無理心中 日本の夏 |
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■公開:1967年 ■制作:創造社、松竹 ■制作:中島正幸 ■監督:大島渚 ■脚本:田村孟、佐々木守、大島渚 ■原作: ■撮影:吉岡康弘 ■音楽:林光 ■編集:浦岡敬一 ■美術:戸田重昌 ■照明:佐野武治 ■録音:西崎英雄 ■特撮: ■主演:桜井啓子 ■寸評: ネタバレあります。 |
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日本の夏、緊張(金鳥に非ず)の夏。まーた、大島渚のわけのわからない映画かよ、と思ったらなんとも残尿感の強い映画。 巨乳のフーテン、ネジ子・桜井啓子は自殺志願の男・佐藤慶と出会い海岸で一発やろうとするが男にその気はないらしい。そこへ制服姿の男たちがやってきて武器弾薬の詰まった箱を掘り出し持ち去る。男たちのボスで元祖出たがり演出家でひげ面・福田善之は目撃者である二人をアジトへ連れ帰る。アジトそれは郊外の廃墟なのだった。 暑苦しくむさ苦しい小部屋に入ったネジ子はそこで、さらに見苦しい半裸のオジサンたちに囲まれる。男とヤりたいネジ子は男だらけの環境にちょっぴりワクワク。おもちゃみたいな軍用拳銃を愛でているアナキスト・殿山泰司、フンドシ一丁の殺人鬼(武器は刃物)・小松方正、ホモ(推測)のファシスト・戸浦六宏は手下を連れてテレビを持ち込んでいる。彼らはボス(実はヤクザ)に出入りのために雇われていたのだった。 男たちを見張るデブ・観世栄夫。ネジ子はトイレにいきたくなったのでノーパンでしゃがみ(おい、おい)必死にアピール。用を足すために外へ出たネジ子の目の前に若い男(高校生)・田村正和がひょっこり顔を出す。彼は出入りのために準備されているであろうライフル銃をいただきに来たのだった。高校生の銃マニア、なんとなく虚弱で粗暴な感じのする高校生も男たちの集団に加わった。 自殺志願者は殺される瞬間の自分の姿を見ることで自分探しを完了させたいという面倒くさい男。フンドシやアナキストに「殺して欲しい」と懇願するがいずれも不発、男は失望。そこへ白人青年が銃を乱射して市街地をパニックに陥れている状況がテレビで報道される。自殺志願者はやっとチャンスが来たと喜び、表の様子を見に行った高校生はとりあえず警官2名を射殺したがどうも満足できず舞い戻る。 出入りは中止となり、ヤクザたちはトンズラ。ボスは高飛び直前に逮捕された。闘争心満々(っていうか殺人のモチベーション絶好調)な男たちは行き場をなくしたエネルギーを、仲間割れや同士討ちで解消しようとするが果たせず、立てこもり中の白人青年のところへ向かうことにした。 ワッツの黒人暴動とは違い、犯人は白人で一人、武装集団は警官隊のみ。アナキストとファシスト、高校生は、会ってみたら意外とフツーの白人青年に共感。ネジ子はお腹減ってそうな彼にパンをあげてみる。自殺志願者はやっとチャンスが来たと喜んだがやはり死ねない。警官隊の包囲網を一度は突破した彼らであったがここでもファシストが寝返ったかのように仲間(実際にそうだったかどうかは謎)を撃ち、返り討ちにされ、自殺志願者とネジ子だけが生き残った。 銃弾の雨の中、念願かなって性交したネジ子と自殺志願者。これは無理心中だと確信した二人であった。 暑くて長い夏なんて誰でもキレたくなるもの。 人種差別といった問題が根底にありちょっとしたきっかけで他人から見たら狂気的な状況が発生するのを、ここ、表面上は人種差別がないことになっているのんびりした日本において、冷房設備の故障によるドヤ街の暴動を除けば、共感しにくいと思われるが、格差社会というのが助長されていけばシェルターやセーフティーネットが機能していないぶんだけ日本のほうが突発性かつ動機が低レベルのわりに結果が甚大という状況が起こりやすいとも言える。 しかも年端もいかないガキ(男女問わず)から分別ざかりの社会人までその因子を持っているので、つくづく銃社会じゃなくて本当に良かったと思う。 その共感できなさ加減、つまりは唐突さということにおいて本作品は平成の現代のほうが飲み下しやすいかもしれない。無職の子供と大人のフラストレーションを生産的な方向へ向けないと、暴動になるかもしれない。作り手の思いとは別に風俗映画というのは時代を経てその時々の解釈や楽しみ方をすればよい。 世界がどんどん大島渚になってくる、あ、それってすごく嫌かも。 (2006年10月29日 ) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2006-10-29