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銭形平次捕物控 人肌蜘蛛


■公開:1956年

■制作:大映

■制作:永田雅一

■監督:森一生

■脚本:小国英雄

■原作:野村胡堂

■撮影:杉山公平

■音楽:斎藤一郎

■編集:

■美術:西岡善信

■照明:伊藤貞一

■録音:大谷巌

■主演:長谷川一夫

■寸評:

ネタバレあります。


銭形平次といえば銭を飛び道具とする罰当たり(事がすんだら拾い集めていたという話も聞くが)であるが、そのフォームはテレビ版の大川橋蔵と本作品の長谷川一夫とでは異なる。足が前後に開きスローイングは腰からという基本に忠実な橋蔵に比較して、長谷川御大は両足がちょこんとそろってしまう手投げ、または女投げという感じで実際、あれで人の顔面に突き刺さるほどの威力を銭の弾丸に生み出すのは到底不可能という気がするのであるが歌舞伎の見得がベースになっているらしい。

江戸の大火事件の冤罪被害者である二人が島流し先から脱走。一人だけ生き延びた新吉受刑者・夏目俊二は、勤め先の主人であり放火事件の一味の一人である材木問屋の上総屋・沢村宗之助らに復讐を誓う。これがヤクザの世界なら懲役もらっても復職すれば幹部昇進の道もあるわけだが、いかんせん極悪人でも放火一味は堅気なので義理人情よりも保身と利益が優先なので新吉の恨みもひとしおである。

まず、協力者であった悪徳医師が殺される。死体から浮世絵と蜘蛛の刺青が発見される。その浮世絵にびびった上総屋は黒幕の尾張屋・東野英治郎、板倉屋のおれん・入江たか子らに相談。そのころ銭形平次の引き立て役として活躍する三輪の万七・見明凡太朗の捜査ではいまだに手がかりゼロ。そこで主役の銭形平次・長谷川一夫が、祭囃子の太鼓たたいて登場。上司である与力・黒川弥太郎から事件を知らされた平次は所属している南町奉行所とライバル関係にあり放火事件のときは捜査妨害までした北町奉行所へもうすぐ捜査権が移るので、事件の真犯人を大急ぎで逮捕せなばならない。当時、一応、新吉を逮捕したのは平次であった。

その頃、自殺しそうな女、お絹・近藤美恵子と知り合った陶芸家の新次郎・市川雷蔵は、お絹を旅籠に宿泊させて尾張屋へ行商に行く。新次郎が戻るとお絹はいなくなっており、旅籠の番頭から女中まで「そんな女しらないしー、あんた何言ってんの?」とすっとぼけられてしまう。困った新次郎は平次をたずねて捜査を依頼。上総屋で一人娘のお絹が急死したという情報を得てびっくりした新次郎と平次は、強制調査を敢行、しかし棺おけの中身は板倉屋のおれんであった。

放火事件の証拠隠滅のため仲間割れをした上総屋がおれんを殺し、事件の真相を知ったお絹も始末してしまおうとしたのだが、平次と新次郎の活躍で未遂に終わる。仲間を次々と抹殺しただ一人残った尾張屋はかつて一味のの連絡手段であった浮世絵で一連の事件の首謀者である蔵奉行とともに料亭におびき出され、平次たちに逮捕されてしまうのであった。

悪たくみ全開の悪玉と、頭脳明晰で男前で女にモテまくり元彼女の芸者と現女房のお静・阿井美千子が鉢合わせしても動じない強固な夫婦関係を構築しつつ元彼女とも白昼堂々とデートを重ねつつ後輩の美人女目明し・山本富士子とはプラトニックラブ・・・そんな野郎がいてたまるかい!という感の否めない銭形平次のシリーズは概ねこんな感じである。謎解きというほどの大した盛り上がりもないし、殺陣も長谷川先生の運動性能を阻害しないレヴェルであるから近衛十四郎先生のスポーティーな類を期待してはいけない。あくまでも生身の錦絵だと思えばよい。

しかしなんだね、なんでこんな中年太りで張りぼてみたいな長谷川一夫が大スタアなのか?戦前の絶世の美男子時代の貯蓄がまだ生きていた時代なのだろうけど、全然共感できないのが辛いところだ。市川雷蔵はピンチになると女形の動きが出てしまう。映画では当然、男の役だから女形というよりオカマっぽく見えてちょっと笑える。実は新吉と新次郎が兄弟だったというオチも弱いし。平次の「パシリ」である下っ引きの八五郎・堺駿二は堺正章のお父さんであるが、その芸風を理解し得ないと五月蝿いだけに見えてしまうのもやっぱり辛いところ。

懐かしいというよりは古臭い時代劇映画なのだが、自信満々にトップを張る長谷川一夫の時代的価値を再確認できる映画であることは確か。

2007年02月25日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2007-02-25