり仮病)するシーンもあって本物の悪党は登場しない、おとぎ話的ほのぼのムードの「レ・ミゼラブル」。

2007年03月25日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2007-03-25