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女の中にいる他人


■公開:1966年

■制作:東宝

■制作:藤本真澄、金子正且

■監督:成瀬巳喜男

■脚本:井手俊郎

■原作:ドワード・アタイヤ

■撮影:福沢康道

■音楽:林光

■編集:大井英史

■美術:中古智

■照明:石井長四郎

■録音:斎藤昭

■主演:小林桂樹かと思いきや、どっこい新珠三千代

■寸評:

ネタバレあります。


小林桂樹とソラリゼーション。須川栄三の「けものみち(1965年)」参照のこと。

鎌倉在住東京勤務のサラリーマン、田代・小林桂樹は親友で横浜に事務所を構えている杉本・三橋達也に赤坂で偶然に出会う。杉本の妻、さゆり・若林映子は東京勤務であったため杉本は妻の勤務先を訪ねたのであるが、あいにくと不在。空振り状態の杉本は田代を飲みに誘うがどうも態度がソワソワしている。そこへ杉本の妻にトラブル発生の電話が入る。

すでに勘のいい観客は犯人丸わかりなので、ここからさきは田代がいかに尻尾を出すか?それを田代の妻、雅子・新珠三千代がどこいらへんで勘づくのか?に集中していくのである。

さゆりにアパートを提供していた友人の弓子・草笛光子がそのアパートで刑事・稲葉義男とともに杉本を出迎える。さゆりはベッドの上で絞め殺されていた。田代の母と妻の雅子は興味本位であれこれ田代に質問してくるが、田代は平静を装う。さゆりの葬儀の席で田代を見た弓子は、杉本を呼び出し、一度だけアパートからさゆりと一緒に出てきた男が田代ではないか?と告げた。

物証ゼロの完全犯罪成立か?

親友の妻にちょっかい出して、SMプレイの最中に殺してしまうというトンでもないことをしてしまった田代であるが、徐々に罪の意識に苛まれていく。ある晩、田代はとうとう辛抱できなくなり、雅子に告白する。実は二股三股かけてたかもしれない性豪の田代、多情なさゆりによい感情を持っていなかった雅子は、家庭崩壊の危機回避のために「なかったこと」にしようと言い出すのであった。

こうなると女は強い。しかも新珠三千代である(ここんところポイントね)。子供を言い訳にした防衛本能とどこか勘違いな被害妄想による他責度アップは母親の特権である。

逆に男は道義的な責任を優先する生き物であるから、田代はどんどん追い詰められていく(精神的に)。殺人行為の詳細を聞き「あんた変態?」くらいなオプションまでくらった雅子に自分の都合だけをダラダラと説明する田代。とうとう杉本にも告白してしまった田代であったが田代の子供に懐かれている杉本は田代に自首を思いとどまるように言う。

事実を知った杉本を生かしちゃおけない(うそ)雅子は杉本のところで泣き落としをかまして口止め。さらに自首へ傾く田代を「あんな浮世離れしたマスクの女(映子さん)なんて夢幻だったのよ!」とかなんとか自己催眠にかけようとする雅子。末期の水ならぬ自首前のウイスキーを所望する田代に、雅子は最後の抵抗を試みるのであった。

人殺しの子供にさせるくらいなら、父親に自殺された気の毒な子供にしたほうが勝ち!雅子の瞳が残忍な光を放つ。なまじ顔が清純そうなだけによけいに陰湿。映画全般を見渡せば右往左往する男たちに比較して、ほぼ全編が雅子の独壇場であったと断言しよう。

ちなみに三橋達也であるが実は小林桂樹と同い年。バタ臭くて超かっこいい三橋達也と、ほっぺプルプルな小林桂樹のルックスの差が、ある意味、コンプレックスとなって若林映子を手にかけたのでは?という疑いのひとつもかけたくなるのが人情だ、いや、たぶんそうにちがいない。

ペーソス満点の子役(しかし成長した後は美形の太田博之)がロシアを放浪?する「小さな逃亡者」の主人公を演じた稲吉千春が本作品で小林桂樹の息子役であった。新珠三千代に「あの子、あなたにそっくりよ」と評されるを観るにおよび、件の作品を筆者が観たとき「小林桂樹のようなペーソスを漂わせたデブな子役」だなあと思ったのはあながち間違ってなかったことを確認。

2007年01月20日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2007-01-21