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女死刑囚の脱獄


■公開:1960年

■制作:新東宝

■制作:大蔵貢

■企画:津田勝二

■監督:中川信夫

■脚本:石川義寛

■原作:

■撮影:吉田重業

■音楽:松村禎三

■編集:

■美術:黒沢治安

■照明:関川次郎

■録音:泉田正雄

■主演:高倉みゆき

■寸評:過激なレズビアンシーンや胸ポロを期待した人にはとても残念な映画。

ネタバレあります。


寺島達夫は元プロ野球選手(本物)であり、新東宝新人俳優4人のユニット、長身痩躯のイケメン集団、ハンサムタワーズの構成員である。そもそも純粋な二枚目を演ることに無理がある不良性感度の高い高宮敬二、善悪併せ持つ多重構造の菅原文太、何も考えていない吉田輝雄、とまあヴァラエティー豊かなユニットメンバーの中ではもっとも素直で、もっともさわやかで、ずば抜けて演技がへたくそという映画の二枚目スタアとしてスペック完全装備の寺島達夫が、本作品は意外な役どころであった。

京子・高倉みゆきは頑迷な父親・林寛が勝手に決めた政略結婚に反抗的な東京は山の手のお嬢様である。母親・宮田文子は継子の美奈子・三田泰子を連れてきた後妻で血のつながりはない。京子の見合い相手は菓子メーカーのぼんぼん、明夫・和田桂之助。しかし京子は色男でかっこいい貧乏青年の赤尾・寺島達夫にメロメロで、おまけに「できちゃった結婚」狙いであることを赤尾に告白、ちょっと戸惑い気味の赤尾であった。義理の母と妹にはそんな京子が超わがまま娘に見えてしようがない。

いや、実際、わりといいやつだと思われる明夫のことをボロクソに言う京子の性格には、観客(筆者ですが)としても「いかがなものか」と思えてならない。

ある晩、赤尾の存在を打ち明けた京子は父親に勘当を言い渡されるが「子供には子供の権利があるわ!(だから家を出て行くのは嫌よ!)」と言い返す。激怒した父親が直後に突然死し、身体から青酸性の毒物が検出され、にわかに京子は殺人容疑者となる。お抱え運転手・渡辺高光は前科者、女中・津路清子も性格が悪そうだ。妹は京子が父親を恨んでいたことを供述。捜査にあたった宮田警部・沼田曜一は京子を真犯人として逮捕した。

権利主張ばかりで親の恩は平気でないがしろにする京子の言動にほとほと呆れていた観客(筆者ですが)は、真犯人は別にいるんだろうなあ、と思いつつ多少、京子が不幸になっても「ま、いいか」と思うのだった(か?)。

さて、最高裁までいったが死刑判決の確定した京子は女囚として盛岡刑務所へ送られる。後を追ってきたのは明夫であった。裁判中に生まれた赤ん坊は託児所に引き取られ赤尾が面倒をみているはずだった。しかし赤尾はろくに面会にも来ないし、赤ん坊の写真も持ってこない。女ばかりの刑務所で、同房の女囚の弓子・浜野恵子にレズを迫られ、それに嫉妬したよし子・美谷早百合が大喧嘩という、男日照りの環境が京子のファイティングスピリッツに火をつけた!というか、無実を主張する京子に同情した女囚の君江・若杉嘉津子のサポートを得て京子は脱獄に成功するのだった。

やさしいお姉さんの君江にドジばかりで迷惑かけまくりの軟弱馬鹿娘の京子。観客(筆者ですが)の怒りはいやますばかり。

一度は明夫を殺そうとしたが明夫の純粋さにころっと参った京子。しかし赤尾への愛情は炎は消えていなかった。二人は手に手をとって東京へ向かうのだった。列車の中で繰り広げられる刑事と二人の緊迫度大な鬼ごっこ。そして宇都宮で途中下車した二人は、とことんお人よしの明夫の厚意によって、京子の身柄はひとまず安全な場所へと移される。一人で事件の再調査に乗り出した明夫の前に、地獄の使者、じゃなかった正義の味方の宮田警部が登場。「結審した事件の再捜査なんぞとんでもない」と刑事の面子にこだわる部下・泉田洋志に「法は正義のためにある、刑事の面子なんか問題じゃない」と諭す、宮田警部、っていうか沼田曜一。

観客(筆者ですが)はかつて、これほどまでに超かっこいい沼田曜一を見たことがあるだろうか?いや、無い!

さて、そんなこんなで、京子の父親殺人事件であるが、始終「私は無実だわ!」とイライラするようななきり声をあげてばかりいるだけの役たたずな京子を尻目に、優秀な宮田警部と明夫の活躍により、真犯人が判明し、晴れて京子と明夫は結ばれたのであった。

健康青年キャラが身上の寺島達夫が、手当たりしだいに女を食い物にするストライクゾーンの広い色敵なんかできるわけがない、ていうかそんな複雑な役どころなんか到底無理という観客の偏見に近い思い込みを逆手に取ったすばらしい逆転オチである。そして、絶対に年増の後家さんと継子は「食べちゃって」るに違いないと思わせ、真犯人はこいつです!と信じ込ませた沼田曜一の影の活躍(と思っているのは観客だけだが)も見逃せない。

ヒステリックで惰弱なヒロインにイライラさせられつつも最後まで堪能できたのはこのように、にごった目で映画を見つめていた観客(筆者ですが)の偏見によるものだと言える。意外性というのが名作たらしめる重要な要素のひとつであることを、このようなマイナーな作品に教えられようとは、それこそまさに意外すぎ。

2007年02月11日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2007-02-12