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ドラゴンヘッド


■公開:2003年

■制作:東宝(配給)

■制作:平野隆、近藤邦勝、名一哉、神野智

■監督:飯田譲治

■脚本:NAKA雅MURA、斉藤ひろし、飯田譲治

■原作:望月峯太郎

■撮影:林淳一郎

■音楽:池頼広、百瀬慶一

■編集:大永昌弘

■美術:丸尾知行

■照明:豊見山明長

■録音:井家眞紀夫

■特撮:樋口真嗣、立石静、浅野秀二

■主演:妻夫木聡

■寸評:

ネタバレあります。


 「復活の日」「世界崩壊の序曲」「漂流教室」「世界が燃えつきる日」「ゾンビ」「回路」人類は何度も滅亡しかかってきたが、今回は特にその唐突さにおいて存外なリアリティがあってわりと面白かった。ああ、どっかで観たなあと思うシーンが多発されてもそれは輪廻転生によるデ・ジャ・ヴだと思えば屁でもない。

 修学旅行が終わって東京へ帰る途中の高校生、テル・妻夫木聡。彼が乗っていた新幹線が静岡のトンネルにさしかかったとき突然、物凄い衝撃を受ける。気絶していたテルが意識を取り戻すとあたりの状況は一変していた。車内はメチャクチャ、さっきまではしゃいだり、トイレにいじめられっこをぶち込んではしゃいでいた同級生たちはほぼ全滅していた。

 しかも死因が新幹線の衝突によるものなのか、それにしては遺体の破損箇所が多様だとか、倒れてる方向があっちこっちだとか、ひょっとすると単なる衝突による事故死だけではないでは?パニック状態になったテルがこけつまろびつしながら車外に出ると新幹線の後部がぺしゃんこになっていた。

 同じく生き残ったいじめられっ子のノブオ・山田孝之はいじめっ子の遺体を損壊し、いじめの無言の協力者だとみなした半死半生の教師を竹刀でめった打ちにしてトドメを刺す。無抵抗の相手に今までの恨み辛みを爆発させるノブオ。

 パニック映画においては、平素は温厚な人間の暗黒面が露呈したり、かくし芸を披露したりするのがお約束だが、子供が些細な理由で親や自宅や友達を破壊しまくる平成の御世では、ノブオの痛さが悲しすぎ。車両の下の隠れていた田舎くさい小娘、瀬戸さん・SAYAKAはノブオの凶行の一部始終を目撃しビビリまくる。男の力に目覚め「蝿の王」状態になったノブオは異様なメイクで瀬戸さんとテルを追い掛け回す。

 トンネルからの脱出口と思われるパイプを発見したテルと瀬戸さん。だがノブオは「ここが一番安全なんだ」と叫んで崩落するトンネルの奥に消えていった。たいした見せ場もなくドンくさい瀬戸さんに罵声をあびせつつもなんとか地上に這い出たテルと瀬戸さんが目にしたものは、緑豊かなお茶畑ではなく灰に埋もれた死の世界。

 平成の久保明(注:東宝の特撮映画で活躍した単細胞タイプの直情径行型ヒーロー)と化したテルは瀬戸さんと一緒に東京を目指す。破壊されつくした町にいた人々は凶暴化していてリーダー・寺田農の指示のもと、二人を処刑しようとする。テルと瀬戸さんは自衛隊の隊員、仁村・藤木直人と岩田・近藤芳正に助けられる。

 パニック映画がなぜ怖いかと言うと、当事者たちが全貌を把握していないことだ。このとき、観客を神の視点に置くか、当事者と同化させるかどうかが演出の力だと思われるが、本作品は後者を狙っているので思いっきり説明不足である。しかしながら肝心の、狂言回しの二人の演技があまりにもリアリティがなく大仰で拙いものだから観客はとことん居心地が悪い。ガキんちょはともかく、大人の観客の共感とかを得る役回りの大人の俳優たち(根津甚八、寺田農)までがこぞって田舎ヤクザのような思わせぶりだけのわかりやすい演技をしてくださるのでますます観客は救われない。

 この映画の欠点はもう一つ。そう、瀬戸さんだ。ジープが横転したり、ヘリコプターが不時着したりしてるのになぜ破けないのだ!キサマの制服は!ついでに、なぜ見せないのだ!SF映画のヒロインならちゃんと映画の終盤に近づくほど露出度を上げねばならない。「バーバレラ」のジェーン・フォンダとか「恐竜百万年」のラクウェル・ウエルチを見習え!あ、あれは最初から半裸か。

 藤木直人と妻夫木聡の意気地なし!(意味不明)

 予測できない状況の連続が創出するスリルとサスペンスにハラハラドキドキするのではなく登場人物のどんくささや幼稚さにイライラムカムカさせられるほうが勝ってしまったのがこの映画の最大不幸と言えよう。

 かと言って箸にも棒にもかからないかと言うとそうでもない。砂漠のオープンセットや大災害のビジュアルは丁寧だと思うし迫力がある。原因の究明も解明もなし、だれも助けないし助けられない、唐突過ぎる展開とあっけないほど簡単に築かれる人の死体の山また山。この映画は等身大なのである。等身大のSFってどうなのよ?という気もするが、明日の百円より今日の十円、人類が滅亡しようが地球が破壊されようが「私たちはどっこい生きてます!」大義名分ゼロのSF映画、ある意味かなり新鮮。

 もしもこの映画をトラディショナルなSFパニック映画にしたければ、巨大なミミズとかサソリの大群とか人語を解するゴキブリとか、丹波哲郎(または原田芳雄でも可)とか出してくれないと困る。そいで、ヒロインには乳臭い小娘ではなく脱ぐことを必然と考えるメリハリの効いたボディの婦女子も忘れずに。

2006年09月17日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2006-09-17